星に願いを 2
その昔。狩人の青年と、領主の美しい娘が、互いに恋をした。
それが星送りの伝説の始まりだったという。
二人の恋は、身分違いの許されぬ恋であった。
反対する周囲の人間から逃れ、辿り着いたのは逢瀬に使っていた山の中の池。
すぐそこに迫る追手、捕まれば青年と娘は永遠に引き離されてしまうだろう。
もはや逃れられぬと悟った二人は、覚悟を決めた。現世で結ばれぬならと……池に飛び込んだのだ。
追手がいくら待とうとも、青年も娘も浮かんでは来ない。
夕日が沈み、夜空を月が飾った頃、異変が起きた。
水面から、無数の小さな光が浮き上がったのだ。まるで、地に降りた星々が天に帰ってゆくかのように。
ああ、それらはきっと、悲恋を嘆いて身を投げた二人の魂なのだろうと。
目の当たりにした人々は、自分たちの所業を悔やんだ。
以来年に一度、青年と娘の命日には人々が池に集まり、二人を供養するようになったという。
……ちなみに、この物語が何時頃のものなのか、青年と娘の実在などは定かではない。
小さな光の正体も判明していて、トビカガリと呼ばれる虫が、繁殖のため一斉に光りまくっているのだという。
あるいは、その情景から誰かが思いついた作り話なのかもしれない。
(まあ、伝説なんて大抵そんなもんか)
夕暮れ時。
太悟は、食堂の前で店主から聞かされた話を反芻していた。
どこかで聞いたような、量産型の悲恋物語。ロマンスと縁のない人生を送ってきた太悟は、とんと心を動かされない。
とはいえ、祭りとしての規模はなかなかのようで、屋台が立ち並び、明らかに村人ではない人間の姿を見かけるようになった。
この魔物がうろつくご時世に―――いや、むしろこんな時にこそ息抜きが必要なのか。
「にしても、この格好は落ち着かないな……」
溜息とともにそう言って、太悟は自分の体を見下ろした。
藍色をした、浴衣のようなひらひらとした服。伝説に出てくる狩人が着ていたのと同じデザインらしく、祭りを運営する村人から是非にと贈られたのだ。
星送りにおいて、男性はこれを着るのが伝統なのだという。女性側もそういう物があるらしく、年頃の少女を着飾るのが楽しくて仕方がないおば様方に、ファルケが攫われてしまった。
準備が出来たら、ここで落ち合う約束である。
日が沈みかけた今はやや涼しく、風通しの良い衣装と合わせて、程よく体を冷やしてくれる。
しかし屋外で寸鉄すら身に帯びていないというのは、やはりどこか心細いものがあった。
実の家族も気を許せない相手だったが、そこから逃げてきたはずの異世界では、理不尽な暴力まで追加された。
―――どうした。亀のように丸まっては稽古にならないぞ。それとも、背骨を砕いて欲しいのか?
―――ふーん、この術はこんな感じかぁ……ああ、大丈夫よ。それくらいの火傷じゃ死にはしないでしょ。
―――残念ですが、私の奇跡は光一さんのためにあるので。ちょっと、汚い手で触らないで!!
最近は、マリカにした警告もあって勇士たちが直接的に仕掛けてくることは無く、子供じみた陰口に留まっているが、身を守るために武装することは、すっかり習慣になってしまっている。
今や肌や骨は生半可な刃では通らないほど強く硬く、素手で木を倒せるくらいには鍛えられているのだが。
(何時になったら、ちゃんとした勇者になれるやら)
少しずつ夜が忍び寄る空を見上げて、太悟は溜息をつく。
どれだけ戦って力をつけても、あくまで勇者の代理でしかない。正式な勇者でないことは、太悟にとって大きなコンプレックスだった。
教会側としては、依然として現状をどうにかするつもりはないようだった。結局のところ、魔物は倒しているのだ。
では、もう戦わないとごねたとして、「そんな奴はいらない」と送り返される可能性が無いとは言い切れない。口だけで相手を言いくるめて要求を通す、そんな交渉術は身に着けていなかった。
本来なら下の立場であるマリカでさえ、まずは剣で打ち負かす必要があったのだから。
(あいつ、何時になったら起きるんだろう)
眠り続ける日向光一については、業務の片手間ではあるが、太悟も十分気にかけている。
出先でいろいろと薬品を買い求めて来たが、状況はまったく好転しない。
以前ファルケにも言った通り、太悟は彼が目覚めるまでは、神殿を支える仕事を果たすつもりでいる。それが、人生から逃げて来た自分にできる、せめてものけじめだと。
だが、その決意も………かなり、くたびれてきていた。
明けない夜はないと、誰かが言った。
けれど、その夜の長さは人によって違う。生涯続く夜さえあるだろう。
夜明けが来ると信じて耐えて、それが仮初めの灯火ではないと誰にわかるのか。
(いっそ、全部投げ捨てたら、きっと楽なんだろうな)
空を見上げていたはずが、何時の間にか足元を這い回る視線。
その時、
「太悟くん! おまたせっ!」
準備が整ったらしい。ファルケの声に、太悟は顔を上げる。
そして、息を止めた。
太悟が着ている物とは色違いの、ゆったりとした薄桃色の衣装。
細い腰に巻かれた赤い帯。
焦げ茶色の髪を飾る、オレンジ色の細かい花弁を持つ花の飾り。
そんな装いの美少女が、駆け寄ってくる。
「見て見て! 似合うかな―――わっ!?」
何かにつまづいたか、前に倒れかかるファルケ。太悟はそこでようやく我に帰り、慌てて彼女を抱き止めた。
ふわ、と鼻腔を満たす香りは、香水をつけているのだろう。胸の奥がきゅっと締め付けられて、何だか、落ち着かない。
「うー……ごめんね太悟くん」
胸元で、ファルケが見上げてくる。
それだけで、言葉が詰まって出てこない。けれど黙りこむのも変だから、太悟は無理やり絞り出した。
「だ、大丈夫。その……似合ってる、その服……」
女の子にこんなことを言う日が来るとは。変な感動をする太悟に、ファルケがにこりと笑いかけてくる。
「えへへ、ありがと! 太悟くんもかっこいいよ!」
この数秒で、何度心臓が破裂しそうになっただろうか。
ドキドキがまったく止まらない。今までどんな戦いの中にあっても、こうはならなかった。
となると、ファルケは最強の敵かもしれない、などと無意味な思考が脳を走る。
「そ……それじゃ、行こうか」
ふらふらとファルケから離れて、太悟は道行く人の流れに乗ろうとした。ここから池までは、少し歩く。
道の端には先端にランタンがくっついた細い柱が設置され、客が迷わないようになっている。
「あ、太悟くんちょっと待って」
「ん?」
ファルケの声に振り返れば、差し出された手。
「この服、着慣れなくて動きにくいから……あたし、また転んじゃうかもしれないし。だから……手、繋ご?」
彼女は、そんなに自分の心臓を破壊したいのだろうか。
ああ、きっとそうだ。
ちょっと顔を伏せて、上目遣いにそんなことを言うなんて。
これが死因なら、たとえ天国に行けなくても幸せに違いない。
太悟は自分の手に汗が滲んでいないのを確認してから、ファルケの手を握った。




