53 思惑
謁見の間では広すぎる、ということで、謁見の間に隣接する円卓のある部屋に全員が移動する。
最初にルシアとシルビオ、リネッタと続き、ホセが場違いではないか心配しながらもそそくさと続いて、ベアトリスも追うように入室。急かされるように、ソレイユ王国の聖堂長バックスと聖職者四人が入り、その後ろからトール、そしてリクとディノと、ディノの騎士とルシア王妃付きの騎士たちが入り口を再び固め、待機した。
「どうぞ皆様お座りになって」
いつもの朗らかで優しい笑顔の王妃ルシアが全員に対して言葉をかければ、静寂の中、椅子を引く音が部屋を占めた。
バックスたちもおずおずと座ろうとすると、ディノがバックスの座る椅子を引き、どうぞ座りなさいと促すように笑顔を向ける。苦笑いを浮かべたバックスが腰を下ろせば、彼の隣にディノが席についた。ガッチリ監視する形になる。
「この場の話は俺が進めるとしよう」
シルビオが司会役を買って出て、有無を言わさずに話が始まった。
「まずはソレイユ王国の聖堂の皆様は、なぜ謁見の間にいらっしゃったのか、詳細をお聞かせ願おうか」
全員の視線がバックスに向けられる。バックスは逃げたい一心で青ざめた顔のまま「ええと、その……」となかなか続く言葉を見つけられずにいる。
「ルナーラ王国にわざわざこっそり自らの足で赴いて、聖女様に浄化のご依頼をなさっていたんですよね。ちなみに、僕たちソレイユ王家は全く知らされていなかったんだけど」
ディノが彼をサポートするような素振りで、しかし実際は追い込むような内容を告げる。ベアトリスが怪訝な顔でバックスを見る。どうやらベアトリスは、ソレイユ王国直々の依頼だったのだと今の今まで思っていたのかもしれない、と、リネッタはその表情から察した。
「え、へ、へへえ、その……依頼につきましては、その、ですねえ」
「今は謁見の間に訪問した理由を尋ねているのだが」
「は、はいいっ」
先ほどベアトリスに掴みかかろうとしていた気力はどこへやら、弱々しく声を出すバックスは挙動不審に手振りを大きく動かす。彼の太い指先についた金の装飾品がやけに眩しく反射する。
「わ、わたくしどもめは、ええ、豊食祭の式典にて、聖女様のお力が戻ったのを確認したので、急いで我々の依頼を達成していただこうと直訴しに参った次第です、はい……」
バックスの言葉に、リネッタが口を挟む。
「随分と性急ですね。本来謁見の間に入るには正式な手順を踏まなければならないのですが。まさか我が国の聖堂長ともあろうお方が、そういった礼節をわきまえない、なんて…あってはなりませんよね」
その問いはディノに向けられている。ディノはリネッタの問いに対して
「あってはならないですね。僕たちが築いた信頼を無に帰してしまう恐れがありますので」
とバックスの顔を見つめながら答えた。
バックスは左頬に当たる視線を強く感じながら当然そちらを見ることなく、冷や汗を垂らしている。
「では次の質問に移ろうか。ソレイユ王に許可も取らず、浄化依頼を聖女にした理由を教えていただこう」
「先ほど言いかけていましたよね、聖堂長。僕らも知らないのでぜひお聞かせ願いたいのですが」
次に追い打ちをかけるのはリクだった。無垢な瞳で従順なフリをするが、その場のソレイユ王国聖職者は当然リクとトールがこちら側でないことをわかりきっている。
ぐっと奥歯を噛み締め、発言権を持っているバックスは観念したように表情を歪めながらも口を開いた。
「我々は、聖女様の後ろ盾が欲しかったのです。そのためにまず、大量の浄化水を持ち帰り、科学技術以上に浄水された水の量を持っている、という権利を得て、ソレイユ王と交渉したかったのです」
「どのような交渉を求めたんだ?」
「……ソレイユ王国聖堂の立場の向上です。ソレイユ王国でも水の利権は聖堂にあるというのに、我らは王家の干渉を受けざるを得ません。せめてルナーラ王国のように、完全に対等にしていただくために、聖女様との繋がりを示したかったのです」
傲慢だ。と、リネッタは思った。その手についている金色の装飾は贅沢の限りを費やさなくては得られないものだ。それほどの富も権利も得ていると言うのに、王家の支配からも脱却したいというのは度がすぎている。
それにバックスは大きな勘違いをしている。それを正したのは、シルビオだった。
「お言葉だが、我が国も聖堂と王家は完全な対等ではない」
「……はい?」
「水は誰にとっても必要不可欠なものだ。だからこそ使い方を慎重に考えなくてはいけない。その責任を持つのは我々王族を中心とした政治にある。聖堂は管理と運用に当然権利を有してはいるが、決定権は持ち合わせない。聖堂が反旗を翻すというのなら強制的に弾圧する権利は王族側にあるということだ」
「で……ですが、ルナーラ王国には聖女様がいらっしゃるでしょう! 聖女様が力を使わないとなれば国の死活問題でしょう!? それを弾圧するというのですかッそんなの人権侵害だ! 聖女様も納得がいきませんよねえ!?」
バックスが感情のままベアトリスに向かって意見を投げるものだから、ベアトリスはまた肩を震わせてすくみ上がった。
そんなベアトリスの前に、隣に座るリネッタが手を広げ、守るような形をとる。
「バックス聖堂長、それが敬意ある者に対する態度でしょうか。先ほどから、聖女様に強い口調を使って支配しようとしているように見えます。……相手が若い女性だからと、侮ってはいませんか?」
「ぐっ……」
同年代の自分だからこそ、言うべきだと思った。
シルビオやディノ相手にはすくみ上がっているのに対し、ベアトリスには高圧的だ。語気を強くすればベアトリスが頷くとでも思っているのだろうか。リネッタは怒りを持ってそれを食い止めたかった。
リネッタの怒りが通じたのか、バックスは動きを止め、感情的に振り上げていた腕をテーブルの上に落とした。
「続けましょう。我々ルナーラ王国は、あなたの言う軋轢が生まれないよう最善を尽くしております。そしてそれはきっとソレイユ王国も同じでしょう。ソレイユ王家は国民のためを思って動ける人々である、だから我々は水の輸入のため貴国と取引を行ったのだと、我が父アレハンドロ王が言っておりました。ここにいるリネッタ、ディノ、リクと関わってきて、俺もそれは嘘ではないと断言できます」
リネッタたちはどこかくすぐったい気持ちになりながらも、自分たちがシルビオに善く見えていたことに深く安堵した。
「ではソレイユ王国聖堂長、あなた方の言う立場の向上とは、具体的にどういうことを指すのでしょう。答え方によっては、ソレイユ王国への叛逆として報告しなければならない」
聖職者たちは唇を噛み締め、各々が指につけている装飾品を隠すようにテーブルの下に手を下ろした。
バックスはぐったりとして、うろんな目でシルビオを見て、そしてリネッタとベアトリスを見て、そしてハッとした。
彼はリネッタの隣にいるホセの姿を捉えていた。
「……お前が……お前がちゃんとうまく扇動していれば……」
「えっ、はい? ボク?」
まさかホセに矛先が向くとは思わず、一同はホセを見る。
バックスは立ち上がり、ホセの方にずんずんと歩み寄った。
「お前がしっかり聖女を持ち上げていれば、聖女と王子の結婚は間違いなかったと言うのに!」
「───!」
リネッタはその瞬間、ホセが受け取った手紙と金貨の存在を思い出した。
シルビオの方を見れば、彼も同じことを考えたのだろう、目を合わせて頷く。
「これ以上ルナーラ王国で恥を晒さないでください、バックス聖堂長」
ホセに掴み掛からんとするバックスを羽交い締めにしたのはディノだった。背の高い彼に動きを止められては、バックスも足をバタバタさせるだけだ。
その隙に、リネッタが「ホセ」と呼びかけると、ホセはポケットからテーブルの上に折り畳まれた紙を置いた。
「それは…!」
バックスはその紙の内容を広げるまでもなく理解したようで青ざめる。
「レイズリー社への賄賂については、とうに調べがついていますよ」
と、シルビオも、ソレイユ製の金貨を胸の前で見せつけるように取り出した。
聖職者たちはあわあわと動揺を隠しきれずにいた。
「なるほど、聖女との繋がりを得た上で、聖女が我が国の王妃になれば後ろ盾が大きくなると考えたのか。だからレイズリー社に賄賂と情報を送り、国民を扇動しようとしたんだな」
「他の新聞社じゃなくて我が社を選んだっていう点は、とっても見る目があってよかったんですけど、ソレイユ聖堂長さんすみません、ボクは幸運なことに、殿下やリネッタ様と仲良しだったんですよね〜」
とか言って、最初はちゃんと聖女贔屓の記事を書いたくせに……と突っ込むのも野暮なので、リネッタは口を閉じたままであった。
「こうした賄賂は他にも送っているのだろうか」
「いえ、いいえいいえ! 送ったのはレイズリー社だけです! それ以外に我々はなにもしておりません!」
「本当だな?」
「誓って……!」
顔面蒼白のバックスを見て、シルビオは少し考え込んだ後「わかった」と言い、その言葉を合図にディノもバックスの体を離した。
バックスはへなへなと地面に座り込んでしまった。
「ソレイユ聖堂の皆さんの目的はこれで明らかになったのかしら」
ルシアがゆったりと言えば、緊張感も少しだけ緩み、ホセやトールが背もたれに体を預け始める。
「ひとまず、ソレイユ王家に報告できる内容は揃ったでしょう。これ以上時間も取れませんから、後のことはリクに任せます。──それでいいだろうか」
「はい、承りました」
バックスたち聖職者は騎士に促され、別室に移行される。
立たされたバックスに、ホセがテーブルに置いた紙を広げてみせた。その紙はただの走り書きで、広げた紙の後ろでホセがしてやったりという顔で口角を上げた。バックスの顔がみるみる赤くなり、地団駄を踏むようにして部屋を出た。
既に証拠となる手紙の原本はこのルナーラの王宮に保管されている。バックスたちを移送したあと、その書簡もリクの手に渡って共にソレイユ王国に返されるのだろう。
「リネッタ姉様、ディノ兄様、僕とトールはこれにて用を済ませたので、ソレイユ王国に帰ります。後の始末は僕にお任せください」
「リク……」
リネッタは名残惜しく名前を呼んだ。帰ってしまうとなれば、やはり寂しかった。リネッタは特に、これまでの人生でリクと過ごした日々は多くない。この2ヶ月はリネッタとリクが姉弟らしく過ごすには忙しすぎた。
「もっとゆっくり遊びたかったけれど、もうしばらくは無理そうね」
「はい。でも、直接顔を合わせることができて本当に嬉しかったです。また必ずルナーラ王国にきます」
「……!」
リネッタがソレイユ王国に帰ることを想定していない言い方から、リネッタはリクの未来予想を察した。
「それに、ベアトリス様にも教えたいことがありますから」
リクとトールはリネッタたちから離れ、ベアトリスの方に向かい、挨拶をした。ベアトリスも二人に深く頭を下げ、複雑な表情で応対した。きっとまだ、ソレイユ聖堂長の思惑を知って戸惑っているのだろう。
「それでは」
リクはバックスたちが移された部屋に向かうため、部屋を後にする。部屋を出る前に、シルビオとルシアの方を向いて、恭しく礼をした。頭を上げたあとにシルビオを見つめるリクの視線には、信頼と願いが詰まっていた。
「なーんか腑に落ちないことが残ってるんですよねえ」
聖職者たちとリクとトールがいなくなった部屋に残された中、ホセがふと全員に聞こえるように独り言を口にした。
「目的はわかりましたけど、そもそもなんであんなに早く聖女様が見つかったことを知っていたのか〜とか、レイズリー社だけにしか賄賂を送ってないんだとしたら、ベリック社がリネッタ様を貶めようとしたあの記事は無関係ってことにしちゃっていいのか〜とか、色々気になるんですが」
そう言い張るホセの視線は、ベアトリスに向けられた。ベアトリスはホセと視線が合うと、バツが悪そうに逸らす。
「私は、何も知らないわ」
「……本当か?」
「っ……!」
シルビオの質問にどきりとするも、ベアトリスはゆっくりと頷くだけだった。
「本当に、知らないことしかなかったわ。バックス聖堂長の思惑もさっき知ったばっかりよ。ベリック社の報道には、見たままを答えただけだわ。記事の内容は、知らない」
「ま、証言がどうであれ、あそこの三流記者なら自分に都合よく発言を捻じ曲げたりしますからね〜。本人がそう言うなら深く考えない方がいいんでしょうね」
「そうだな」
シルビオの相槌に、ベアトリスはほっとしたようだった。
「なんだかすっきりしたようで、しない結果になったわね」
「そうだね」
リネッタがもやもやとした気持ちのまま呟くと、ディノがそれに頷いた。
何かまだ、見えていないものがある。せっかくの豊食祭初日だと言うのに、そんな確信を持って、リネッタは一日を過ごすのだった。




