星に願いを 1
サモネリア王国に属する、山中の小さな村。その外れに、綺麗な円形をした池があった。
『星ヶ淵』と呼ばれるその池の、風に揺らぐ水面は、直上から振る陽光を受けてきらきらと輝いている。
その瞬間だけを切り取れば、平和と自然の美しさを表現する名画に成り得るだろう。
だが、悲しいことに時間は進むもので、平和とは崩れ去るものである。
ざん、と水飛沫を上げて爆ぜる水面。
そこから飛び出してきたのは、魚などではない。
平べったい頭。短い四肢を生やし、暗灰色のぬらりとした皮膚を纏った胴体。
そして、半ばから先端までがヒレ状になった尾。
サンショウウオの特徴を持つ、全長六メートルの体躯。その魔物の名は、スライマンダーといった。
「うべっ」
スライマンダーが下生えを踏み潰して着地すると同時に、その頭から転げ落ちる人影。
金属製の蔦を幾重にも巻いて形成した擬似筋肉の上に、竜の骨を装甲として纏うコロナスパルトイ。その使い手である狩谷太悟は、巨大な丸鋸に長い柄を生やした旋斧カトリーナを杖代わりに立ち上がった。
魔物に振り払われた時に多少ダメージを受けたが、腰に差した狂刀リップマンによる回復を行うほどではない。
「太悟くん、大丈夫……すごいねっとりしてる!?」
「うえー、気持ち悪」
池の淵で待機していた少女が、太悟に駆け寄る。
焦げ茶の短髪、金色の瞳。暗緑色のマントに身を包んだ、《精霊射手》ファルケ・オクルス。
彼女の言う通り、太悟の体にはねとねとした粘膜がこびり付いている。
村の大事な池に住み着いた魔物を退治して欲しい。
そんな依頼を受け、ファルケと共にやってきた太悟は、なかなか出てこないスライマンダーに業を煮やしたのであった。
「やっぱり、池の中に飛び込むことなかったんじゃ」
「まあ……外に出てきてくれたから、結果オーライってことで」
そう言って、太悟は装甲に引っ付いているぬるぬるを振り払った。
普通なら池を見張って出て来たところを攻撃するが、今回は出来れば夕方までに倒してほしいと頼まれている。
現在、太陽は直上にあった。今から片づけを始めれば、どうにか間に合うだろう。
スライマンダーが、短い足でのそのそと近づいてくる。つぶらな目は、見る者によってはかわいいと感じるかもしれない。
もちろん、魔物愛好家 (けっこういるらしい)ではない大悟は、殺意をもってカトリーナを構えた。
ファルケも蟹の鋏の形をした海弓フォルフェクスを、マントの下から取り出す。
「殺戮暴風圏!!」
「シーカーショット!!」
魔法によって多重に複製された、旋斧カトリーナの刃が。風の精霊の力を持つ、緑に輝く矢が。
一斉にスライマンダーに向かって殺到する。雑魚ならば、それだけで駆逐できる攻撃だった。
一方、黒いつぶらな目を持つ、どこか間の抜けた顔をしたその魔物は、取り立てて回避も防御もしない。
ただ、そのぬらぬらした皮膚だけで十分だったのだ。
魔法の旋刃も、精霊の矢も、接触した瞬間に「つるっ」という擬音が聞こえそうなくらい見事に滑り、何処かへ飛んでいってしまった。
「げっ」
「わー、また効かない~!」
太悟は顔をしかめ、アルマガージョに矢を逸らされた記憶も新しいファルケが嘆きの声を上げる。
スライマンダーが、平たい頭を持ち上げる。半開きの口から、ごぽごぽと音が漏れる。
友好的な挨拶が飛んでくるとは思えない。太悟とファルケは息を合わせ、右に跳んだ。
魔物の口が、大きく開かれる。そこから発射される、半透明をした粘液の塊。
それは緩く弧を描いて、太悟たちが立っていた場所に着弾した。
衝撃が地面に大きく穴を開け、粘液がもったりと広がってゆく。
そして立ち昇る、白煙と刺激臭。草や石ころが、粘液に混ざるように溶け崩れてゆく。
人体も、さぞかしよく溶けることだろう。
「うえー」とファルケが顔を青くする。
太悟は鎧の肩から生えた棘を引き抜き、短剣としてスライマンダーに投擲した。木の板を貫通し、岩に食い込む威力が、もごもごと口を動かすスライマンダーの鼻と鼻の間に、さくりと突き刺さった。
普通に痛かったのだろう、ぎいぎいと巨体を揺する魔物。
なるほど、と太悟は呟く。
「無敵ってわけじゃなくて、魔法が効かないタイプかな」
「あたし、手も足も出ないじゃん……んー、囮やるね」
「任せた」
地面を蹴り、太悟は左に駆けた。首を振り、その動きを追うスライマンダー。
その顔面にばさりと振りかかる、土や雑草。
ファルケが矢を放ち、わざと地面を吹き飛ばしているのだ。こうした挑発は、知能の低い魔物にはなかなか効果がある。
目論み通り、スライマンダーが標的を変える。溶解液の砲弾が、ファルケに向かって発射された。
「プリズムシャッター!」
少女を覆うように、瞬時に展開する巨大な泡。
薄く虹色を纏うその表面を、溶解液が滑ってゆく。
海弓フォルフェクスに宿る魔法の力だった。
「ふっふーん! 滑らすのは、そっちだけの技じゃないもんね!」
そう言って胸を張るファルケに苛ついたかは定かではないが、スライマンダーは次の攻撃に移ろうとする。
だが、
「残念、僕のターンだ」
横合いから突っ込んできた太悟が突き出す、旋斧カトリーナが、魔物の長い横っ腹を食い破った。
高速回転する刃が、ぬめった皮膚とぶよぶよした肉を容易く引き裂いてゆく。
スライマンダーの大きな口から、それよりさらに大きな悲鳴が上がる。
「サンショウウオは真っ二つにされても死なないんだって? 試してやるよ!!」
その時。苦痛に耐えかねた魔物の巨体が大きくうねり、滅茶苦茶に暴れ出した。
力比べで負けるつもりはないが、体格差、体重差は否めない。下敷きにされる前に、ちょっとした細工をして、太悟は跳び離れた。
「もうちょっとで倒せるかな?」
油断なく構えるファルケに、太悟は首を横に振った。
「いや、もう終わりだよ」
えっ、とファルケが呟いた、その直後。
おそらく再び溶解液を吐こうとしていた、スライマンダーが爆発した。内側から生じた爆炎と衝撃が、その原型がわからなくなるほどまでに、魔物を粉砕したのである。
ぼたぼたと破片が降り注ぐ中、ファルケが「おおー……」と戦慄する。
「離れる時、傷口から中にイクスプロド・ポーション捩じ込んでたんだ」
たとえ半分に裂かれても平気だったとして、ここまでされては生きられまい。狙い通りの結果になったことに、太悟は兜の下で笑った。
飛び散った肉片は、再生のために動き出す様子もなく、ただ静かに黒い煙のような瘴気に還ってゆく。
戦いは終わりだ。太悟はコロナスパルトイの顎を開き、新鮮な空気を吸った。
「あとは、一応周囲の安全を確認して……村に戻って報告かな」
♯♯♯
「やあ、本当にありがとう! 噂通りの腕前だ!」
二人を待っていたのは、今回の件の依頼人である青年だった。
眼鏡をかけた穏やかな人物で、腰には長剣を吊るしている。心得があり、単なる威嚇のために装備しているわけではないのが、しっかりした体つきからも見てとれる。
名前は、ナスルと言った。村の青年団のリーダーを務めているらしい。
「池の周り、ちょっと荒らしてしまったんですけど……」
太悟は頭を掻きながら言った。魔物と戦う以上、周辺環境への気配りはなかなか難しい。
以前、納屋などを壊してしまって大変怒られたことがある。
しかし今回その心配は無いようで、ナスルは笑みを絶やさない。
「それくらいどうとでもなるさ。池さえ無事なら、星送りは無事に開催できる」
「星送り?」
ファルケが首を傾げて聞き返す。すると、青年は待っていましたとばかりに目を輝かせた。
「うちの村の伝統でね、まあちょっとしたお祭りをやるんだよ。池……『星ヶ淵』は、そのための大事な場所なんだ!」
へえ、と太悟は辺りを見渡した。
たしかにあちらこちらに資材が積まれ、村人たちが忙しそうに走り回っている。何事かと思っていたが、祭りの準備をしていたらしい。
幼い頃、兄とともに両親に連れられてやってきた縁日を思い出す。その時ばかりは、周囲の熱気に煽られてか、太悟にもおこぼれがあったのだ。
「良かったら、君たちにも参加してほしい。男女二人だから、ちょうどいいしね」
「お祭り楽しそう! ね、太悟くん?」
ちょうどいい、の意味はわからなかったが、別段予定もない。
ファルケも乗り気である。太悟に断る理由はなかった。
「……そうだね。せっかくだし、ちょっと寄っていこうか」
本格的に始まるのは夕方からというので、それまでは村の食堂で休憩させてもらえることになった。




