42 追いやられた人々
「リネッタのその格好、ドレスの時よりもしっくり見える」
「本当? ちょっと嬉しいかも……」
着替えた後に部屋でソワソワと待機していたら、宣言通りシルビオから訪ねてきてくれた。
メイドに促されてソファに座り、紅茶の香りに部屋が包まれて、シルビオの視線がリネッタとかち合うとそんなことを言ってきた。
「でも、あまり王族らしくないでしょう」
自嘲気味にリネッタが言う。
幼い頃からよく庭を走り回るリネッタはドレスの裾が邪魔で仕方がなく、機能を優先したパンツスタイルを好んでいたが、それゆえに「騎士の真似事を」とソレイユ王国の貴族に囁かれていた。幼いながらにそういった陰口は理解していた。自分の格好が恥ずかしいとは思わなかったし、アイデンティティの一つだとすら思っていたが、立場を考慮するとあまり好ましいものでもないのだと体に染み付いていた。
「ならリネッタが先駆者になればいい」
しかしシルビオは口角を上げて優しく告げた。
「おかしなことじゃない。女性騎士は許されて他の女性は許されない、なんていう道理はない。前に学園の後輩にもファッションの話をしていただろう」
「……聞いていたの? あの時シルビオはベアトリス様と一緒にいたじゃない」
「後輩が直々にリネッタの良いところを話しかけてくれて、そこでね」
リネッタはむず痒い気持ちになりつつも嬉しくて唇をきゅっと結び、それを誤魔化すように紅茶を啜った。
「…………でも、そうね。シルビオの言う通りだわ。前に後輩の子達には言ったけれど、自衛のためにも女性のファッションに変化を促してあげるのは必要だと思うの」
パンツスタイルはただ走りやすくなるだけでなく、いざという時の手間を生み出すきっかけになる。女性の暴力被害を想像して、リネッタとシルビオは表情を難しくした。
「難民受け入れによる治安悪化は確かに問題だ。服装ひとつで問題が軽減するなら積極的に広めたい」
「やっぱり街を回るならこの格好が一番ね。ただ、私自身の知名度がちょっと低いんだけど……」
ハハハ、とリネッタは乾いた笑いを漏らした。
「それもじきに心配いらなくなるよ。きっと。……そうだリネッタ、ひとつ報告があるから共有したい」
「教えて」
シルビオの言葉にまたリネッタの顔つきが変わった。
「実は、ベアトの母親が聖堂から出ていったみたいだ」
「え……? 聖堂以上に住みやすい場所も無いでしょうに。居場所は突き止めているの?」
「いや、まだ騎士に探らせているところだよ。聖堂長にも確認したけれど、そもそもいなくなっていたことに気づいていなかった」
「……そんなこっそりとする必要があるなんて……怪しいわね」
「引き続き調査は続けさせる。このタイミングとなれば、一連の件と無関係とは思えないからね」
シルビオの背後の入り口近くで控えている騎士は、通常二人、女性騎士と男性騎士が一人ずついるのだが、いつもの女性騎士の反対には見慣れない別の男性騎士が立っていた。つまりいつもの彼が今調査中なのだろう、とリネッタも察した。
「ベアトリス様がこんな時に……心細いんじゃないかしら。様子はどうだったの…?」
恐る恐るリネッタが尋ねると、シルビオもカップに視線をやって「そうだね…」と神妙に頷いた。
「とりあえず、母親の行方は知らないようだった。色々なことが重なってかなり困惑していたし、それに……結局俺も、うまく寄り添うことができなかった」
シルビオは昨日のベアトリスとのやりとりをなるべく詳細にリネッタに伝えた。
真剣な面持ちでリネッタは心を乱すこともなく、状況をシミュレートしながら聞き入れる。
シルビオがベアトリスにかけた言葉を知って、リネッタが真っ先に考えたのがベアトリスの精神状態であった。
「甘やかしたり思わせぶりなことをしてとは言いたくないんだけれど、一人になってしまったベアトリス様にはあまりにも酷じゃないかしら」
「そう……だったかもしれない」
「……でも、それは私も同じよね。ベアトリス様は事実私の言葉を引きずってしまっているし」
海辺でのやりとりを今一度反省して、リネッタは天井を見上げた。
「ただ、シルビオの意見には私も同意だわ。これはもちろんベアトリス様に対してマイナスな意見を持っているからじゃないわ」
「わかっているよ」
シルビオの返答を意外に思って、リネッタは思わず勢いよく頭の位置を戻した。
「そ、そんな即答するとは思わなかったわ」
「何を疑っているかわからないけど、リネッタのことはよく知っているつもりだからね」
「なっ……」
「少なくとも、誰かのため国のために動いてるリネッタが私利私欲で意見を曲げることはないっていうのを俺は知っているよ。そういうところが素敵だと思っていたから」
「………」
甘い言葉を一つ貰うよりも、リネッタは嬉しくて、胸の奥から熱いものが溢れそうになった。
紅茶のカップを置いて、膝の上で拳を強く握りしめる。
「ありがとう。それを証明するためにも、早くこの問題を解決させましょう」
「もちろん」
リネッタの喜びがシルビオに漏れ伝わらないように、ただまっすぐ笑顔を向けて宣言する。
リネッタの思いに呼応するように、シルビオも視線を合わせて頷いた。
「そろそろ行こうか」
立ち上がったシルビオがリネッタの方へ歩み、手を差し出す。
「ええ」
流れるようにその手を取り、リネッタも覚悟を決めて立ち上がった。
難民地域は王都の中心地からは離れた内陸方面の高地に位置する。ルナーラ王国は多数の河川が王都を囲むようにして海に流れ出ているのだが、難民地域はそのうちの一つの、王都の南方に流れる川の上中流域にあるようだった。
「直接向かわれますか?」
とリネッタたちに聞いたのはリネッタ付きの騎士であるネルソンだった。後ろにマテオが馬を引き連れて宥めている。今回の移動手段である。
「難民地域の近くに住む市民の様子も確認したいわ」
リネッタはうーんと考えながら答えた。
「ベアトリス様の浄化依頼がどこまで及んでいるのか、シルビオは詳細を全て把握しているわけではないのよね?」
「うん。聖堂の持ち物だからね。問題報告のみに留められた」
「それならば一応水の管理についても視認しておきましょう。それに……」
リネッタは朝食時のルナーラ王アレハンドロの言葉を思い出していた。
———流行病
衛生面を考えると、難民地域の河川の浄化が行われていないという事実はこの問題に対してさらなる緊張感を持たせている。
この調査は、水質の確認だけでなく、市民の健康状態も要確認事項の一つとなるだろうとリネッタは考えていた。
「感染に十分気をつけて臨みましょう」
リネッタの考えを伝え、シルビオたちも頷く。颯爽と馬に乗れば、市民ひしめく中央を避けて王宮の裏から大回りするように南に向かって走った。
リネッタとシルビオ、従者には今回はネルソンとマテオの二人を連れ、シルビオの騎士二人も合わせて六人で調査を行うこととなった。
中心地から離れて街並みも閑散とし、家と家の距離が開いていく。
景色がすっかり変わり人の喧騒も遠くなれば、リネッタたちの馬は速度を落とし、馬留めに繋がれ、自らの足で調査を行うことに切り替えられた。
ざっと見まわした感じは異変もなくのどかである。
広めに舗装された道がこの地域の中心地に向かうのだろうと察した一行は、その道なりに沿って足を進めた。
道中、普段見かけない高貴で威厳のある装いをした六人組を見て動きを止めた女性市民と鉢合わせると、リネッタは警戒を解くように笑顔で「こんにちは」と真っ先に挨拶をした。
「突然ごめんなさい。ソレイユ王国から留学をしている第一王女のリネッタと申します。こちらでの調査をお許しくださいね」
「ひえっ、えあ、ぜんぜん、あのぜんぜん自由にどうぞ!」
謙虚な姿勢に動揺した女性は、買い物で食材を詰めたバスケットをどさっと落として地面に跪いた。
慌ててリネッタが立ち上がらせようと手を伸ばすも女性は頑なに頭を下げるので、仕方なくリネッタは彼女と視線を合わせるようにしゃがむ。
リネッタの対応にマテオは相変わらずだとヘラヘラ笑い、ネルソンは頭を抱え、シルビオとその騎士たちは目を丸くする。
あっけに取られた後、なんだかおかしくてシルビオがあははっと笑えば、女性の態度に困るリネッタの隣へ向かい、同じように隣でしゃがみ込んだ。
「難しいかもしれないが、調査のために自然体で答えてはくれないか」
「ひぃぃっお、王子様…!?」
聞き慣れぬ声に顔を上げてみれば遠い遠い存在であるはずのシルビオが目線を同じくして存在していたので、女性はより一層動揺し高い声をあげる。
さすがの騒ぎに店や家々から、なんだなんだと顔を出す人たちも現れた。
「我々も変な注目を浴びたいわけじゃないんだ。頼まれてはくれないか?」
そんなことを言われたら女性は激しく頷く他なかった。
近くで旦那が喫茶店を営んでいるという女性についていき、一同は店内で腰を据えることにした。
「お口に合わなかったら即捨てて構いませんので……」
戦々恐々と女性はコーヒーを差し出し、震える。窓の外に野次馬が増えているような気もするが、リネッタたちは気にしないこととした。
「美味いな! おかわり」
「主人より先に飲み干すんじゃ無い」
呑気な声を出すマテオの頭をネルソンが叩いた。
女性はそちらに気取られてぽかんとし、リネッタは二人のやりとりに声を出して笑ったものだから、その場の空気が少し和らいだ。
「報告もなしに押しかけたのは我々の方なのだから、貴女も気にしないでくれると嬉しい」
すかさずシルビオが柔和な笑顔で問いかけると、ようやく女性も肩の力を少し抜くことができたようだった。未だ眉尻は下がったままだが、震えはおさまった。
同じ卓の椅子に座るようリネッタが促したが、それは頑なに拒否して、木製のトレーをぎゅっと胸の前で抱いたまま、女性は口を開いた。
「そ、それで調査、というのは……もしかして流行病のことでしょうか……」
全員の意識が女性に向き、その視線を一点に引き受けた女性がまたひっと喉を鳴らした。
「えっと、そう、とも言えるのだけれど、流行病はこの地域では深刻だったりするのですか…?」
冷や汗をたらしてリネッタが問う。
「あの、深刻、というわけじゃないんですけど……その、この近くってほら、あの……いるじゃないですか」
「……もしかして、コモロ国からの難民のことだろうか」
「は、はい、国はわかりませんけど、肌の色が違う人たち……です。たまに市場で会うこともあるんですけど、倒れる子供とかが多くて、一番近くの医者も困っているみたいなんです。彼らってお金を十分に持っているわけじゃ無いから、治療費も払えないでしょう? 私たちも立て替える余裕はありませんし……自然療法で治してもらう他ないって帰してしまうのが心苦しいって言ってたんです」
女性の言葉を逃すまいとリネッタたちは真剣に聞く。女性は続けた。
「しかもこの辺りでも似たように熱を出して寝込む人が多くなって……うちにも小さい子供がいるから怖いんです。彼らのせいだとは言いたく無いんですけど、王子様たちがいらっしゃったということは、そういうことなんでしょう…?」
疑念と、少しの期待を含めた女性の視線にリネッタの心が傷んだ。
女性も医者もこの地域の人々も、きっと寛大で優しい人たちなのだろうということは彼女の言い分からも察せる。しかし、身内を守りたい気持ち、病を恐れる気持ち、それら不安が膨れ上がり、原因を確定して一刻も早く排除してほしいのだという眼差しを受けて、リネッタは肩身を狭くする難民たちを気の毒に思った。
「病の原因については断言できない。難民の人々も好きで病にかかっているわけではない、ということも、貴女方は理解しているだろう」
「………はい」
シルビオに嗜められ、女性は視線を落とした。
「必ず対処をする。だから貴女も家族の方々も、健康に留意して心を強く持って過ごしてほしい。現状を教えてくれてありがとう」
「いいえ、いいえ……! と、とんでもないです! こちらこそ、ありがとうございます!!」
背中が見えるんじゃないかというくらい、深く女性がお辞儀をした。
シルビオの言葉一つで女性が安心感を得たことに、リネッタは感慨深く見守っていた。
きっと同じ言葉でも、自分が言ったのではまだ不安が残るだろう、とも思い、力不足に少し気を落とした。しかし同時に、シルビオがこの場についてきてくれてよかった、と頼もしさを覚えた。
「ちなみに、こちらに聖女様が訪れたことはありましたか?」
「い、いいえ、来ていたら大騒ぎになっていたと思うので、それはないかと…」
「わかりました。重ね重ねありがとうございます」
再び女性がとんでもない!と床に頭をぶつけそうな勢いで振り下ろす。
「そうと決まればすぐに向かおう」
「ええ。奥様、コーヒーご馳走様でした。美味しかったです」
リネッタが笑いかけると、女性は目をギューっと瞑り、体を小さくしてまた何度も頭を下げた。
「王子様だけでなくリネッタ様にも我が家のコーヒーを飲んでもらえたこと、一生の思い出です! 本当に本当にありがとうございます!」
自分の名前を、覚えていてくれたのか、と、驚いた。
顔を真っ赤にして見送る女性に、リネッタは満面の笑みを浮かべて「また来ますね!」と返すのであった。




