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幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない!  作者: 巻鏡ほほろ


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55/68

55 危機

 男から投げ落とされたのは担ぎ出されてからそう長くない時間の後だった。藁が敷かれた物置のような場所に入れられ、背中を打ったリネッタは「うっ」とうめき声を漏らす。すぐさま誘拐犯に布で口を塞がれ、唸り声を上げることしか許されなくなる。

 だがここで大暴れしたとしても、リネッタに勝ち目はない。目の前の男性二人組はそれぞれ、でっぷりと脂肪のついた巨漢と、腕も足も長い男である。下手な動きを見せたら簡単に組み伏せられてしまうだろう。

 ドクドクと脈打つ心臓が脳に響くのを感じながらも、リネッタは努めて冷静に、と呼吸を整えることを優先させた。男たちはどうやら自分に害をなそうとはしていない。ただし、今のところは、だ。何かを話し合っているが、どうやら言語が違うため、内容までは把握できない。

 しかし、リネッタはその言語に聞き覚えがあった。授業で習った外国語か? いや違う、様々な可能性を潰しながらより深く耳を研ぎ澄ませると、たびたび片割れの男性が「ネィ」と聞こえる音を発して頷く様子を確認することができた。


 ここでリネッタは確信した。この二人組は、コモロ国の人間だ。

 難民地域で作業するにあたって時々聞いていた、コモロ国の公用語と同じ単語やリズムであると再確認すると、リネッタの予測は強く裏付けられた。


 難民地域の人間は、内紛の続くコモロ国の中でも虐げられ襲われていた側の人々だ。皆傷つき、命からがら全てを捨ててとにかく安寧を求めて国を渡ってきている。そのためか、若者、特に子供が多いのが特徴だった。

 リネッタは清掃活動で関わるうちに、あの地域を頼るコモロ国の難民と全員顔を合わせ対話を試みた。だからリネッタの知らないコモロ国の人間となると、あの地域の仲間ではないと断言できる。


「───」

「〜〜〜─」


 男たちはまだ何か喋っている。入り口の隙間から彼らが座り込んで談笑しているような雰囲気も感じられたので、見張りとして居座っているのかもしれない、とリネッタは予測をつけた。

 手と口は縛られているが、ひとまずの安息を得たことでリネッタの心音も落ち着いてきた。


 ───あの女性


 手洗い場で、バロンが待っているからテント裏に、と伝言してきた女性の存在を思い出した。


 思えば、彼女が差し出したハンカチは、レースが見事なものだった。そう、それは貴族の女性が使うものくらい上等なものだった。しかし彼女は劇団の裏方だと言った。

 普段使いするハンカチで高級品を手にしている裏方がいるのなら、それはそれで有名になっていそうなものだ。熟年ながら喜んで裏方をする貴族、そんな風に関心の目を向けられるだろう。

 それに、女性の見目は麗しかった。劇団に所属していて自分に配役の権限があるのなら、ぜひ壇上に立たせたいと思うくらいには、女性は美しかったし、線が細く、力はあまりなさそうだった。裏方という役職の具体的な仕事をリネッタは知らないが、フィジカルを鍛えておいて損はなさそうなイメージがあった。それなのに、女性の細さは、布以上のものを持てないとでも言わんばかりに細い印象を受けた。

 そのアンバランスさに、違和感が抑えられない。

 もはやリネッタの中に答えは出ている。あの女性は、劇団の裏方ではなく、どこかの貴族の女性だ。

 そして何かの意図があって、自分をコモロ国の戦い慣れた人を使って攫い、この後は……──


 殺されるかもしれない。



 ゾクリと、全身が震えた。まるで真冬の山に裸で放り出されてしまったのではないかと錯覚しそうなくらい、めまいすら覚える。

 一分一秒がとても長く感じられた。奥歯がガタガタと音を鳴らしてしまうのを止められない。


 ただ一点、入り口の隙間の男性二人を注意深く見ることに集中し、リネッタは恐怖心を誤魔化した。


 何も変わらず、ただ意味のわからない言葉をBGMに呼吸している、そんな感覚になっていた頃だった。

 男たちは立ち上がった。


 二人とは違う声がうっすらと聞こえる。第三者が現れたようだ。その人物もまたコモロ国の言葉を使い、男たちに何かを指令している、そんな雰囲気を感じ取る。

 ネィ、という了承の声が発せられれば、男たちの足はリネッタの方を向き、そして入り口が開かれた。


 リネッタはまっすぐに男たちを見る。彼らもまたリネッタを見つめ返している。その瞳には特に感情がない。

 男二人の後ろから、間をぬうようにもう一人の男性が現れた。細身で身長は二人よりも低く、肌の色はリネッタと同じだった。つまり、コモロ国の人間ではないようだ。

 そして男性はリネッタと同じ言葉で、話しかけてきた。


「乱暴にして申し訳ありません。これから移動しますが暴れないでくださいね」

「……」

 口を塞がれているので、リネッタは喋ることができない。ただ、頷くこともせず、睨んだ。

 男もそれをわかっているので、口角をニコリと上げて、それ以上何を言うでもなく立ち上がった。


 その時、男の手首にぶら下げられているきらりと光った装飾を見て、リネッタの目が見開かれた。


 ───チェーンの先についている、印章が施されたメダル……間違いない、あれはソレイユ王国聖堂のものだわ


 なら、目の前のこの男はソレイユ王国の聖職者なのだろうか。もしくは、その聖職者すらも手がけて印章を盗んだ悪党なのか。

 ショックで考えがまとまらないなか、リネッタはコモロ国の男たち二人に乱暴に立ち上がらせられる。

 そのはずみで口を塞いでいた布がずれ、固定されていた口角が動かせることに気づいたリネッタは即座に声を出した。

「貴方はソレイユの聖職者なの!?」

 物置から出ようとした男がぴたりと動きを止め、リネッタに顔を向ける。

「そんなの関係ないでしょう」

「あるわ。私はソレイユ王国第一王女、自国の問題には責任が、あぐっ!!」

 巨体の男性がリネッタの頬を掴む形で口を塞ぐ。強い握力に頬の内側が切れる感覚がした。

「関係ありませんよ」

 聖職者疑惑の男が近づき、コモロ国の言葉で男に短く伝えれば、リネッタは男の手から解放される。頬が痛い。

「だって貴女はこれから死ぬんですから」

「………」

「何を言っても無駄でしょう? さあ行きましょう」



 ───死ぬ?


 国を治める立場の人間として生まれて、その危険を意識しなかったことはない。

 けれど、今ほどまで実感したこともない。

 明確に向けられた嘘のない殺害予告に、リネッタは現実を受け入れられずに思考を止めてしまう。

 コモロ国の男二人に歩かされているとはいえ、半ば引きずられるような形で地面に引っ掻き傷をつけるような足取りになってしまう。


 ここはどこなのだろう、と辺りを見て、リネッタは情報を求めた。灯りひとつなく、人もいない。背後からうっすらと音が聞こえるが、遠ざかっていく。郊外に向かっているのだ。

 物陰に荷台が置いてある。きっとあれに乗せられ、運ばれるのだと瞬時に理解する。そうなったら周りに誰もいない以上、自分を探すことは困難になってしまうだろう、と考えた。

 リネッタは左足の靴をわざと脱ぎ、落として右足で後ろの方に蹴飛ばした。おぼつかない足取りが功をなしてか、男たちは誰もそれを気に留めなかった。


 刻一刻と暗闇に近づいていく。リネッタの心臓がどんどんと早まっていく。

 逃げる。

 まだ待つ。

 今逃げる。

 もう片方を脱ぐ。

 裸足にならないと走れない。

 靴がなくても走れる?

 抵抗したらここで死ぬ?

 それでも逃げればあるいは。

 誰か巻き込んでしまうかもしれない。

 逃げたい。

 でも腕を振り解く自信がない。

 逃げたい。

 死にたくない。


「ッ!」

 左足の靴を脱ぎ、その後は一心不乱だった。

 抵抗しないリネッタに油断していたのか、案外簡単に男たちの拘束を振り解くことができたリネッタは、すぐさま振り返って走り出した。


「追え!!!!逃すな!!!」

 咄嗟のことでソレイユ王国の言葉が出た男が、コモロ国の男たちに命令する。

 リネッタはただ走った。手が縛られて足も傷だらけで満足なスピードは出せないが、今までの人生で一番速い足取りだった。

 今日の服はスカートの丈が短くてよかった。もつれることなく、自慢の走りを活かすことができる。


「はあっはあっはあっ……うっ…はぁっはあっ!」


 恐怖と疲労による心拍の脈動がリネッタのスタミナを一気に持っていく。胸も痛くなってきたが、走りを止めたら絶対に死んでしまう。

 道を抜け、せめて人のいる場所へ、となりふり構わず光のある方向へ進む。

 しかし


「ッラァ!!!」


 後ろからのその掛け声と共に、リネッタの左腕が一瞬で熱を帯びる。そしてその衝撃と共に、リネッタの足までもがもつれ、前に倒れてしまう。


「あっああっ……!!」

 左腕から血がドクドクと流れていた。顔を上げると、前方にはナイフが転がっている。

 投げたのだ、リネッタをめがけて。

 もし位置がずれていたら、その瞬間に……。


 サアッと青ざめるのと同時に、男たちの足音に動悸が早まる。

 早く立ち上がらないとと焦りつつも、手が塞がっているせいで転んでしまう。


 追いつかれる────!!



「リネッタ!!」

「!!!」


 振りかぶって再びリネッタに刃を突き立てようとした男が弾かれて後ろに倒れ込む。

 それと同時に、多数の騎士が二人の男性の方へ向かい一瞬にして切り落とされた。

 目の前を布で覆われ、その瞬間をリネッタは見ることはなかったが、ズシャ、と崩れ落ちる音とその後の剣を収める鋭い音の合唱、のちの静寂で、全てが終わったのだと、察した。



「………シルビオ」


 リネッタを守ったのは、シルビオだった。

 被せられた布はシルビオの羽織っていたローブで、ようやく体が離れ、シルビオの顔を確認すると、リネッタは安堵から意識を手放してしまった。


「リネッタ、リネ……っ!」


 シルビオはリネッタの腕から流れる血の多さに青ざめる。

 すぐさま騎士たちを招集し、急いで王宮に戻るのであった。

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― 新着の感想 ―
よかった~よかった~よかったよ~。 シルビオんとこに戻れてよかった~っ。 ケガは心配だけど、戻れてよかった。
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