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幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない!  作者: 巻鏡ほほろ


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15 洗礼式

 なんだか湿っぽくなったことに苦笑して、リネッタは再び他愛のない話に戻す。

 シルビオもリネッタを気遣うが、彼女が明るい空気を望むのでシルビオもそれに同調する。


 次に公的な場で一緒になるのは二日後のベアトリスの洗礼式だ。洗礼式が終わると本格的にベアトリスが聖堂長として公務が始まるので、これからその日まで確認書類が倍々になっているという。

「こうしてお茶できて癒されたよ」

 とシルビオが言うものだから、リネッタは再び内心でガッツポーズを決めた。

 洗礼式から二日後には王立学園の在校生が主催しているチャリティー活動の視察にリネッタが同行する。公務の一貫とはいえ、シルビオと共に後輩たちに会いに行くことがたまらなく楽しみだった。

「そうだ、先生からその日の夜に学生たちと学園の屋上で持ち寄りビュッフェ会をしようかという話があってね、よかったら俺たちも参加しないかと誘われたんだけど、どうかな」

「ええ! 何それすごく楽しそう! ぜひぜひぜひ参加したいですわ!」

「リネッタならそう言うと思ってた。じゃあ俺の方から返事をしておくね」

 はしゃぐリネッタを微笑ましそうに見るシルビオの視線に、リネッタはハッとしてしおらしく椅子に座り直した。

 ———こういうところ、多分こういうところなのだわ。ベアトリス様のような淑女は程遠い…

 と、考えるけれど、昨晩のベアトリスの様子もだいぶ淑女から程遠かったなあと思うので、ここはイーブンだと勝手にジャッジを下す。


 そろそろシルビオが仕事に戻る時間になった。

 自分らしく思いを伝えるという一歩を踏み出せたリネッタは、満足のいく茶会になって安心してシルビオを見送る。

 片付けを手伝い、ふと、シルビオの好きな白い花を視界にとらえる。

 リネッタはしゃがみ込んで頬杖をつき、花と向き合う。

「あなたのおかげでシルビオも喜んでくれたわ。ありがとう」

 すっかり浮かれ気分で花に話しかける。メイドのナナがその瞬間を目撃し、目撃されていることにリネッタが気づき、二人して少し顔を赤くして気まずい雰囲気になった。



 ***



 洗礼式は聖堂にて行われる。

 聖堂は王都に流れる一番大きな川と海が交わる河口に居を構えている。聖堂の隣には王立学園の生徒が頻繁に利用する図書館もあり、かつてリネッタはここでシルビオへの想いを決意したことをしみじみと思い出していた。

 洗礼式用に着たドレスは、固めの生地でAラインを形作る。聖堂の白さに合わせて、リネッタは落ち着いたブルーグレーのものを選んだ。髪の毛はまっすぐに下ろしている。

 聖堂の周りには民衆が想像よりも多く集まっている。

 最前列を陣取っている人の大半はメモ帳とペンを手にしているので記者だろう。写真機を手にしている人もいる。写真機は高価なので売れている報道機関に限られる。レイズリー社か、もしくは外国の大手報道会社か。


 リネッタは王族と大臣が座る場所にて、シルビオの隣を確保した。

 次第に席が埋まれば、ざわつきも収まり、聖堂内は静寂に包まれた。


 青いステンドグラスが壁一面を覆い、ちょうど日中の日差しを取り込むように設計されている。眩しいくらいに輝くガラスのおかげで、聖堂の中は青色に染まっている。まるで海中にいるようだとリネッタはうっとりとした。

 そんなステンドグラスの下、奥の扉から高位聖職者と思われる初老の男性と、それに付き従う形で聖女ベアトリスが現れた。

 就任式の時に似た水色のドレスに、薄いヴェールを頭から被せている。

 ———まるで花嫁みたい


 海の神との契約を祝詞をあげることで成し遂げ、高位聖職者が魔法で生み出した霧のようなものをベアトリスに振りかける。

 水が太陽光に反射してキラキラと散らばっていく。

 祈るポーズで跪くベアトリスが霧を浴びるために顔を上げる。そして高位聖職者が呟く祝詞を復唱すると、次第に組んだ手から光が溢れる。

 本人も驚いたようにして時折言葉を詰まらせるが、なんとか言葉を最後まで紡ぐ。するとベアトリスの全身に薄い光の膜がまとわれ、弾けたかと思うと彼女を中心とした円の形に水がバシャンと落ちた。


「聖女ベアトリス・ガルシアは改めて海の神に認められた。この世の水は全てあなたの味方だ」

「……はい、ありがとうございます」


 儀式を終え、ベアトリスは聖堂を出ると民衆の前に姿を現す。人の波が道を作り、ベアトリスは今度は聖職者たちを引きつれるように先頭に立って海辺へ進む。

 聖堂に一番近い海岸に、大きなガラスの水瓶が置かれている。水瓶の中は、土と苔に汚れた水でいっぱいである。

 離れた距離で式の参列者たちであるリネッタたちがベアトリスを見守る。

 さらに背後には、聖女の奇跡をこの目にと民衆と記者が多く押し寄せており、ざわめきが大きくなっていく。


 ベアトリスは先ほどステンドグラスの前でしたように、両手を胸の前で握って跪いた。

「キアーロ・プリフィカール・ラクア」

 代々伝わる聖女の呪文。ベアトリスの声は大きくないのに、この場のすべての人間の鼓膜に波のように伝わり、その後水瓶の中が大きな光を放った。

 沸騰するような音を立てて、水流を流す装置もないのに水瓶の中は渦を巻く。そしてそれが落ち着くと、水は透明になった。


 ワァッと歓声が上がる。聖職者の人やベアトリスは深いため息をついて安堵している。聖女の奇跡のために背後からパシャパシャと映写機を鳴らす音が響いた。

 水を浄化するルナーラ王国にしか生まれない唯一の聖女。奇跡を目撃したリネッタは感動で言葉にならない。

 確かに彼女の存在は、唯一無二だ。それを強く実感させられた。


「これから彼女は、国の水質管理と各国の聖堂との外交で忙しくなるだろう」

 王アレハンドロがリネッタに教えるように語りかける。

 リネッタは隣に立つアレハンドロを見上げた。

「しかし彼女は長い時間外国の厳しい環境で過ごしてきた。それがこれからの彼女を苦しめるかもしれない」

「……」

 初めてベアトリスがリネッタたちの前に現れた時、リネッタは思った。

 外国で雲隠れ生活をしていた()()()、礼儀正しいと。

 アレハンドロが暗に言いたいのは、きっとそこだ。彼女は貴族令嬢であったが、従来の令嬢が受けられる高等教育を受けられていない。聖女は国民から無差別に生まれるというが、本来は10代前半までに見つけられて同じく高等教育を受けさせられる。

 ベアトリスは運良く国に戻ってこられたが、マナーが欠如しているのは事実だ。

 それをふまえ、リネッタはアレハンドロの言葉に意見を返した。

「王族と聖堂が共に手を取り合う形で国を治めているのですから、ベアトリス様一人の負担にならないように助け合える環境で良かったと思います」

 もしもベアトリスが苦労することがあれば「私が」助けると、目で語る。

 アレハンドロはふっと微笑んだ。

「心強いな」

 そう言うアレハンドロの表情と声色は、やはり親子だからか、シルビオによく似ていると思った。


 浄化された水を聖杯に汲み取り、ベアトリスがアレハンドロ王にそれを渡す。

 王がそれを飲み干せば、二十年前まで当たり前だった王族と聖堂の二大体制がここに再建される。

 オオオッと取り囲む民衆が就任式の時のように大歓声を上げた。ルナーラ王国の低迷期の終了を象徴する儀式が終了した。


 洗礼式が終わればあとは撤収するのみである。両陛下は高位聖職者とこれまでの苦労を分かち合っているようで、会話が弾んでいる。シルビオも今後の業務確認のため、聖職者と話があるそうだからリネッタに「先に帰っていて」と言った。

 リネッタはこのまま王宮に帰っても良かったが、久しぶりに図書館の近くに来れたので、騎士のマテオを伴い立ち寄ることにした。

 よくここでシルビオや学友たちと勉強に励んだものだと懐かしむ。


「私よくこの席に座っていたの」

「姫様って意外と勉強好きですよね〜」

「それどういう意味?」

 マテオの言葉に心外だとじっと睨んでしまう。

「いやぁだって姫様って小さい頃から体動かすのが好きだったでしょう? 俺もそういうガキだったから、てっきり俺と一緒で勉強が苦手なもんだと思ってたんですよ」

「自分がそうだからって思い込んで人を判断すると、今の私みたいに怒る人いるわよ」

「はい、肝に銘じます…」

 しょぼんとマテオが肩を落とすので、リネッタは笑ってそこまで怒っていないと言う。

 せっかくなら何か本を借りて行こうかと考えたリネッタは、前にメイドのナナがいくつかおすすめしてくれた小説のことを思い出す。

 大衆向け小説が並んでいるのはもっと奥だったかと配置図を見て当たりをつけると、ずんずんと本棚の迷路の奥へ潜り込んでいく。

 洗礼式が終わったばかりの今は、人の気配は皆無だ。リネッタとマテオの歩く音だけが本に吸収されていく。

 日も傾きつつあり、西陽が差し込まないように設計されている図書館はこの時間少しだけ暗い。

「あった、これが今一番人気の恋愛小説……あ、『ベルベットの悲劇』と同じ作者なのね」

「ベルベットの悲劇というとバロンさんが主役やってた劇と同じタイトルですね」

「そう、これが原作らしくて…」

 マテオと本について語り合っていると、入り口の扉がギイと音を立てた。古い建物なせいか、扉の立て付けが良くないため、図書館の出入りの際音が響く。

 誰かが入ってきたのだろう。思わず二人は会話を中断する。図書館では静かにするものだと言う常識がそうさせる。

 図書館の利用者は限定されているわけではない。洗礼式を見にきた民衆の誰かか、もしくは影の薄い図書館の司書が出入りしたのか。そう考えていた。


「司書の方には事前に言っておいたの。利用者の人には申し訳ないけど、鍵も借りているからかけちゃうわね」


 聞き覚えのある透き通った声。マテオとリネッタが顔を見合わして、恐る恐る本棚から顔を出した。


「 忙しいところ連れ出してごめんなさい。これから聖堂での本格的なお役目が始まるから、こうしてゆっくりお話しできる機会もないじゃない? ちょっとお話ししましょう」


 ベアトリスとシルビオだ。

 人が少なかったのはそういうことなのかとリネッタがハッとする。自分たちがいることには気づいていないようで、ベアトリスが無邪気にシルビオの腕を引いて席に座る。

 リネッタとマテオは息を殺して、物陰に隠れた。


 二人が座っている席は、五年前自分たちが座っていた席と同じ場所だった。

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