夢見る雛 14
怪我をしたくてする奴は、なかなかいないだろう。
狩谷太悟はそう考える。
彼自身、魔物と戦う以上常に無傷というわけにはいかないが、出来る限り負傷を避ける努力はしていた。傷を癒すポーションもただではないし、リップマンによる再生はとても痛いからだ。
最近はファルケがやたら負傷を気にするので、太悟はなおさら気を付けていた。
とはいえ、どうしようもない状況というのはある―――人を庇った時とか。
「太悟殿っ!」
腕が、とターシェが叫ぶ。
言われなくても、左腕(三代目)が切断されたのは分かっている。この程度の魔物にしてやられるとは、草葉の陰でカピターンが怒っているかもしれない。
泣き喚きたくなるような痛みは、昔からの友人だ。歓迎できるタイプの友ではないが。
倒れて転げ回る代わりに、太悟は旋斧カトリーナを掲げた。
「殺戮……ぐっ、暴風圏!!」
魔法で生み出した旋刃が、アルマガージョに襲いかかる。
魔物は鋼色の竜巻となってそれを防ぐが、それでいい。必要なのは時間稼ぎだった。
太悟は竜骨の鎧から尾を伸ばし、跪いて動かないターシェに巻き付けた。取れた腕は……回収してる暇はない、廃棄だ。
失血で動けなくなる前に、太悟はターシェを引っ張って、その場から離脱した。
といっても、闘技場の外に出ただけだが。比較的まだしっかりしている外壁の傍で、ファルケが傷ついた三人の応急手当をしていた。
「太悟くん。こっちは大丈夫……腕っ!!!」
少しばかり減った太悟の体積に、ファルケが目を剥く。
「自分のせいで……ああ、何ということを……」
ターシェの方も、世界の終わりのような顔をしている。
二人分の泣き声を聞いている時間は無いので、太悟はカトリーナを置き、狂刀リップマンの柄を握った。
腕の断面から立ちどころに骨が伸び、筋肉がそれに続き、血管が、神経が張り巡らされる。
そうして数秒で、太悟は新たな左腕を得た……ように、ファルケとターシェには見えただろう。
「ぐううううっ」
痛覚に直接塩水を注がれているかのような激痛に歯を食いしばり、目を血走らせていた本人としては、誇大でなく数百年にも感じていた。
滝のような汗も猛烈な吐き気も、これが初めてではない。荒れ狂う不快感を呼吸にて調節し、太悟はどかりと座り込んだ。
「ふう」
「太悟くん、ポーション……」
「お、ありがとうファルケ」
コロナスパルトイの顎を開き、ファルケから受け取った体力回復のポーションを一息にあおる。腕を一本生やすには、そこそこエネルギーが必要なのだ。
「腕、もう痛くない?」
「うん。へっちゃら」
心配そうなファルケの前で、太悟は、既に装甲された左手を振って見せた。
痛みも消え、前と同じように動かせる。今すぐリベンジマッチに挑めるだろう。
さて、どうしようか。というのは、アルマガージョにどう対処するかではない。
「ごめんなさい、ごめんなさい……やっぱり、自分は……」
そんなことを呟きながら蹲り、卵のように丸まってしまったターシェ。自分の殻に閉じ籠った彼女を、どうすればいいのか。
「自分は……生まれてくるべきでは、なかった……!」
そう、ターシェがか細い声を漏らす。
それを聞いて、なるほど、と。
太悟の中に、すとんと落ちるものがあった。
どうして、ターシェを放っておけなかったのか。その答えがわかった気がする。
「ちょっ……ちょっと、何言って……」
「ファルケ、任せて」
見かねたファルケを手で制し、太悟はターシェの前で片膝をついた。
少女は元より大柄ではないが、今はさらに小さく見えた。
そこに、太悟は幻を見る。在りし日の追憶を。
「ターシェ」
そう声をかける。小さな体がびくりと跳ねた。
少し考えてから、太悟は、続きを口にした。
「君は……ずっとそう言われながら生きてきたんだな」
それがどんなに残酷なことであるかを、狩谷太悟は、よく知っている。
♯♯♯
ターシェが十歳になった日。
行われたのは、生まれたことを祝う誕生日会などではなかった。
修練場に連れて来られたと思ったら、父から投げつけられたのは、訓練用の木剣。
今までの成果を見せてみろ。そう告げられ、ターシェは演武をすることになった。
精霊剣舞、大地の章。その、最大奥義までを操れるか。
ターシェは、必死に取り組んだ。
もしこれに成功すれば―――父が、自分を認めてくれるかもしれない。
だが、少女を待っていたのは、もっと冷たいものだった。
観覧する兄や姉たちが投げかけてくる嘲笑。剣の振り方、足の運び、一挙一動に陰口が伴う。
四方から飛ぶ侮蔑の視線は、まるで身を焼かれるかのようだった。
やめて。
見ないで。
言わないで。
嫌な気持ちが、ターシェの中に溜まってゆく。
その重さに引っ張られたのか。
極限の集中力を要する、最後の奥義を放つ段で、ターシェは転んだ。気付いた時には、うつ伏せに倒れ付していたのだ。
やってしまった。そう思った時には、何もかもが手遅れだった。
「ターシェ。貴様は―――我が家の、恥だ」
ターシェは、何も出来なくなった。何かを成し得る自分を、信じることが出来なくなった。
肝心な時には必ず失敗し、向けられる視線や声から逃げるため、虫のように丸くなる。そんな生き物になった。
皆が、そう望んだ存在に。
だから、フレアの周囲の圧力に負けない強さに憧れた。
その背中の後ろで守ってはもらえたが、自分自身が強くはなれなかった。
勇士になってから、所属する神殿の勇者に相談したこともある。
異世界からやってきた彼ならば、変わった知見を持っているかもしれない。
返って来た言葉は、「君は君のままで良いんだよ」。
それは優しい言葉だったが、毒にも薬にもならなかった。
そして、今―――ターシェは顔を上げ、目の前にいる少年と向き合った。
戦場で戦う異例の勇者、狩谷太悟と。
「あ……」
ターシェは、彼の黒い瞳を直視し、息を呑んだ。
そこには、悲しみがあった。
怒りがあった。
憎しみがあった。
悔しさがあった。
諦めがあった。
それらを何度も何度も上塗りして、瘡蓋のようになってしまった。そんな色の瞳。
「出来損ない、とか。役立たず、とか。生むんじゃなかった、とか。ずっと、ずっと、そう言われてきた」
血を吐くかのような声音で、太悟は言葉を紡いだ。
いや、実際に血は流れているのだろう。
心の傷を、自ら抉っているのだから。
「誰にも期待されない。自分を好きになったことなんて一度も無い。そんな人間だろ。僕も、君も。何にも出来ずに終わる、そんな人生だって。そう思って生きてきたんだ」
ターシェは、泣いていた。悲しいからではなかった。
きっと、涙などとうに枯れ果てた彼の代わりに泣いているのだろう。
「だけど……それでも」
少年の声が、にわかに熱を帯びる。
鎧われた握り拳に、力が入るのがわかった。
「女神が現れた、あの日。自分を信じたんじゃないのか。自分を、自分の運命を!」
そうだ。
学園を卒業し、しかし実家に戻るのも嫌で途方に暮れていたあの日。
突如として出現した聖霊石と、それが映し出した女神の姿。
世界を守る新たな勇士として選ばれた時の喜びは、一生忘れられないだろう。
「だから神殿に来たんじゃないか! どいつもこいつもが貼り付けてきたレッテルひっぺがして! 僕だって、何かが出来るんだって! 勇者に……特別になれるんだって!」
太悟が叫ぶ。
ああ、そうだ。
だから、ターシェは神殿に向かって走ったのだ。
勇士になって、自分は出来損ないじゃないと、生まれて来て良かったんだと、心の底から叫ぶために。
生まれて初めて、自分を信じて戦うことを決めたのだ。
「でも……自分は……っ」
けれども、うまくはいかなかった。
神殿に来てからも、結局は失敗ばかりで、仲間たちを失望させて。あの日の気持ちも、何時の間にか忘れてしまっていた。
その活躍を風の噂に聞く先輩のような、偉大な勇士になるという目的も、ただの虚勢に近い。
ターシェが何か言おうとする前に、太悟は首を横に振った。言葉にする必要など無いほどに、彼は理解しているのかもしれない。
「この世界に来ても、やっぱつらいことばっかだった。やめたい、逃げたいって、何度も思ったよ」
太悟が語れば、ターシェの視界の端で、ファルケ・オクルスが俯く。
自分には知る由もない物語が、そこにあるようだった。きっと、この涙と同じ味を、太悟は知っている。
まるで鏡写しの様に同じ傷を負った彼は、それでも戦い、今この戦場にいる。
「でも……自分で選んだ道からも逃げ出したら……もう二度と、立ち上がれなくなっちゃう気がするんだ」
ターシェの肩に、手が置かれる。
押さえ付けるでも、引っ張るでも無く。それは、彼女の答えを待っていた。
「戦おう、ターシェ。あの日の僕らのために。君が戦うなら、僕は―――」




