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幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない!  作者: 巻鏡ほほろ


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54 一瞬の油断

 豊食祭初日の夜は、アレハンドロ王に顛末を説明し、リクとトールを見送って終わった。一晩だけ王宮に泊まったベアトリスも、難民地域の浄化を宣言したはいいものの具体的に行動を移すことはなく、あの場の宣言だけに留めるだろうと見解が一致したのでそれ以上触れることはなかった。次の日になれば聖堂から聖堂騎士が迎えにきたので、ベアトリスは彼らの出迎えに了承し、素直に帰宅した。

 ルシアに言われた言葉が、ベアトリスの胸中を複雑にしたのだとリネッタは考えた。

 これ以上シルビオに何を言おうと、シルビオも、ルシアも、そしてきっとアレハンドロも動くことはない。その確信があったから、ベアトリスはこれ以上婚約者としてのアプローチをすることを止めた。

 リネッタにとって喜ばしいことのように思えたが、去っていくベアトリスの背中が寂しく見えて、リネッタも心が晴れることはなかった。だからといって同情するのもおかしな話だった。だが、どうかまた背筋の伸びたベアトリスの後ろ姿が見たいと思った。



 そんな王宮での空気とは裏腹に、王都は連日文字通りお祭り騒ぎであった。

 豊食祭が始まって7日が経つが、むしろ人々は今こそ最高潮だと言わんばかりに盛り上がっている。

 商人はセールを開始し、芸人たちはとっておきを見せ、料理店は新メニューを発表している。豊食祭は13日間のお祭りなので、ちょうど中間地点となるこの日こそがテコ入れ時だというのが、人々の認識らしい。


 リネッタは、マテオとネルソンを伴って祭りの真ん中にいた。


 ソレイユ王国聖堂の一件は、ちょうど昨日にソレイユ王国から書簡が届いて、対応が済み次第改めて報告する、という内容で一区切りとなった。

 ソレイユ聖堂の動きが目論み通り動いたとして、被害を受けるとすればソレイユ王族、そしてリネッタになっただろうということで、ルナーラ王国への損害はほとんど無いことから国家間の問題に発展する恐れはなかった。

 それを確認できたので、ようやくリネッタたちソレイユ王国側の人間はひと心地つくことができた。


「お祭り好きのリネッタ様がまだ王都に出ていないなんて論外ですわ!」

 と半ば乗り込むようにリネッタの屋敷にやってきたのは外務大臣の娘マリー・クラレンスであり、彼女に追随するように宮内大臣の娘アメリア・ラルゴも鼻息荒くやってきたのが先刻の話。

 三人とリネッタの騎士二人の五人という図だが、人々の喧騒の中で浮くことはなく祭りの空気を享受していた。

「もしも今日私に予定があったらどうしてたの…?」

「ふふ、伊達に宮内大臣の娘をしておりませんわ。……というのは大袈裟な話ですが、昨日たまたま王宮に赴く用事があったので、その時に一段落したのだとお父様方が噂していたのを聞いたので」

 アメリアがほっと安心したようにリネッタに笑いかけ、マリーもうんうんと無邪気な笑顔で頷く。

 事情を知れど、踏み込みすぎない二人の距離感に、リネッタは改めて居心地の良さを覚えた。

「本当は殿下もお誘いしてこっそり二人きりにしたかったのですが」

「あっマリーったら、それはサプライズでしたでしょう」

「でも叶わなかったので」

「リネッタ様、殿下は本日もお仕事ですか?」

「うん。今日は私の弟とソレイユ王国大使館の方に行っているみたい。本当は豊食祭二日目に行く予定だったんだけど……」

 ソレイユ王国聖堂問題もあり、バタバタしていたのでやっと今日実現したのだった。

「あら、ならばそちらめがけてお散歩しませんこと?」

 名案だと言うように堂々とマリーが言う。「それはいいですわね」とリネッタの手を引いて、アメリアが歩く速度を早めた。三人がズンズン進むので、マテオとネルソンも慌ててそれを追いかける。


「ちょっと、シルビオに会ったとしてもお仕事中なんだから声はかけられないですよ!」

「そんなことはありませんよ、運が良ければそのあとの殿下と夜のお祭りを堪能できるかも知れませんわよ」

「実際のところ、殿下とのご関係はどうなんですの!? 各地の清掃作業でお二人一緒にご活躍されているのは当然私の耳にも入っているのですが…!」

「まさに、お二人が一緒になればいいのに、って学園でもすっかり話題ですのよ! バロン様の劇団で公演されていた物語も大評判ですから、近隣諸国にも噂がとどいているくらいなのです。ですよね? マリー」

 外務大臣の娘だからなのか、マリーはルナーラ王国周辺の流行にも詳しい。アメリアの言葉を受けて「それはそれはもう」と大袈裟に相槌を打つ。

「やはりロマリアお姉様の企画力は抜群ですわ! その証拠に王都のみならず、国内…果ては国外にまでリネッタ様のご活躍を広めることができたのですから!」

 演劇による印象操作とは見事なもので、それも演じている劇団が国内ナンバーワンの俳優を抱えているのだから折り紙つきにもほどがある。エンターテイメントの力を実感できずにいたリネッタだったが、この数ヶ月で自分に向けられる視線の性質がすっかり変わったことを実感しているのもまたリネッタだった。

「国外にまで、なんて……」

 恐れ多い話だ、と思い背筋がぞくりと泡立つが、アメリアが

「でも、王妃になられたらそんな視線当たり前になってしまいますわ」

 と、どこか寂しげな視線で言った。


 中心街からはすっかり離れたが、今度は自分たちと同じ方向に歩く人が増えてきたのを感じる。アメリアがようやく繋いだ手を離して、進行方向を指差した。

「ちょうど見えてきましたわ、バロン様の劇団のテントですわ」

「今やロマリアお姉様のものと言っても過言ではありませんことよ。みてくださいあの看板を」

 今度はマリーがテントの前の門にぶら下げられた鉄製の工芸作品を指さす。乙女の横顔とデザイン化された薔薇の花が並んだ精巧なものだ。格式の高さを感じられる看板だとリネッタは感心する。

「あれはロマリアお姉様がデザインされたものなのです。劇団のお名前もロマリアお姉様に由来する『ロマローザ劇団』に改名したのです。これは愛です! バロン様による大きな愛なのです!」

「マリーったら、この話になると大興奮で手がつけられなくなるのです」

「ロマリア様のことが大好きだものね」

 ───愛……

 リネッタはロマリアの結婚式を思い出した。そして二人の馴れ初めの話や、ロマリア自身の幸せそうな顔、そのあと公園で見た仲睦まじい二人の様子、いろいろな光景が蘇り、ふと

「いいな……」

 と小さな声で呟く。

 アメリアとマリーはそれを逃さなかった。


「今日の演目はベルベットの悲劇の再演なのですね。だから人がこんなにいるのね」

 ポスターの絵柄を見たリネッタはすっかり興味を切り替えて話す。

「ベルベットの悲劇といえば」

 と、マリーが合わせて話に乗っかった。

「リネッタ様はもう読まれました?」

「ええ」

 前に、ナナに勧められ、ロマリアがバロンとの恋愛に参考にしたと言っていた『ナタリー・ヒューストンの恋』という作品を読んだついでに、図書館で見かけた時に同じ作者だと知った『ベルベットの悲劇』もリネッタは読破していた。それこそ、バロンとシルビオがこの作品について話していたな、という興味から手を出したというちょっとした下心もあった。

「なら遠慮なくネタバレしますが、私ラストのシーンがほんっとうに大好きで…!」

「主人公とライバルの女性が崖から落ちそうになるところ?」

「そうです! 残念ながら主人公はヒーローに助けてはもらえませんが、ヒーローのライバルに対する愛情の深さはそこで間違いないと描写されるところが、本当に苦しくて切ないのに説得力があって……!」

「だから悲劇と言うのですのよね。たしかこの作品で叶えられなかった恋心と悪役たる主人公を救うために、『ナタリー・ヒューストンの恋』を書いたのだとか……前に記事で読みましたわ」

 アメリアの豆知識に、マリーが「そうなんですよおお」と感極まって頷いていた。そうだったのか……とリネッタは思わず感嘆の声をあげる。


「今の殿下ならきっとリネッタ様を選びますよ」

 何気ない一言だったが、口にしたマリーが一瞬でしまったとでも言うように表情を固くした。


「そうなのかしら……うーん……どうだろう……」

 具体的に言わずとも、崖に落ちかけているのはリネッタとベアトリスなのだと共有されている。リネッタの脳内にはその図が浮かんでいる。下から吹き付ける強風に煽られ、腕の力はもう限界、眼下には渦巻く波が今にも飲み込まんと荒ぶっている。同じ状況に二人がいて、シルビオが真っ先に助けるとしたら……。

「やっぱり、国を思えば聖女であるベアトリス様を優先するでしょうね」

 理性的に、リネッタは淡々と答えた。アメリアとマリーは顔を見合わせてしまう。

「私は比較的頑丈だとも思うし、最悪マテオとかに助けを求めて……ってこれじゃあ条件が変わっちゃうわね」

 あはは、とリネッタが笑うと、寂しげな瞳でアメリアが言う。

「というよりも……リネッタ様が頑なに譲らなそうですわ」

 指摘されて、リネッタはぎくりとする。


「わかりますわ……! きっとリネッタ様は、『私は大丈夫だから、聖女様を優先して!』と言うのですわ。でも殿下なら『何を言うんだ、放っておくことなんてできない』とおっしゃいますし、またそれにリネッタ様が『もう時間がありません! シルビオどうか……!』と、悲痛にも叫ぶのですわ…!」

 よよよ、と大袈裟に、マリーが熱演し、大きな身振り手振りをするものだから、広げた右手がドンと人にぶつかってしまう。

「あらっごめんあそばせ」

「いいえおかまいなく。それにしてもいい女優になれそうだ」

「あっ、貴方は……!」

 三人は目を丸くしてぶつかった相手を見た。

 マリーににこりと笑いかけるその人に、周囲からほおとため息が漏れる。

「バ、バロン様……!」

「ごきげんようお嬢様方。貴女はロマリアの可愛がっている後輩の一人だね?」

「はっはい、ああっ先ほどは大変失礼なことを…!」

「気にしないで。リネッタ様もいらっしゃることだし、よかったらこのあとの公演も見て行かれてはどうかな。前回とは演出を大きく変えたから、もし見たことがあっても楽しめると思いますよ。さあ、皆様もぜひ!」

 バロンは周囲に宣伝するため声を張る。さすが舞台俳優、よく声が通り、一瞬で視線をものにしてしまった。

 アメリアとマリーはすっかり観劇気分になったようで、行きましょう! と再びリネッタの手を取る。リネッタも当然興味があるので、久しぶりの観劇を楽しむことに決めた。

「入り口に私が、客席近くにはマテオを置きます」

「ええ、ありがとう」

 居場所の確認を簡易に行えば、三人はバロンに促されるまま劇団のテントの中へ吸い込まれていった。




 ***




「感゛動゛じまじだ」

「ほらマリーったら、淑女らしからぬ顔になってますわよ」

「私のハンカチでよかったら使う?」

「ありがとうございまず……」

 薄桃色のハンカチを目尻に当てて、ずずずと鼻を啜るマリーは、周囲を見渡しても一番泣き腫らしてると言っていいくらいの号泣ぷりだった。

「リネッタ様、このあと楽屋の方にご挨拶しますか?」

「いや、遠慮しておきましょう。日も沈んでしまいましたし、再演初日だからか楽屋方面の人も多いし……」

 退場口から外れた道には、ファンが多く詰め寄り歩けない状態になっていた。それを視認して、アメリアも「お礼はまた後日にいたしましょう」とあっさり頷いた。


「私お手洗いに寄るわね。遅いからネルソンに送ってもらって」

「そうですか……ならお言葉に甘えますわ。ネルソン様はどちらに?」

「入り口のところで待機しているって言っていたわ。二人からの伝言なら二つ返事だと思うから」

「ありがとうございます。本日は急な訪問にもかかわらずお付き合いいただきありがとうございました」

「リネッタ様、また遊びましょうね〜! ハンカチを返しにまた近々伺いますわ!」

「ええ、こちらこそありがとう!」


 人の流れも激しくなってきたので、満面の笑みで手を振ったあと、リネッタはすぐにアメリアとマリーとは方向を違えた。

 テントを出て手洗いのある場所まで薄暗いところを進んでいく。

「ここで待ってて」

「はいはい、了解です」


 女性用に用意されている小屋に入り、用を済ます。さすがにマテオをここまで入れるには非常識がすぎる。

 数十年前に今とは別の流行病が広まった際に、下水を管理するようになってから、ルナーラ王国と周辺諸国は衛生的になった。水の都として崇められるだけあって、排泄物の管理も聖堂の技術を用いて徹底的に整備されている。だからこういった小屋は、巡回する劇団が誰でも簡単に使えるように建てることが義務付けられている。便利なので、今みたいな祭りの日には様々な人が利用する。

 なので、リネッタの他に利用者が小屋に入ってきてもリネッタもマテオも不審に思わなかった。

 女性に会釈して、横を通り、リネッタは桶に入っている水を汲んで手を洗う。

 手を拭こうと思って、そういえば先ほどマリーに貸してしまったのだと思い出す。入り口で待っているマテオが常備しているとは思えないなあと考えて、仕方なく手を振っていると、女性からレースの見事なハンカチが差し出された。

「よかったら」

「ありがとうございます。でも…」

「すぐに返してもらって構わないわ。綺麗な手を拭くだけでしょう?」

「…では、お言葉に甘えて」

 手を拭かせていただき、自分の使った面を内側に折りたたんでそのまま返す。ハンカチを再度受け取った女性はリネッタの目を見ると、あら、と何かに気づいたように少しだけ首を傾げた。

「失礼、貴女……噂のリネッタ姫様でございますか?」

「えっうわさ……えっと、演目…の? それとも清掃作業の方でしょうか」

 少し照れつつもしどろもどろに反応すると、女性は「どちらもよ」と優雅に笑った。

「実は私この劇団の裏方をしているのだけれど、先ほどバロン様がテント裏の方で貴女を探しているとおっしゃってて。よかったわ、偶然にも会えて。まだいらっしゃると思うわ」

「えっそうだったんですね。ありがとうございます。なら、向かってみますね」

「ええ」

 リネッタはすぐに小屋を出て、マテオの元に合流する。


「バロン様がテント裏で私を探していると聞いたの。向かってもいい?」

「わかりました。早速行きましょう。さっき小屋に入っていった女性から聞いたんですか?」

「そうなの。劇団の裏方の方だって。でも、あんなにお綺麗な方なのに裏方なんてもったいないわ。そう思わなかった? マテオもああいうお顔の女性好きでしょう?」

「さすが姫様、俺の趣味がよくわかっていますね。でも個人的にはもう少し年齢が低ければドンピシャなんですけど、あそこまで綺麗だったら……」


 会話しているうちに目的の場所についたが、バロンはいない。

 リネッタとマテオはわずかな違和感を胸に、足を止める。

 テント裏に電気はなく、日が落ち切った今は薄暗い。すっかり公演の片付けも終わったのか、静寂である。


 リネッタは後退りしてマテオの方に近づいた。マテオも腰に下ろしている剣に手を置く。

「戻りましょう」

 とリネッタが小さな声で言った瞬間だった。前方から何かが投げ込まれ、即座にマテオが剣の平らな面を使って押し戻そうとした。しかしその接触の瞬間、衝撃によって投げ込まれた何かは昼間の太陽のような強い光を発光し、リネッタとマテオの視界を白で埋めた。


 たった一瞬だった。

 リネッタもマテオも、普段から警戒を怠っていない。現に今も、最大限に近い場所で守られるために構えていたはずだった。

 だが、相手が悪かった。

 こちらが一人の護衛騎士に対し、相手は闇の中に6人も隠れていた。そのうちの一人が、二人の死角から閃光の間に現れ、リネッタの腕を引く。引っ張られたはずみのまま別の男にリネッタの体を受け止められ、そのまま担ぎ出され、リネッタは地面から足を浮かせた。


「っ姫様!!!」


 男たちはもう一度マテオに向かって物を投げる。今度はそれを叩き切ると、液体がマテオの全身を襲い、彼の体に付着すると粘性を持って動きを止めさせた。



 たった一瞬の出来事だった。

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