夢見る雛 13
遠い日の記憶。マギアベル国立魔法学院の大ホールで行われた、卒業式。
ターシェ・サント・デュモンは在校生として、卒業生を見送る立場だった。
学園長―――齢数百を越えるという魔女―――を前に、一人檀上に立つ憧れの先輩の姿を、眼鏡を通して見つめている。
「フレア・クリムゾン。貴方は学生生活を通し、最も優秀な生徒であることを証明し続けました」
時の厚みを感じる、厳かな声。フレアは怯むことも畏れることもなく、学園長と向き合っている。
彼女は、何時もそうだった。誰が相手であろうと、常に自分を貫く。
その凛とした姿を学園で見るのは………これが、最後になる。
「その功績を称え、貴方にはこれを授与します」
学園長が、皴の寄った両手を虚空に差し伸べる。
そこに魔力が集中し、別空間と繋がる穴が生じるのが、ターシェにもわかった。
そこから出現したのは、一本の短杖。美しい金色に光るそれは、この学院に通う生徒すべての憧れだ。
初代国王にして学園長である、アラスター・マギアベルが使っていたという金色の杖、その模造。
最優秀生徒であった証として贈られる品だ。
「拝領させていただきます」
フレアが杖を両手で受け取る。
「―――クリムゾンさん。貴方は、この学院の誇り。卒業後も、その活躍に期待していますよ」
そう、学園長が微笑んだ瞬間。ホール内が歓声と拍手で溢れかえった。
フレアの友人や恩師、そして敵であった者でさえ、彼女を祝福していた。
ターシェも夢中になって手を叩いていたが、肝心のフレアの姿は、おぼろげにしか見えなかった。
目に涙が溢れていたから。
「フレアぜん゛ばい゛ぃぃ~~~! 自分はざみじいでありまずぅ~~~!」
卒業式後、校庭にて。
学園を出て、各々の道を行かんとする生徒たちの中、ターシェはフレアに縋り付いていた。
先輩の卒業は、喜ばしいと同時に悲しく、寂しいものだった。笑顔で送り出したい気持ちと、行ってほしくない気持ちは、僅差で後者が勝っていた。
「まったく、あんたの泣き虫は最後まで治らなかったわね」
涙やら鼻水やら擦り付けられないようかわしながら、フレアが苦笑する。
そんな彼女に、何度助けてもらっただろう。幾つもの思い出がさらに涙を呼んでターシェの顔面をぐしゃぐしゃにする。
「だっでぇ~~~お別れなんて……寂しいでありまずっ!!」
ずびっ、とターシェは鼻水を啜る。
彼女の青春は、常にフレアとともにあった。いや、フレアこそがターシェの青春と言ってもいい。
魂を半分に裂かれるような、そんな痛みさえ感じていた。
「別に、これが最後のお別れってわけじゃないでしょ。……たく、仕方ないわね」
カモの雛のように自分の後ろを追ってきていた後輩の頭を、フレアがふわりと撫でた。
慣れ親しんだ感触と体温。いつもは安らぎと、そして今は切なさを、ターシェに感じさせる。
優しくて頼りになる、最高の先輩。その勇気と自信に満ちた瞳と向き合う。
「ターシェ。何かあったら、あたしを頼りなさい。何時でも何処でも、助けてあげる」
……そんな、きらきらと輝く思い出が脳裏を過るのは。
きっと、ターシェの体が猛烈な危険を感じているからだろう。
―――クケェェェェッ!!
鋭い翼を広げ、アルマガージョが開かぬ嘴から鳴き声を発する。
全身を襲う圧力は、今まで対面して来た魔物たちの発するそれとは比べ物にならない。ぶるり、と背筋が震えた。
自分でこれなら、真正面から対峙している彼は、一体どうなっているのか。
「バルガンド殿っ!!」
ターシェがその名を呼べば、イクサ帝国の将校はちらりと振り返った。
「ターシェ、何故ここに……ともかく、下がっていろ!!」
セリフの最後は、パイルランチャーの発射音にほとんど掻き消されていた。
音を超える速度で放たれる鉄杭。それが貫通しない魔物を、ターシェは見たことがない。
無論、実体が定かではないような相手は別だが、アルマガージョはしっかりとした肉体の持ち主である。
通用しないはずがない。
だが。
―――ケェェッ!
鋼色の翼が、一閃。響く金属音。
二本の棒がくるくると空中を回転し、バルガンドの足元に突き刺さる。
真っ二つに断たれた鉄杭が。
「ぬぅっ」
バルガンドは、負けじと二発目、三発目の鉄杭を撃つ。
アルマガージョが、ずしりと前進。地を掻く鉤爪は、重たげな巨体を存外素早く運ぶ。
鉄杭は、魔物の進行を阻まなかった。翼に斬り伏せられる、二の舞、三の舞。
瞬く間に距離を詰められて、バルガンドが呻く。
何故離れないのか、その理由を、ターシェは彼の軍服に滲む赤によって知った。
仲間たちが倒れている中、自分一人だけ無傷でいられるような男ではない。回避さえ困難なほどに、バルガンドもまた、負傷しているのだ。
そして今、膝を突き、アルマガージョのぎらりと光る嘴を受けようとしていた。
「さ、させませんっ!」
ターシェはサーベルを抜いて駆け出した。
バルガンドは偉大な戦士であり、厳しいながらも何かと面倒を見てくれた恩人だった。
追放を言い渡されたとしても、ショックではあったが、恨む気持ちは無い。
死なせたくはなかった。
「ドラゴンスラップ!!」
そして、そう考えていたのはターシェだけではなかった。
先んじて飛び出し、バルガンドの前に立った太悟が左腕の装甲を竜の腕に変えて、アルマガージョに叩きつけた。
激しく散る火花。魔物の巨体が後退する。
太悟はそのままバルガンドを掴み、反対側に跳躍。その直後、
「アサルトレインっ!」
≪精霊射手≫ファルケが、拡散する青い矢を放った。
―――クケッ!
対して、アルマガージョはその場で横に回転。
銀色の竜巻と化して、殺到する無数の矢を弾き飛ばす。
「わぁ、やっぱり効かない~……」
苦い顔をするファルケ。そんな彼女に向けて、アルマガージョが大きく頭を振る。
がこ、と斧の刃のような鶏冠が外れ、射出。真っすぐに飛んで行く。
「はっ!!」
それを、ターシェはサーベルで叩き落した。
勢いを失って地面に落ち、それからアルマガージョの頭部に戻る鶏冠。
「貴方の相手は、自分でありますっ」
青いマントを翻し、仲間たちを背にして、ターシェはサーベルを構えた。
「ターシェ、ちょっとだけそっちお願い!」
叫ぶ太悟は、バルガンドとレヴァンを抱えていた。ファルケはラフルーを背負っている。
安全な場所に避難させてくれるようだ。ならば、自分は任された仕事に注力するのみ。
「てやっ!」
見るからに重装甲な魔物の、鎧の隙間を狙って、ターシェは突きを繰り出した。様子見の攻撃を、鋼の左翼が防ぐ。
応報とばかりに打ち振るわれる右翼。ターシェは咄嗟に屈み込む。
はらり、と切断された帽子の羽飾りを置き去りに、豹のごとく駆ける少女。
アルマガージョの横をすり抜け様に、その細い脚を斬り付ける。
だが、手首に返って来たのは、刃が鋼の上を滑るだけの感触。
(硬い!)
今の自分の剣技だけでは、どうにもならない。
アルマガージョの背後に回ったターシェは、大地の精霊を呼び集め、術を編む。
「ハマダ・ランサ!!」
波のように押し寄せる岩槍を、しかし魔物は一蹴した。
穂先は装甲に触れては圧し折れ、振り回された剣の尾羽に叩き割られる。
ターシェは呻いた。剣技のみならず、ただの術では通用しないらしい。
(……ただの術、では)
どくん。ターシェの心臓が高鳴る。
その隙を突いて、アルマガージョが攻めに転じて来た。
巨体を大きく回転させて、刃の翼を、剣の尾羽を繰り出してくる。
「わ、とっ、わぁっ」
サーベルの刀身で、受け、逸らし、ターシェは攻撃を凌ぐ。
これを永遠には続けられない。息を切らせば、その瞬間に首が飛ぶだろう。
強くなる一方の圧力に耐えながら、精神を集中し、精霊を呼ぶ。
「精霊剣舞、大地の章……ダストミラージュ!!」
ぶわ、と舞い上がる土埃。
長く滞留する砂色の煙幕の中で、アルマガージョが戸惑いの声を上げる。
だがこれも、その場凌ぎにしかならない。太悟たちが戻ってくるまでの時間を稼ぐにも、必要なのは火力だ。
そう判断した頭に従って、自然に体が動く。腰を深く沈め、サーベルを握った手を後ろに引いて、まるで弓を射るかのような姿勢。
これから放つは最大奥義。ターシェは息を吸い、唱える。
「精霊剣舞、大地の章―――」
―――お前には、できない。
少女の前に、大きな影が立ち塞がった。
それは、凍えるように冷たい目で、こちらを見下ろしていた。
「は、っ……」
息が出来ない。全身を針金で縛られているかのように、動けなくなる。
―――役立たず。
―――出来損ない。
―――生まれてくるべきではなかった。
影が、ターシェを取り囲む。降り注ぐ、声と視線。
見たくない。聞きたくない。
逃れなくては。何時ものように、体を丸めて。
気付けば地面に倒れていたターシェの傍で、がちゃ、と音がする。
土埃の術が解け、獲物の姿を再認識したアルマガージョが、右の翼を振り上げていた。
ターシェはそれを、ぼんやりと眺めていた。
もはや、凶刃からは逃げられまい。だが、それも良いかも知れない。
これ以上自分が生き長らえて、何になると言うのだ。
あの日、言われた通り。
ずっと、言われ続けてきた通り。
出来損ないで、役立たずの人生は、ここで終わりにしよう。
そして、翼が振り下ろされる―――瞬間。
「ターシェ!!」
どん、と横から突き飛ばされ、ターシェは地面を転がった。
何が起こったのか、体を起こした彼女が見たのは。
赤い飛沫を飛ばしながら、空中を舞う棒のような物と。
左肘から先を失った、太悟の姿だった。




