45 向き合うべきこと
マテオの伝令がイバルリ環境大臣に届いてから7日が経ち、公園での清掃からノウハウを得た集団が道具をに馬車に詰めて難民地域へ向かう。
その集団にはもちろんリネッタとシルビオも同行し、そして別ルートでこっそりと聖堂からベアトリスが姿を隠してついていった。
現地につき、森の奥へと草木を分けて進む。意外にも、ベアトリスの足取りは軽かった。こういった整備されていない地面を歩くことに慣れていたからだ。直接会話を交わすことを避けているリネッタは、しかしベアトリスのことを見守らなくてはいけないため、シルビオに彼女の姿を耳打ちされてからはこっそりと行動を盗み見ていた。
次第に悪臭が鼻を掠める。一同の眉間に皺が寄る。思わず手で口を覆うのはベアトリスも同じだった。この状況を知っているリネッタとシルビオ、そして彼らの護衛である騎士たちだけは、表情を変えぬまま足を進めた。
「私が先に事情を説明しに行きます。皆様はここでお待ちください」
リネッタが清掃隊とイバルリ環境大臣を前に宣言し、マテオとネルソンを連れて先に難民たちの方へ走った。
木々を分け入ってテントが見えると、中心よりも右の方に視線を向けて、セラを探した。
人々は再び現れたリネッタをまじまじと見つめるが、リネッタが辺りを見回している様子を見て、奥の方に消える。
少しして、奥の川の方からセラが小走りでリネッタたちの元にやってきた。
「リネッタ様! こんなに早く来るなんて思わなかった」
「こんにちはセラ。再び突然の訪問になってごめんなさい。今日はこの集落の人全員に頼みたいことがあるの。通訳を頼めますか?」
「何をするの? 先に教えて」
「この場所を綺麗に使うためのやり方を教えたいの。このまま汚い状態を続けていたら、もっと病気の人が増えてしまうわ。国の人間がただ掃除をして終わりにしてしまうと、同じように汚れてしまうの。……伝わった?」
「………うん。そうだね」
セラは胸の前に持っている濡れた布を、両手でぎゅっと握りしめた。洗濯をしていたのか、もしくは、病気の人の看病をしていたのだろうか。頷いたセラの表情から、もしかしたら後者なのだろうか、とリネッタは想像した。
「体が動く元気な人だけを集めてください。少しでも体調の悪い人は、参加させなくて大丈夫。それよりも体調を大事にするように伝えて」
「掃除はどこまでやる? 川の方に病気の人多い」
「そうね……一度この状況を見てもらわないとわからないかも……。入口の方に、たくさんの人が清掃のために来ているから、みんなを驚かせないためにも先に事情を伝えてください。説明がわからなかったら、彼、ネルソンというのだけど、彼に聞いていいからね。説明が終わった時も、彼に伝えて」
「わかった」
セラはしっかりと頷いて、早速行動に出た。
彼女を信頼することに決めたリネッタは、ネルソンの方を振り返り「勝手に決めてごめんなさい。伝令役を頼みますね」と伝える。
「承知いたしました」
リネッタの指令に当然だと言わんばかりに、ネルソンは表情ひとつ変えず頭を下げた。そしてその場からセラの動向を見守るようにして直立する。
リネッタはマテオに視線を向けると、この場を離れ、シルビオたちが待つ方に戻った。
そして一通り現在の状況を伝え、セラの説明が終わるまでその場で待機させる。ものの数分が経つと、ネルソンがやってきて「説明が完了しました」と簡潔に伝えた。
リネッタとシルビオを先頭に、全員が集落の方に向かった。一番ひらけている場所で、セラと青年たちを先頭に集められていた。彼らは事情を理解しているとはいえ、やはり見知らぬ外国人が多く現れたことに動揺の色を見せる。しかし、シルビオが率先してセラの方に向かい、視線がしっかり見える距離で姿勢を正した。
「突然の訪問ながら協力していただけることを感謝する。まだ制度が整わない中、苦しい思いをさせていることを改めてお詫びする。言葉の壁はあるが、お互いのために、そして何よりこの場所を綺麗にするために尽力し合おう」
誠意を込めてシルビオが言えば、言葉はわからずとも、青年たちも身が引き締まる思いがした。セラの通訳でシルビオの意思が伝われば、彼らは何度も頷いた。
リネッタもシルビオの後ろでその様子を確認し、ひとまず胸を撫で下ろした。
「………」
リネッタたちの背後に控える清掃隊たちの、そのまた後ろの方の木陰に、ベアトリスが王宮から派遣された騎士を二人伴ってその光景を見守っていた。
目深くフードをかぶっているので彼女の目線は見えない。けれど、ベアトリスの口元にぐっと力が入ったのを、騎士は見逃さなかった。
「セラ、今日は迷惑をかけるわ」
「大丈夫、みんなにも協力してもらう」
「みんな?」
リネッタが改めてセラを労いに話しかけにいけば、セラの背後からぴょこぴょこと四人の少年少女が顔をだす。
初めて会った時に、セラと共に町へ買い出しに出ていたであろう子供達だと気づく。
「ルナーラ語つたえる!」
「ルナーラ人といっぱいしゃべれる嬉しい」
子供達は無邪気にそうリネッタに話しかけた。
「みんな、ラルのように知的好奇心に溢れているのね、素晴らしいわ」
リネッタがそう言うと、ラルの名前にセラの表情がふわっと和らいだ。弟を褒められたこと、それと同時に弟の安否を実感できて、安心したのだろう。
「リネッタ様、言葉がわかる人をこちらにお願いします」
現場を指揮するイバルリ環境大臣に声をかけられ、リネッタはセラと子供達を呼び寄せた。
まずは砂利の上のゴミの収集から始めることとなり、全員が手袋を装着してゴミ拾いを始めた。この場の人たちの手本になるように、リネッタとシルビオはより一層真面目に取り組む。
「殿下、スケジュールについて相談が」
生ゴミを三重にした麻袋に詰め込むシルビオに、イバルリ環境大臣が声をかける。
「……そうか、ならば町の宿泊施設に声をかけて滞在許可をもらおう」
「はい。想像以上に汚れているので……特に川の清掃につきましては深度の関係もあって限界があるでしょう。………聖女様のお力を借りない限りは」
「………」
シルビオの視線が、一瞬入口付近の木陰にいるベアトリスの方へ向けられる。イバルリ環境大臣もその視線をなぞってチラリと見つつ、すぐさまため息を漏らした。
「今日のこの光景が、彼女に影響を与えられるといいのだが」
リネッタが以前禁書庫にて調べた内容の中に、「歓謝水の儀式」というものがあった。
そして聖女の成り立ち——水と生きるルナーラ王国の人々の、海への感謝と愛が呼び起こした奇跡を、シルビオたちは知った。
//我々は海への感謝を忘れてはならない。聖女がいなくなった時は、きっと海から見放されたときであろう。
本の一節にあるこの言葉に、リネッタとシルビオは仮説を立てた。
ベアトリスは感謝を忘れた。聖女としての責任を忘れ、当たり前のように浄化の能力を行使していた代償に聖女の力が剥奪されてしまったのではないのか、と。
誰がそんなことをしたのか、と問われれば、姿の見えない神が、としか言えないことがもどかしい。そんなことはないと訴えることができないも同然だからだ。失ったものをどう取り戻せば良いのか相変わらず見当はつかない。
しかし、ベアトリスの思考に変化があれば、彼女が形だけでも、かつての信心深い生贄たちのように願うことができれば、再び奇跡は戻るのではないのか、とも考えた。都合のいい話かもしれないが、今できることはこれだけだろう、と結論づいた。
ゴミを拾いながら、リネッタは神に向かって謝罪と感謝を思った。
水は空気になり、空気はまた水になる。この場所を汚してしまってごめんなさい、そしてありがとうございます。自分の祈りが何になるかはわからないが、それでも、微力ながら聖女の力として還元されれば良いと思い、リネッタは祈った。
難民の青年たちは、リネッタの真剣な眼差しに思わず胸を打たれる。自分たち以上に、この場所を思っていることが行動から伝わる。
一人の青年がセラに何かを尋ねる、セラがそれに答えると、青年はリネッタの方に歩み寄った。
リネッタの持つ麻袋に陶器の破片を入れると、少しぎこちない感じで「あ、の」と声をかけたのだ。
「はい!」
思わずリネッタも顔を上げて返事をする。青年と目が合うと、青年は気まずそうに視線を泳がし、あー、と声を出す。彼の言葉をリネッタは動きを止めて待った。そして青年が咳払いをすると
「ありが、とう」
イントネーションが少し違うが、確かにそう伝えられた。
「……どういたしまして…!」
リネッタは胸いっぱいになって返事をした。リネッタに笑いかけられ、青年も、思わず歯を見せて笑った。
そして再びずんずんと歩き出してゴミを集め始める。先ほどよりも動きが機敏になった気がした。
「王都以外にも、こんなに酷いところがあるの?」
ベアトリスの護衛にはシルビオ付きの女性騎士、マルチアがついている。護衛をするにも彼女の顔見知りである方が良いだろうという計らいのもと、シルビオが配置させていた。
案の定ベアトリスはマルチアの方にだけ語りかけるように呟いた。それに対してマルチアも「はい」と、簡潔に答える。これ以上何かを言う必要はない。万が一聖女の尊厳を傷つけるような物言いをしてしまえば、首を切られるのはマルチアなのだから。
「……シルビオも、あんな汚いところによく……」
忌々しそうな目つきでベアトリスはシルビオの周辺の環境を見ていた。地面に落ちて食べられなくなった食材が、すっかり腐って虫の集まる場所になっている。それを表情ひとつ変えずシルビオは簡易的に作られた窯の中に投げ入れる。ベアトリスは鳥肌が立っていた。
「……私に力があったら、あんなことさせずに済むのよね」
「………」
マルチアも、もう一人の騎士も、彼女に意見することはできなかった。返事がなくて虚しさを感じるベアトリスは、少しだけ不機嫌に唇を尖らせる。そして力のない自分の手をギュッと握り、思いを込めてみるがなんの効果もない。再び落胆した。
そんな中でリネッタが集落の人間と交流している姿が目に入った。リネッタは汗水垂らして一つにゆわえた髪も少し乱れているのに、表情は太陽のように明るい。相変わらず変なお姫様だなとベアトリスは思った。そして、そんなリネッタの存在が、妙に自分の心をざわつかせた。その場にとどまる足が、むずむずする心地がする。私は、本当にここにいていいんだろうか、と。
「……っ」
その感覚に自覚的になったら、ベアトリスの足が自然と動いてしまった。「お待ちください」とマルチアの静止する声も届かず、ベアトリスが窯のある方に歩いた。
シルビオが近いてきたベアトリスを見て少し驚いた表情になる。ベアトリスはフードを被ったまま、おずおずとシルビオの方に視線を向けた。シルビオは駆け足でベアトリスの方に近づき、声を抑えて話しかける。
「出てきていいのか?」
「……何もしない方が、落ち着かなくて。でも私、汚いものは触れないの。どうすればいい?」
「それじゃあ、燃やしてできた灰を集めてくれないか。煙を吸うと体に悪いから布を口と鼻を覆うようにつけて」
「わかったわ」
シルビオはベアトリスの背後に控える二人の騎士に目配せをして、彼女をしっかり見守るようにと伝えた。
「ベアトの正体が集落の人にバレてしまうと問題だから、なるべく清掃隊の人たちに紛れるようにね。……手伝ってくれてありがとう。嬉しいよ」
「……ええ!」
久しぶりに、シルビオに褒められたベアトリスは胸いっぱいになって返事をした。
顔に布を巻き付けさせたので、より正体が隠れていることだろうと思ったシルビオは、正体に対する不安を残しつつも騎士たちに任せることにした。
もう一度持ち場に戻ると、リネッタがベアトリスを気に掛けた様子で近づく。
「ご自分からお手伝いに?」
「ああ。いい傾向だと思う」
「よかった……ここの人たちや環境に動かされたのなら、きっと意識に変化も起きると思うから……」
水への感謝を、ベアトリスに思い出してもらうことが目的だ。
リネッタの心底安心したような表情に、シルビオもホッとした。
「リネッタ様、まとめたごみ、どこ置けばいい?」
セラが声をかけたので、二人は再び作業に戻った。
「そろそろ片付けましょう。この先の作業は明日以降にします!」
清掃隊のリーダーを担う人がイバルリ環境大臣の代わりに声を張る。彼の声のあと、セラが集落の人たちにコモロ語で同様の内容を伝えたようだった。
イバルリ環境大臣がリネッタとシルビオの元にやってくる。
「あとは我々にお任せください。本日は手伝っていただき誠に…心から感謝申し上げます」
「清掃隊の方々の働きこそ見事なものだった。的確な指示と動員に感謝する」
「いえ、遅すぎました。もとより聖女様のお力を借りる前から、このように動けばよかったのです。本当に、リネッタ様のお言葉がなければ……」
「私の言葉はきっかけにすぎません。実際に行動にうつすことが大事なのですから」
「ありがとうございます。この場の清掃の完了をもって、そのお言葉に報いるとします」
イバルリ環境大臣はそう言った後、リネッタとシルビオの手袋を回収して部下たちの指示に戻った。
「すっかりリネッタに心酔しているなあれは」
とシルビオが言うので、リネッタは謙遜しつつもくすぐったい気持ちになった。
「……シルビオ」
そんな二人の元に、ベアトリスが声をかける。リネッタの心臓が跳ねた。ベアトリスと向かい合って話すのは海で二人で話した日以来だ。ある意味、喧嘩中のようなものなので、気まずいと思わざるを得なかった。
「私、帰るわね」
「ああ、ゆっくり休んで」
「………」
ベアトリスが、ちらりとリネッタを見る。リネッタもベアトリスから視線を逸らすことなく、唇を引き結んだ。
「本日は、見守るだけでなく参加していただき、ありがとうございます」
そしてベアトリスに頭を下げた。
「引き続き、貴女の力のために頑張ります」
「………そう。ありがとう」
「……!」
小さい声だったが、ベアトリスからの感謝の言葉にリネッタもシルビオも目を丸くした。
ベアトリスはいたたまれなくなったのか、さっさと二人に背を向けて歩き出す。彼女の背後に騎士が伴い、そのまま帰路についていった。
ベアトリスの意識の変化、難民地域の環境改善、そしてベアトリスとリネッタの関係の緩和、全てが願った通りの、良い方向に進むんじゃないかと希望を持った。
しかし
次の日のベリック社の記事の一面にはこう書かれた。
『堕ちた無能聖女 消えた浄化の力』




