星に願いを 3
空は、すっかり暗くなっていた。
それでも、道々に設置されたランプや、あちこちで焚かれている火のおかげで、不便を感じることはない。
太悟の左手の先にいるファルケも、好奇心旺盛にあちらこちらを見回している。
「わ~、すごいお祭り! 今日来て良かったね!」
右を見れば弦楽器が優雅に奏でられ、左を見れば幾つものボールを巧みにジャグリング。
村人も観光客も、日常を一時忘れて楽しんでいた。
その景色に混ざって、子供のように――子供と言って良い年齢だが――はしゃぐファルケが、何とも可愛らしい。
「ファルケの村は、こういうのあった?」
「うん? んー……ウチは、暗くなると夜の精霊の世界になるって言われてて、騒がしくしちゃいけなかったんだよね。儀式とか集まりも日が出てる時にやるし」
夜中に訓練や何かしらの行動をするのは、オクルス家をはじめとした戦士の一族だけだったという。
それも、明かりを点けてはいけない、大きな声を出してはいけないなどの制限がある。
決まりを破ると、木陰や草陰に潜んでいるインズ・ボーニーという怪物に襲われ、喰われたり、仲間にされてしまうのだ。
………もちろん、それもただの伝説。
ファルケが知る限り、実際に見たことのある人物はいないとのことだった。
とはいえ、それでも夜の過ごし方は彼女の中に根付いている。そういえば以前、コーラルコースト戦後に大人しかったのは、気持ちだけが理由ではなかったのかもしれない。
「だからこういうお祭りって新鮮で、すごい楽しい!」
「インズ・ボーニーは怖くないの?」
「たぶん、この辺にはいないからセーフっ!!」
それに、と。ファルケが、ぎゅっと手を握ってくる。
「太悟くんと一緒なら、絶対大丈夫だもん」
彼女はどうして、こう、殺し文句を簡単に口にできるのだろうか。もはや殺意すら感じる。
良いとも、死んでやろう。太悟は覚悟を決めた。
「……が、がんばる」
と、そう言い返すのが精一杯だったが。
それからまた先に進むと、出店の店主から声をかけられる。
「よう、お二人さん! 飴食いな!」
髭面の、額にスカーフを巻いた店主から手渡されたのは、小ぶりのミカンほどの大きさの果実に棒を刺し、飴でコーティングした菓子だった。人間の発想とは、世界が違っても似通るものである。
「わー、美味しそう!」
「すみません……おいくらですか?」
太悟がそう言うと、店主はにかりと笑い、首を横に振った。
「あんたたちのおかげで、みんな祭りを楽しめてるんだ。これくらいサービスさせてくれよ」
飴に使われている果実は村人からトキツガイと呼ばれており、二又の茎の先端に一つずつ成るのだという。地球生まれ地球育ちの頭に浮かんだのは、大きめのサクランボだ。
とにも好意に甘えることにして、太悟とファルケは飴を受け取った。
「なんせ、今日は夫婦や恋人同士のための祭りだからなぁ。お似合いの二人だぜ」
恋人同士。お似合いの二人。
そのたった二つの言葉で、太悟はぶわっと滝のような汗を流した。
いいとこ三軍男子の彼にとって、その手の揶揄は鬼門である。巻き込まれた女子もたまったものではないはずだ。
だが。
「えへへ、そうでしょー? 自慢の彼でーす!」
なんとファルケは冗談に乗っかり、あまつさえ肩に頭まで乗せてくるではないか。心臓が口から時速百km射出されてもおかしくない衝撃だった。
幸いそうはならならず、太悟は鯉のようにぱくぱくと口を開閉させていたが、
「……あっ! 太悟くんあっちでもなんかやってるよ! 見に行こ!!」
「え? あっちってどっち……」
「あっちあっち! さ、早くっ!」
急に声を裏返らせたファルケに手を引かれ、前衛のプライドも虚しく引きずられる。前を早足で歩き、振り返らない彼女の顔は、太悟からは見えなかった。
そんなことをしている内に、二人は『星ヶ淵』にたどり着く。既に、大勢の人々が集まっていた。
「太悟くん、なんだろあれ」
ようやく落ち着いたファルケが、左手で指差しする。
池の周囲を囲むように支柱が並び、その間には縄が張られている。
さらに、縄には幾つもの木札が吊るされている。どれも、昼間には無かった物だ。
「うーん……? なんか召喚する儀式かな……」
と、二人で首を捻っていた、その時。
「おーい! 太悟さん、ファルケさん!」
眼鏡の青年、ナスルが駆け寄ってくる。
祭りの運営として忙しいようで、額には汗が浮かんでいた。それでもわざわざ声をかけてくれたので、太悟は敬服して頭を下げた。
「ナスルさん。楽しませていただいています」
「いやあ、そう言ってくれると嬉しいよ。こんな時代だからこそ、みんなの息抜きになればね」
辺りを見回せば、人々は友人、あるいは恋人と思い思いに祭りを楽しんでいる。
ナスルの目的は見事に果たされているようだ。
「あの、池を囲んでるのって何なんですか?」
ファルケがそう尋ねると、ナスルの教えたがりが発動した。
「星送りの時に、ああして願い事を書いた木札を池の周りに下げておくと、願いが叶うと言われているんだよ。君たちもどうだい?」
と、縦長長方形の木札を渡される。上の方に穴が開いており、そこに紐を結わえてぶら下げるようだ。
地球の日本で言う、絵馬のような物だろうか。
「願い……ってもなあ」
太悟は困った顔で頭を掻いた。
こんなものは、精々が縁起担ぎのお遊びだろう。村人も、観光客も、本気で叶うと信じているものはそう多くないはずだ。
それですら、太悟はあまり気が進まなかった。
どうにも、自分の願いは叶わないのが前提で、時に叶ったように見せかけて思わぬ結果になるのだ。
一方、ファルケは一緒に渡された鉛筆 (黒鉛と粘土を混ぜて焼き固めたもの)で、さっそく何か書き込んでいる。なるほど、こういうのは女性の方が好きかもしれない。
「ファルケはなんて書いたの?」
太悟が覗き込もうとすると、ファルケはびくりと肩を揺らし、木札を胸に抱え込んだ。
「あ、んー、えっと……ひ、秘密!!」
「えー」
たしかに、人に言いふらすようなものでもないか。
さすがに奪い取ってまで見るつもりは無く、太悟は諦めて自分の木札と向かい合った。
願掛けなど、気休めにしかならない。
それでも――――何かを願うならば。
「……よし」
強い決意とともに、太悟は鉛筆を走らせた。
書き終えて、ファルケと並んで木札を縄に吊るす。もちろん、何を書いたかはお互い秘密のままだ。
律儀に待っていてくれたナスルに、鉛筆を返した、その時。
「始まるぞ!」
誰かが叫ぶ。
そして、次の瞬間。池の水面に、月が浮かんだ。
水底に発生した光の塊が、太悟にはそんな風に見えたのだ。
その地上に降りた小さな月から、小さな白い光が浮かび上がる。
一つや二つではない。
十や百でも足りない。
何千という光の粒が、飛び交い触れ合いながら、ゆっくりと夜空に昇ってゆく。
まるで降り落ちた星々が、元の居場所に戻るかのように。
まるで悲恋に引き裂かれようとした二つの魂が、絡み合って天に還ってゆくかのように。
それは、虫がどうとか単なる伝説だとか、そんなことがどうでもよくなる程に、美しかった。
何時の間にか、太悟はファルケの手を握っていた。あるいは、ファルケが太悟の手を握っていたのかも知れない。
「太悟くん」
「ん?」
「来年も、一緒に見ようね」
「………うん」
無数の輝きが、夜空に溶けるように消えるまで、二人はずっとそうしていた。
――――神のいるこの世界ですら、人の願いは儚いものなのだけれど。
太悟とファルケが固く手を繋ぎ合っている姿を、ナスルは後ろから見つめていた。
そこに、かつての自分と、幼馴染みの姿を幻視する。
何年も昔、青と桃の衣装を着た二人の子供が、そこに立っていたのだ。
自分よりも剣が上手くて、男勝りな少女。彼女が成長し旅に出てから、ナスルは月に一度の手紙を楽しみにしていた。
それが、「勇士として選ばれた」という連絡を最後に途絶えてしまっていた。今や、生きているのかさえ定かではない。
少しでも何か情報はないか、勇者である太悟に尋ねようとして、しかしできなかった。
もしも彼が知っていたら。
もしも、その口から最悪の結末が語られたら。
そんな恐怖が、ナスルの口を閉ざしていた。
星送りの今日ならばと、仕事の合間に彼女の姿を探した。けれど、「ただいま」を聞くことはできなかった。
旅から戻ってきた彼女に伝えたかった想いも胸の中にしまいこんだまま、埃が積もってゆくかのようだった。
「なあ、君はどこでどうしているんだ?」
今この場で、隣に誰もいない寂しさを感じながら、ナスルは幼馴染みの名前を呼んだ。
「――――マリカ」
♯♯♯
ふと、誰かに呼ばれたような気がして、マリカは顔を上げた。
それがベッドの上で眠り続ける日向 光一が発したものではないことはわかっていた。
一通りの介助を終わらせた後、マリカはずっと彼の寝顔を眺め続けていたのだから。
「そういえば、星送りの季節か」
夜の帳が落ちた空を窓越しに見上げて、マリカはそう呟いた。
辺鄙で、地味な村。もうずっと帰っていない生まれ故郷は、彼女にとってそんな場所だった。
唯一、祭りの夜だけはとても賑わっていて、楽しかった記憶もたしかに残っている。
幼馴染で、同じ剣を習っていた少年と飴を食べたり、出し物を観たり。
子供とは呼べない年齢になってからも付き合いはあったが……今となっては大して重要ではない。
最近は手紙も出していないことを、マリカは思い出したが、それよりも大切なことがある。
「光一。いつか、一緒に祭りに行こう」
そう言って、眠り続ける最愛の人の頬を撫でる。
古臭い伝統の衣装も、きっと彼が着れば輝いて見えるに違いない。
手を繋ぎ、並んで歩けば、誰もが恋人同士だと思うはずだ。
そのことを冷やかされた時、言い返す文句は決まっている。「それ以上の関係だ」と。
「ふふ、ふふふふ……」
彼女の中ではすでに確定している未来に、思わず笑みが浮かぶ。
そんなマリカを夜空から見下ろす三日月もまた、冷たい嘲笑を浮かべているかのようであった。




