夢見る雛 10
クラウドマウンテンの空を、巨大な鷹が飛んでいる。
当然、ただの動物ではない。鉤爪で牛を二頭掴んで軽々飛べるような、巨大な鷹だ。
総身に纏う濃藍色の羽根。風を切る翼の端は金色で、時折雷光が閃く。
サンダーフラップと呼ばれるこの鷹の魔物に、恐れる物などなかった。
人間によるほとんどの攻撃が、この高度まで届かないからだ。
魔法や矢の類は空に届くまでに威力を減じ、飛べる者がいたとしても、サンダーフラップが空中戦で負けることはない。
故に―――ちょうど今、自分の下で蠢いている勇士どもが何をしようが、大した脅威にはならないのだ。
サンダーフラップは大きく羽ばたき、下の方に向けて、その翼から数枚の羽根を撃った。
それらは空中で雷に変じ、地表に落ちては爆音を轟かせる。
ただこれだけのことで、人間は成す術もなく逃げ惑うのだから、愉快でたまらない。
さて、逃げ遅れて丸焦げになった者がいれば啄んでやろうかと、サンダーフラップが考えていた、その時。
不意に、視界の端に何かが入り込んだ。
――――!?
驚いて見てみると、それは一匹の蝶だった。
翅も体も真っ白でひらひらで、如何にも頼りなく宙を漂っている。
何の脅威にもなるまい。サンダーフラップは安堵した。
しかし、蝶はこの高さまで飛べる生き物だっただろうか。いや、それよりも……この香りは何だろう。
花のそれによく似ている。
けれどもっと複雑で、刺激的で、ずっと嗅いでいたくなるような香りだった。
サンダーフラップは、生まれて初めて感じるその快感に、一瞬で魅了された。
あらゆる違和感は消し飛んで、その白い蝶が、生き物ではなく特殊な香料を染み込ませた紙によって作られた道具であることにも気付かなかった。
そして、
「妖香秘術、魔酔い蝶……うふふ。儚い夢の贈り物よぉ」
地上で、《妖香師》ラフルーが艶やかな笑みを浮かべていることにも。
一人の勇士が跳躍し、まさしく稲妻の速度で自身に迫っていることさえも。
「極楽気分のとこ悪ぃが、お邪魔するぜ」
武道着を纏う男、《瞬雷脚》レヴァンが目の前にやってきて、サンダーフラップはようやく我に返った。
対応は、もはや間に合わない。
「さっきは雷ありがとよ。だが、こっちも負けちゃいねぇ!!」
男が高く振り上げた、右足。それは青白い雷光を纏っていた。
古くはカグラ国よりやってきた一人の武道家が編み出したという、疾風迅雷流格闘術。
それを若くして極めた天才、レヴァンの繰り出す技は、徒手にて巨岩すら砕くのだ。
「天来槌ッ!!」
落雷の如き踵落としが、サンダーフラップの脳天を直撃する。
―――ギャアアアアッ!!!
雷を操る魔物として、同じ属性に対する耐性を、サンダーフラップは備えている。
だがレヴァンの一撃は、ただ単純に凄まじい打撃として、魔物の意識を刈り取っていた。
羽ばたきを止めた翼は浮力を生まず、巨体が地上に引っ張られてゆく。
遠ざかる空。だが、サンダーフラップはそこらの雑魚魔物ではない。
すぐに意識を取り戻し、翼を広げ、体勢を立て直そうとする。
そして次の瞬間、その翼に、子供の背丈ほどもある鉄杭が突き刺さった。
――――ギィイ!?
瞬く間に翼を穴だらけにされる。そうなっては、いくら羽ばたこうが無意味でしかなく。
サンダーフラップは、心から蔑む地面に叩きつけられた。
木々がへし折れ、巨体が舞い上がった土に塗れ、濃藍色が醜く汚れる。
だが、それでもまだ生きていた。鉤爪を地面に突き立て、ずたずたの翼を支えとプライドを支えに立ち上がろうとし、そして。
サンダーフラップは見た。こちらに向かって駆けてくる軍服の男、《鉄血》バルガンドの姿を。
「もう何もさせんぞ、馬鹿めっ」
その腕に抱えたパイルランチャーは、本来なら車輪付きの台に乗せて運用する兵器だ。
常人なら、四人がかりでようやく動かせるほどの重量。
バルガンドはそれを、たった一人で、軽々と振り上げた。
「貴様は長く生き過ぎた。とっととくたばるがいい!!」
硬く、そして重い、パイルランチャーという鈍器がサンダーフラップの頭を粉々に叩き潰し、その意識を永遠に途絶えさせた。




