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幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない!  作者: 巻鏡ほほろ


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46 堕ちた名誉

 すっかり日課となった朝の情報収集、今日のベリック社の報道はリネッタの眠気を覚ますのに十分すぎた。

 急いで身支度を進め、リネッタは王宮内に向かった。朝食の時間どころではなく、足が向かう先はルナーラ王アレハンドロの応接室である。はやる足取りと緊張からノックする手が震えてしまう。

「入りなさい」

 アレハンドロの威圧感のある声が扉越しに聞こえ、恐る恐る入室する。室内には既に青ざめた様子のシルビオがソファにてアレハンドロと対峙していた。

「同じ要件だな。さて、この対応をどうする」

 怒鳴り散らすことなく、ただお茶を飲むときに交わす会話のようにゆったりとアレハンドロが言うが、リネッタもシルビオも冷や汗と動悸が止まらなかった。

 ベアトリスの名誉が一瞬にして損なわれるという、恐れていた事態になってしまったからだ。


 かつてリネッタは自分にかけられた疑惑を払拭するために、学園の後輩である新聞会社社長の嫡男ホセ・レイズリーに協力を仰ぎ、自分たちが得た事実を公表する形で難を逃れた。ベアトリス襲撃事件の犯行にリネッタは関与していない、ただそれだけを伝えた。

 報道のやり方によってはこの事件の矛先をリネッタからベアトリスに向けることも可能であったし、事実ホセはそれとなくベアトリスへの疑念を口にしていた。しかしリネッタはベアトリスに疑いの目を向けるようなやり方は阻止した。

 ベアトリスはルナーラ王国唯一特別な聖女だ。しかも20年間不在だった中やっと現れた、国民の特別な想いを背負った存在だ。そんな彼女を貶めるのは、国民に不安を撒き散らすことと同義であった。

 この国の王妃としてシルビオの隣に並び立ちたいと考えているリネッタは、国民のためにもベアトリスを守りたかった。そもそも、個人的な感情であったとしても、シルビオの大切な人であり、いっときは自分も仲良くなりたいと願った女性を晒し者にするようなやり方は嫌だったのだ。

 だから、慎重にベアトリスを扱いたかった。難民地域への同行願いも、彼女の身元を隠すように徹底した。そのつもりだった。


 しかし結果としてこの報道だ。どこかに綻びがあったことは間違いなく、そしてその原因は同行の判断を下したリネッタにあることを重々承知していた。


「まずは、ベアトリス様を現場に連れてきて欲しいとお願いしたのは私です。今回の判断は私の考えが甘かったところにあります。時間帯、周囲の警戒への徹底した指令、どれも油断からこのような結果に至ったのだと反省しております」

「……」

 アレハンドロの沈黙が重い。リネッタの言葉にシルビオも悲痛な面持ちで続けた。

「リネッタだけの責任ではありません。俺が共に考えていたのにも関わらず、彼女の言う部分にまで及びませんでした。むしろ、現場の最終指揮権がある俺こそが慎重に判断すべき案件でした」

 シルビオの言葉に心強さを感じつつも、リネッタは起きた事柄が取り返しがつかない今にただ焦燥感を覚えた。膝の上に置いた手のひらがじっとりと濡れる感覚がする。アレハンドロの視線は頑なに動かず、二人を射抜いている。部屋の中の沈黙に重力を感じる。

 リネッタは呼吸をしやすいように、大きく息を吸い込んだ。

「ベアトリス様の名誉回復のために、やるべきことを考えます。不躾ながら、シルビオにも、そしてアレハンドロ王にも、お考えをお貸しいただけないでしょうか」

「リネッタ……」

 今すぐ何か妙案が浮かぶわけでもないが、一刻も早い解決が望まれる。リネッタは自分の無策を恥じることなく、真摯に協力を願い出た。シルビオとアレハンドロのことを信用し、何よりも家族のように思いたいからだ。厳しい視線を向ける国王としてのアレハンドロに呑まれそうになるが、その恐れ以上に頼り甲斐のある存在であることは間違いなかった。

 リネッタがこの場に赴いたのも、謝罪だけでなく、アレハンドロによる助力を願い出るためでもあった。

 しばらくリネッタとアレハンドロの視線がぶつかり合い、お互いが逸らすことなく時間が経つ。

 そして、ふっと口角を緩めたのはアレハンドロであった。

「もちろん、一緒に考えようではないか」

 リネッタとシルビオの表情がぱあっと明るくなった。

「ありがとうございます!」

 と口を揃えて言うのだった。



 リネッタはまず、なぜベアトリスを難民地域に寄越したのか、という部分について、自分の考えを述べた。

「ベアトリス様のお力が失われたのには、彼女の意識が関わっているのではないかと思ったのです。私の推測に過ぎませんが、失礼ながら申し上げますと、ベアトリス様はご自身の力や立場についてあまり責任感を持っているご様子ではありませんでした」

 海で対峙した時の、諦めて失意に満ちたベアトリスの瞳を思い出していた。シルビオも思うところがあるのか、リネッタの意見に否定することはない。

「また、私が聖女様について書庫を閲覧した際、聖女様がどのようにして生まれたのか、その歴史を知ることができました。今回の協力のため、シルビオと我が弟リクとその従者トールには伝えましたが、それ以外には公言しておりません」

「聖女の歴史、というのは、生贄のことか」

「!………はい、そうです」

 やはり、アレハンドロの立場であれば知っていたのか、と思いながら、リネッタは固唾を飲んだ。

「聖女の成り立ちについて、学園で聞いたこととの差異に驚いただろう」

 確認するようにアレハンドロが二人に問う。シルビオが頷き、自嘲気味に言った。

「授業では、もっと清廉で純粋なもののように語っていましたから」

「神話のようで現実味もあまり感じられなかったので、むしろ納得したところもありましたわ」

 リネッタも素直な自分の意見を述べた。

「長い時間、当たり前のように聖女は我が国に存在していた。ベアトリスが見つからなかった期間が異例と言えるくらいにはな。その恩恵を受けるだけ受けて、聖女の仕事や管理については聖堂に一任していた。当然蔑ろにしたわけではないが、当然いるものである、と聖女の存在に対するありがたみが形骸化したのは、我ら王家の対応にも問題があるのだろう」

「では、今度は私たちから聖堂に歩み寄るべきなのでしょう。私たちの動きが、国民の心を動かすきっかけになるかもしれません」

 アレハンドロの言葉に、リネッタは自分が何をすべきなのか思考を巡らせる。

「聖堂に、王室が働きかけるとしたら……具体的にはどうすればいいんだろうか。聖女に対する行動の強制は難民地域にベアトを連れてくるようお願いするくらいが限度だ。それ以上は越権行為にあたる。ベアトそのものを長期間動かそうとするのは難しいし、彼女の意思を蔑ろにはできない」

「そうなのよね……でもきっと、そんなことをしなくてもベアトリス様や聖堂に対して、一つ、大きなことをすれば………」


 ふと、リネッタはシルビオたちに聖女の歴史を話していた時のことを思い出した。



 ———歴史の他にも、気になったところがあったの。それがこの記述なんだけれど……


 ———そもそもの歴史が伝わっていないのだとしたら、『歓謝水の儀式』のように、水に感謝するという行いが希薄になっているんじゃないかと思ったの。


 ———……少なくともベアトリス様はこうした儀式を行っていないわけだから、一回実践してみるのもいいんじゃないかと思って…。



「儀式……」


 リネッタが呟く。


「国民を代表して、王家が聖女に感謝を伝える儀式をしましょう。そして同時に、かつてあった歓謝水の儀式に似た、前聖女が習慣化して行っていたという儀式もベアトリス様に行っていただきましょう」

「それはきっと可能だが、それによってベアトリスの力が戻るとは限らないだろう。儀式を行ったにも関わらず力が依然戻らないのであれば国民の失望は大きい」

「はい。ですので、儀式については秘密裏に行います」

「なんと?」

 リネッタの考えはこうだった。


 ベアトリスの意識、振る舞いを変えるきっかけに大掛かりな儀式を形式的に執り行いたい。

 そしてその様子を記録して、いずれ国民に示したい。


「国民にこの儀式の存在を明かすのは、真にベアトリス様に力が戻った時にするのです。そして強制的に儀式と力の関係性を強固なものとして植え付けます」

「博打だな」

「おっしゃる通り、解決策としてはただの保険……願掛けにすぎません。ベアトリス様のお力が戻るか戻らないかわからない状況ですから。しかし王室と聖女様がこの国が信仰する海の神に対して頭を下げた、という構図を見せた上で力を取り戻す、という流れになれば、国民の意識が変容すると思ったのです」


 国立公園の浄化予定池のゴミ投棄、難民地域の環境汚染。きっと各地に聖女の力に甘えて思考放棄した国民の行動の結果があるのだろう。

 リネッタが一番に直したいのはこの国民の意識だった。


「それまでは、私が率先して、地道に浄化予定地の清掃をイバルリ環境大臣と共同で行なっていきます。草の根活動に他なりませんが、そうやって少しずつ環境を良くすることでもきっと海の神に対する感謝の気持ちの表れにもなると思いますし……万が一ベアトリス様のお力が戻らなかったとしても、環境問題に向き合えると思うのです」

「俺も手伝います。国の王太子が動くことで更なる効果も得られるでしょう。ベアトに降りかかる非難も、俺が受けます」

「ふむ………なるほどな」

 アレハンドロは二人の話を聞いて少し考えた。

「国民の意識を変える、か」

 独り言のように、リネッタの言葉を繰り返す。

 そして顔を上げ再びアレハンドロがリネッタとシルビオの顔を見ると、大きく頷いた。


「その案を行うとしよう。日付は早い方が良い。シルビオ、お前は聖堂の方に儀式の詳細をまとめ、提案しなさい。1週間後以降であれば都合を合わせよう。そしてリネッタ、儀式の記録係には当てがあるのか?」

「提案の受け入れ、ありがたく存じます。記録係については信頼のおける者が一人おります。彼の報道であれば確実性も国一番ですし、素早く国民に情報が回ると思われます」

 リネッタの受け答えに、シルビオもリネッタが言う人物の顔が浮かんだ。

 ホセ・レイズリー。リネッタとシルビオの学園の後輩にして、レイズリー社の嫡男。

 いっときはソレイユ王国聖堂に脅されて聖女を立てる報道を行なったものの、本人は中立の立場を貫き、かつてリネッタの汚名をその報道手腕によって晴らした。元々レイズリー社の評判は王室にも届くほどの影響力で、レイズリーの名前を聞いたアレハンドロも、それならばと納得したのだった。



 ***



 聖堂の祈りの間にはルナーラ王国両陛下のアレハンドロとルシア、背後に控えるのはシルビオ、そしてリネッタ。彼らの護衛も祈りの間の末席に控え、人数は少ないながらも戴冠式のような厳粛な空気に包まれている。

 青い衣に身を包んだベアトリスが、祭壇前に立っている。全員の視線を一身に受けている。

 目の前の祭壇には供物という名の食材と植物が並べられていた。かつて生贄によって感謝を伝えていたことから死者となるはずの女性を聖女として蘇らせた神への配慮に、血を一滴も出さないよう取り決めた結果選んだものだった。

 祭壇前に立つベアトリスが、アレハンドロとルシアのいる方へ振り返る。ステンドグラスの青を背にしたベアトリスは、まごうことなき海からの使いのように神聖で、リネッタは息を呑んだ。

 ベアトリスは両手で両陛下の手を取り、一歩一歩下がる。祭壇前に彼らを(いざな)ったあとは、手を離し、もう一度振り返って、そして両陛下と共に膝をついて祈りのポーズを取った。


 海への感謝を、そしてこれまでの意識に謝罪を。


「我々の心が、どうか海の神に届きますように」


 ベアトリスの声に、彼女の気持ちがどれだけこもっているかはわからない。けれど、ベアトリスの胸の前で組まれた両手は、強くお互いの指を掴んで離さなかった。




 しかし、この儀式を行なって一月経っても二月経っても、ベアトリスの力が戻ることはなかった。

 国民の不安が拭えぬまま、リネッタは不安の声を耳に入れながらも各地の清掃作業を指揮した。

 リクとトールも特異な動きを見せないソレイユ王国聖堂に歯痒い思いを抱えつつ、リネッタの事業に携わった。

 ベアトリスは報道以後、下手に聖堂を出ることを許されず、少しやつれてしまったのをシルビオは心配した。

 まるで停滞しているかのように事態は変わることなく、そうするうちに、ルナーラ王国最大の祭りである豊食祭が行われることになった。


 不安を抱く国民の前に、初めて公式の場で聖女が姿を現すのだ。

 リネッタたちは来る豊食祭を、怯えるような心地で迎えるのだった。

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