51 強引な提案
予想外にも、聖女の力が僅かに戻るという奇跡が起きて、祭典は大成功と言っても過言ではなかった。
熱が冷め止まぬ観衆の喜びは幸せに満ち溢れている。城門のバルコニー上から人々の様子を隣り合って眺めるリネッタとシルビオは、安堵に包まれながらも、まだ気を抜ける状況ではなかった。
両陛下と聖女が手を振り、祭典を終わらせようと文化省大臣が司会を続ける。形式的な文言を続ける中、もともとホセが待機していた死角に、リクとトールが駆けつけた様子を視界の端に捉える。聖女の力が戻ったのを確認して急いで来たのだろう、二人とも息が上がっている。祭典が終わるまで待機するように、とリネッタが視線を合わせて小さくジェスチャーをすれば、二人は頷きその場に腰を下ろした。
「それではルナーラ王国民の皆様、また、他国からお集まりの皆様。改めて、これより豊食祭を開催といたします!」
言葉の締めに開会宣言をあげると、わああっと観衆は盛大な拍手と歓声を送った。
城門上の人たちは順次退場となるのだが、入場とは逆で、役員たち、大臣、そしてリネッタといった順番である。規律正しく役員たちが去れば、次にリネッタが中央に向かい、観衆に礼をして退場───となる予定だったが、
ざわっと城門前の人々はどよめきを抑えられなかった。
礼をするリネッタの後に、彼女の隣にシルビオが立ち、同様に観衆に向かって礼をした。
そして、リネッタをエスコートする様に手を差し出し、リネッタもその手を取った。
「その代わり、というわけではないんだけど──」
難民地域の森から抜ける途中にシルビオが言いかけた言葉の続きを聞いたのは、その日の宿舎で夕飯をとった後のことだった。
湯浴みを終えてもう寝るだけという時に、帰り道の続きなんだけれど、と、宿屋の小さなラウンジでお茶を提案されて二人は話の続きをした。
「奉納の儀式の退場はぜひリネッタと一緒にしたい」
リネッタのお茶を飲む手が止まり、もう一度ソーサーにカップを置いた。
「でも、ベアトリス様や文化省の方々の要望は祭典中ずっと、ではないの…?」
「義理は果たしていると思うんだけど」
「だっ……としてもうーん」
シルビオって時々切れ味の鋭い言い方をするなあ、なんてリネッタは思いながら、どう返事をすればいいのか悩んだ。
シルビオの提案は、嬉しい。それはもう、天にも舞い上がる心地だ。だって、ようやく参列席の格式がシルビオと同等になる初めての年だったから。シルビオの隣にいる名誉を感じたかった矢先の提案に肩を落としたのは事実だ。
「式典を見ている人たちに混乱をもたらしそうで、素直に頷けないわ」
「混乱? どうして」
「入場の時に聖女様をエスコートする王太子の図があって、式典中だってその流れで隣に並ぶわけでしょう? なのに最後だけ聖女様を放置してしまう、ってなると、段取りはどうなっているんだ〜って見ている方は考えてしまうじゃない。せっかくこれから豊食祭本番だわってワクワクしているでしょうに」
シチュエーションを想像してシルビオに説明するも、シルビオの表情はスンとしていて変わらない。伝わらなかったのかしら、と首を傾げると、シルビオも同じ様に少し首を傾げて言った。
「でも、元々リネッタが立つべき場所は俺の隣だろう。混乱するとしても、リネッタとベアトが同じ俺の婚約者候補として同等の立場にいる以上、国民もそれなりに解釈して受け取ってくれると思うよ」
「そ、そういうもの……?」
「うん。リネッタは少し寄り添いすぎな気がする」
シルビオが少しだけふふっと息を漏らして笑った。なんだか気恥ずかしい心地がしてリネッタはさらに首を傾けていく。
「でも、人前に立つにはそれなりに考慮したい気持ちがぁ……」
「リネッタはどうしたい?」
「え……」
悩むリネッタに簡潔な質問を投げかけた。リネッタの目がぱちくりとゆっくり瞬く。
「ちなみに俺は、隣にいて欲しいからこういう提案をしているんだけど」
そんなことを言われては、リネッタはもう素直に頷くほかなかった。
というやりとりがあって、今に至る。
ああほら、やっぱりみんな動揺してるじゃない。と、笑顔を浮かべつつも内心気まずい気持ちでシルビオの腕に回した手に力が入ってしまうが、シルビオはなんでもないように涼しい横顔で、どころか、少し楽しそうに口角を上げてリネッタを見守っていた。
ぱちっと目が合えば、リネッタも今まで考えていたことが一瞬で飛んでしまい、あ、嬉しい、と純粋に幸福を感じた。
ただ、城門のバルコニーから出るまでの、とても短い時間。
願わくば、これが当たり前の立ち位置になればいい、とリネッタは強く願った。
***
本日の大仕事はこれにて終了である。だが、王宮に戻った一同は緊張感を解かずに、再び謁見の間にて集合することになった。
「ベアトリス様、もう一度再現いただけますでしょうか」
リクがベアトリスの左の手首を優しく掴みながら言う。
「はい」
と神妙にベアトリスが頷き、両陛下、シルビオ、トール、ホセ、そしてリネッタの前で、右手に持った濁った水の入ったカップに対して浄化の力を行使した。
カップの中身が僅かに光り輝き、濁りが薄くなったことを全員が確認する。そしてリクも、カップを受け取り、ベアトリスから手を離せば、優しい笑みを浮かべた。
「間違いなく浄化の力でしょう。魔力の流れが我々のものと性質が違います。ベアトリス様、今はこれで全力ですか?」
「ええ、これ以上はまだ……」
悔しげに視線を落とすベアトリスだが、「いや」とアレハンドロが口を挟んだ。
「戻っただけで十分です。本当に良かった」
「………」
ベアトリスの前で、威厳のあるアレハンドロがここまで穏やかな顔つきに戻るのは、ベアトリスが見つかった、と初めて対面した時以来だった。ベアトリスはようやく、力が戻ったことを強く実感した。
───聖女様のお力が、ルナーラ王国にどれだけの安心をもたらすのか、わかってたことだわ
謁見の間で初めてベアトリスを見た日のことを、リネッタも思い出していた。安堵の空気を身をもって体感し、事の重大さを改めて思い知る。
そしてあの時とは違い、リネッタ自身も聖女の力の回復に深く心が救われた心地だった。ルナーラ王国の人々が20年もこの安堵を待ち望んでいたのだと、深い深呼吸と共に理解した。
「回復したとはいえ、まだ微弱だ。そして回復の要因には心当たりがある。それは聖女様も理解しておられるな?」
再び、空気が張り詰める。名指しされたベアトリスは両手を腹部でぎゅっと握った。
「……アレハンドロ王様が宣言なさった通りだと、私も思います。それを踏まえて、今回私が力を使えたのは、間違いなく隣に立ってくれた人の存在が大きいと思いました。私は、私のために抗議してくれたシルビオをずっと意識して、彼のためにもここで力が使えたのなら、と……リクさんやトールさんに教えてもらったことを活かして力を使ったのです。その結果は微弱でしたが、効果として現れました。思いの力が聖女の魔力を取り戻したのだと考えています」
ベアトリスは感極まったようで、目にうっすらと涙の膜を張る。握っていた両手は、胸の前で再び力を込められた。笑顔で堂々と答えるベアトリスには自信さえ見える。
きっとベアトリスの思いは真実なのだろう。愛の力が彼女の力を取り戻すトリガーになったのならば、美しい話この上ない、と、リネッタは物語をなぞる様な感覚でぼんやり受け止めていた。
ベアトリスの視線はアレハンドロから、シルビオの方に移り、そして笑いかける。感謝の気持ちがこもった優しい笑顔だ。
リネッタは思わず、自分の斜め前に立つシルビオの顔色を窺った。
シルビオは確かにベアトリスを見ている。けれど、彼女の笑顔はシルビオの表情に変化をもたらさない。どころか、何かを考え込むように、眉が僅かに動いたような気がした。
リネッタがそんなシルビオに疑問を抱いていると、アレハンドロが大きく息を吐いた。
「………まあ、よい」
「っ………」
何か間違えてしまったのかと焦るような顔でベアトリスがアレハンドロを見るが、アレハンドロはベアトリスと顔を合わせる事なく彼女の横を通り過ぎていった。
「皆の者、とにかくゆっくり休みなさい。特に聖女様はしっかりご静養なさるように」
「……はい」
従者や大臣が謁見の間の前に大勢控えている。扉が閉じられ、複数の足音が遠く離れていくと、やっとベアトリスは呼吸ができたように肩を上下させた。
「リクさん、トールさん、改めてありがとうございました」
ベアトリスが素直に二人に対して頭を下げる。面食らったリクとトールは目を丸くして、すぐに返事を返すことができずにいた。
「私、力が使えなくて不貞腐れてしまっていて、お二人には本当に迷惑をかけたと思ってます。その点はお詫びします」
「あ、ああ、えっと……受け取っておきます……。けれど、仕方のないことです。頭を下げる必要はありません」
リクは困ったように笑ってそう答えた。
「いえ、お二人が力の使い方を改めて教えてくれなければ、あの場を乗り切れなかったかもしれないので」
頭を上げたベアトリスの髪の毛がさらさらと流れる。
そんな様子を見守っていたリネッタに、ホセがこそこそと近づいて小さい声で尋ねた。
「リネッタ様と殿下の目的って、これで達成ってことになるんですか?」
「一応達成したことになるのかしら…? 私個人としては、全盛期のお力に戻るまで安心できないけれど」
「多分殿下もそうお考えですよね。でもこれ以上何ができるんです?」
「そりゃあまた各地を回るしか……あ、次はベアトリス様もご一緒して貰えば効果が高まるかしら」
「リネッタ様さぁ………そんな名誉を分け与えるようなことしちゃうのは、本当に……」
「え? 何かおかしい?」
うんざりした顔のホセに首を傾げるが、ホセは「いーえなんでも」と締めてリネッタから離れた。
そんな折だった。
「ねえ、だからシルビオはやっぱり私と結婚した方が良いと思うの」
ベアトリスの宣言に、時間が止まったと錯覚するくらい、リネッタは身を固くした。
「なんでそんな話……」
思わずリネッタは呟くが、ベアトリスの視線はシルビオでいっぱいだった。シルビオの手を取って、真剣にベアトリスが続ける。そんな様子を、この場の全員が見守る形なのだが、ベアトリスはもう他の人の視線など気にしていなかった。むしろ、自分の真剣さを伝えるためにも、どうか見守っていてくれと言わんばかりの堂々たる佇まいだ。
「さっきも言ったけれど、私の力はシルビオへの想いが大事なの。力を失った時は、自信をなくして、シルビオの私への想いがなくなっちゃったことに絶望して……だから私もそれに引きずられてしまったんだけれど、シルビオからの想いよりも、私からの想いが大事なんだって、気づいたの。だから力は戻ったけれど、でも……やっぱり完全じゃなかった」
「ベアト、それじゃあまるで」
「そう、シルビオが誰を好きでもいいの。でも、この国のことを思うと力を取り戻すことはとても大事でしょう? ねえ、リネッタさん」
「!」
この部屋で、初めてリネッタとベアトリスの視線が交わる。ベアトリスはどこか怯えた様な目つきながらも、しっかりとリネッタを見据えた。突然話を振られたリネッタは驚き、二の句が継げない。
最初から返事を期待していなかったのか、ベアトリスは続けた。
「結婚という形で、確実な縁を結べば、私の力は確実に元に戻る……ううん、もしかしたら今まで以上の力を発揮できるかもしれないわ。それに、この国の歴史も、この2ヶ月で知ったの。聖女と王が結ばれた時が一番栄えていて、そして国民は今まさにその再来を待ち望んでいるってことも」
ベアトリスは幼少期から今までを国外で過ごしていたため、この国の教育を受けていない。だから今まで歴史を知ることもなかった。
婚約者の座をリネッタと競い合うことになった日にアレハンドロが口で伝えたことはあったが、自らの手で調べ理解した今、より一層、その歴史が彼女の思いを強くする後ろ盾になった。
ベアトリスの自信と確信に満ちた瞳がキラキラと輝き、力強い表情である。シルビオも彼女の勢いに気押されてしまうんじゃないか、とリネッタは心配になって様子を窺ってしまう。
「それはあくまで、過去のお話ですよ」
しかしここで話を遮ったのは、今まで沈黙を貫いていたルシア王妃だった。
「シルビオのお母様……」
「……聖女様、いえ……ベアトリスさん、と、昔のように呼ばせてちょうだいね」
「はい、もちろん! ……えっと、それで……」
ルシアは微笑んでいるというのに、いつもの柔和な雰囲気はない。リネッタの背後で静かにしているホセが「おーこわ」と小さな声で呟いた。
「ベアトリスさん、私のお仕事って、そんなに簡単そうに見える?」
「え?」
「シルビオと結婚するということは貴女は私の立場になるということだけど、その意味はもちろんわかっているでしょう?」
にこりと微笑んでいた彼女の目が、ゆっくりと開き、口角を上げながらも決して笑っているわけではないその表情で、この場の空気を完全に支配した。




