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幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない!  作者: 巻鏡ほほろ


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41/68

41  距離

 朝食時に顔をつき合わせて卓を共にすることは少なくないが、毎日というわけでもない。

 ただ今日は、その中でも珍しく、どうやら王宮に住む高貴な身分の人々が一堂に会する日だったようで、リネッタとシルビオは食堂の扉の前でそれぞれ顔を合わせると、はにかみつつも嬉しそうに微笑んだ。一瞬のときめきにリネッタは飛び跳ねたいくらいの気持ちになる。

 先にシルビオを通して、次いでリネッタが「おはようございます」と礼をして入室をすれば、すっかりルナーラ王家が揃っているテーブルから温かな視線を浴びた。

「おはよう。久々に揃うことができて私も嬉しいよ」

 と、朝特有の少しかすれた声で言うルナーラ王アレハンドロは、端正で厳粛な顔立ちからにこりと目を細めて、穏やかであった。彼の言葉に合わせて、ルナーラ王妃ルシアも微笑む。

 家族の愛情と信頼を向けてくれる彼らの視線を、リネッタも最初は受け止めきる準備ができず身構えていたこともあった。しかし6年も経った今では、優しさを感じれる嬉しい視線そのものである。

 なんて良い朝なんだ、とリネッタの心は躍っていた。

「おはようございます。朝から僕らも一緒してよろしいのでしょうか……」

 そう言ってぎこちなく入室したのは、リネッタの二番目の弟であるリクと、その従者のトールである。ソレイユ王国の聖堂に従事する二人は、自国の聖堂長及びその周辺を調査するためにルナーラ王国まで訪れているのだが、ルシアの計らいで王宮での滞在を許可されていた。リネッタの身内だからといってプライベートな時間にお邪魔することを申し訳なく思っているようだったが、ルシアが今回も「いいのよ」と、簡潔に、それでいて気さくに笑顔を向けたので、リクとトールはもう一度頭を下げて「ではお言葉に甘えてお邪魔いたします」と言って席に着いた。二人はリネッタの右隣に並んで座った。

 全員が揃ったことですぐ食事が並べられていく。本日の朝食は晴れた天気にふさわしい色鮮やかな生野菜がよく映えた。清潔な水を利点とするルナーラ王国の名産の一つである。リネッタはルナーラ王国で過ごすうちにすっかり野菜が好物になったので、わくわくと目を輝かせた。

「さすがルナーラの野菜ですね。昨日見た市場の野菜たちもソレイユのものよりずっと瑞々しくて大きいものばかりでした。やはりルシア王妃の農業政策の賜物なんでしょうか」

 トールが顎に手をやりながらまじまじと野菜を観察し、感心して問うた。

「あら、よく知ってくれていますのね」

 と少し照れ臭そうにルシアが答える。ルシアがもともと農家出身であったことは、ルナーラ王国の都では有名な話であったが、国外に及んでいるとは、と、自分が話題の中心になっていることにこそばゆい思いを抱いているようだった。

「けれど、冬には十分な量を賄うことが難しいかもしれないの。その政策も早めに施行できるように準備しないといけませんわ」

 続けて、ルシアがため息を吐きながら言った。

「それは流行病ゆえか?」

 とアレハンドロが尋ねれば、眉尻を下げてルシアが頷く。


 ———流行病……?


 ざわりとリネッタの胸に翳りがさす。


「ともかくいただくとしよう。皆のもの、豊穣に祈りを捧げなさい」

 アレハンドロの号令のあと、食堂は短い間沈黙に包まれた。

 そして祈りの時間を終えれば、全員がカトラリーに手をつける音が響く。

 食事の最中、先ほどの話の続きをシルビオが切り出した。

「流行病というのは、現在父上が医療機関と掛け合って対策を講じている案件のものですか?」

「そうだ。今朝の新聞でも流行病について書かれていることだろう。市民の混乱が広まる前に間に合わせねばならぬ」

 新聞社、と聞いてリネッタは、きっとホセの生家であるレイズリー社の報道だろうとなんとなく予測を立てた。そういえば、変装してまで策謀の証拠であるソレイユ聖堂からの書簡を届けてもらって以来、ホセとの連絡をとっていないことを思い出した。彼は元気であるのか、会って確認できないか、と思案するも、まだリネッタ側から訪問するには危険だと思い至った。

「そうだ、昨日シルビオから尋ねられたことについて、この場で共有するとしよう」

 アレハンドロは続けてこの場の会話を取り仕切る。

 なんのことだろうかとアレハンドロの方に全員が顔を向ける。その疑問に答えるように、シルビオがリネッタとリクとトールに対して「俺が父上に尋ねてみると言った案件についてだよ」と付け足した。

「前聖女様がご健在だった時期に、何か儀式などは執り行われていなかったのか、という話ですね」

 リクが昨日の話し合いを思い出しながら尋ねる。

「結論から言えば、名前のついた儀式を我々や王国民の前で行うことはなかった。豊穣を願う祭りが伝統的にある一方で、聖女がその催しに合わせて祈りを捧げるようなことはない。だが聖堂内で定期的に儀式のようなものが行われていたのだという話は聞いている」

 聖女有する聖堂と王族とがそれぞれ独立していることの表れだろうか。聖堂と王族との間にかつて問題が起きたソレイユ王国と違って、ルナーラ王国では王族が聖堂を監視するような事態には至ってないゆえだろう。王族が聖堂内のことまで(つぶさ)に把握することはないらしい、ということがわかった。

 アレハンドロの言葉を受けてシルビオが口をひらく。

「それを聞いて、俺は昨日ベアトの元に向かった後、聖堂長のレミーに改めて話を聞いたんだ。前聖女は『歓謝水の儀式』のように大きなものではなかったが、習慣的に聖堂内で祈りを行なっていたようだよ」

「そうなのですね」

 リネッタは相槌を打つ中、「習慣的に」という部分を逃さなかった。

 前聖女が水に対する祈りを常にしていたというのなら、現聖女であるベアトリスは果たして何をしていたのだろうか。ベアトリスの全てを把握しているわけではないため、穿った見方ではあるものの、リネッタは一つの仮説に至る。


 水への感謝を、ベアトリスは持っていないのではないのだろうか。


 リネッタが禁書庫で知り得た文献の中で、特に心に残ったものが、ルナーラ王国の水への信仰の深さであった。聖女の起こりとも密接に関わる想いの部分である。

 さて、この疑念が全ての原因の答えだったとしたら、これから自分たちは何をするべきなのだろうか。と、スプーン片手に食べ終わったスープ皿を遠くに見ながらリネッタが思案を始めると、「それとは別に一つ気になる件があった」とシルビオが続けたので、リネッタは一度思考を止め、視線をシルビオの方に戻した。


「聖女の事業報告資料の中に、一枚偽装されたものが紛れていた」


 この場の全員が、一斉に眉を顰めた。

 シルビオが詳細を続ける。

「難民地域付近の河川浄化が()()()()()()()()になっていたそうだ。優先浄化地域の一つではあったが、自然公園など他にも優先される場所が、能力の不調により残っているにも関わらず、浄化済みの方に振り分けられていた」

「それじゃあ……実際にはその場所はまだ汚染水のままである、ということなの…?」

「そうなるだろう」

 意図の読めぬ工作に、全員の表情が曇って沈黙が続いた。皆がなぜと考えをめぐらし俯く。

 リネッタも同様に、しばらく考え、そして一つ決意を固めて瞬きをすれば目の前にあるサラダを大きく一口でわさっと食し、隣に座っていたリクも「リネッタ姉様…?」と少し気圧されたように呟く。リネッタは豪快に、されど上品に食べ切ると

「私がこれから難民地域の方へ赴きます」

 と宣言した。

「なぜその場所が取り残される必要があるのか、そして今どのような状態なのか、いずれにせよこの目で確かめなければ、わからないことだらけです。両陛下は多忙であらせられますし、シルビオも業務と調べ物があり、リクやトールにもソレイユ国の聖職者たちを調査する必要がありますから、自由に動ける私が行くのが妥当でしょう」

 胸を張って主張するリネッタの表情は真剣ながらも清々しい。役割を見つけたことに対する高揚感で瞳が輝いている。

 正面に座るシルビオも、そんなリネッタを見て圧倒された気持ちになった。

「情けないことだが、難民地域は未だ治安や衛生面での課題が多く残る。くれぐれも気をつけるように」

 堂々としたリネッタの言葉を快く受け入れたアレハンドロは、それだけ忠告すれば、あとは頼んだとでも言うように大きく頷いた。

 リネッタは責任感を覚えつつも毅然として「お任せください」と言ってみせた。

 であればしっかり食べて早速準備しなくては、とリネッタの食事のスピードが速まる。それに合わせて空気も和み、全員が食事を再開した。

 リネッタの速度に追いつくように、シルビオも慌てて食事を終わらせ、リネッタが席を立つと同時にシルビオも食堂を後にするのであった。



「リネッタ、少し話がしたい」

「ほあっ」


 はやる気持ちで自室に向かうところを、シルビオに腕を引かれて止められたのだから、リネッタは間抜けな声を漏らした。いつもよりも早めに食事を切り上げた自負があったので、シルビオが追いかけてくるとは思いもしなかったからだ。

「は、はなし…」

「あ、いや、その大したことじゃないんだ」

 向き合う形になって、やっとシルビオが落ち着いた様子で息を吐く。リネッタもどこか慌てていた自分に気づいて、気張っていた肩の力を緩めた。


 昨日も話したはずだったのに、なぜだか二人で顔を合わせて話すのは久しぶりのように感じた。


「あまり急ぎすぎなくてもいい。お互い昨日は遅くまで動いて疲れているだろう。30分だけでも休まないか?」

「……それは、とっても魅力的な提案だわ……」

 先ほどまでに焦燥感とはまた違うそわそわとしたくすぐったい感覚にリネッタは支配された。

「それと、そのあとは俺もリネッタと一緒に難民地域に向かおうと思う」

「いいの? 他に用事は……?」

「父上に同行するものもないし、昨日聖堂に行って、ある程度事実確認も終わらせたから今日は自由に動ける」

「で、でも、それならなおさらシルビオは体を休めたほうがいいんじゃ」

「リネッタが動いているのに俺だけがじっとすることはできないよ」

 そう言ってリネッタの手首を掴む力が少しだけ強まる。改めて今触れ合っていることを、お互いが意識して、繋がれている手に二人の視線が移動し、ぱっと離された。

「で、では出かける準備を終えたら一息しましょう!」

「……そうしようか」

 戸惑うような口調で二人は廊下の先まで早足で歩き、各々の部屋へ進行を変える。

「リネッタ」

 廊下の反対でシルビオが距離を考慮した声量で呼びかけた。

「俺が迎えに行くから、お茶を用意して待ってて」

 ただの要望、それだけなのだが、リネッタはふと、新鮮な気持ちを抱いた。

 こうして連日同じ目的のために一緒に動くことが増えたおかげなのか、それとも、シルビオが呼びかけたその声色のおかげなのか、二人の距離が今までより近い心地を覚えたのだ。

「ええ!」

 リネッタも同じくらいの声量で返事をし、笑顔を向けた。

 館に向かう足取りが、やる気と高揚感で軽くなる実感がした。

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