夢見る雛 9
「ターシェ」
自らの闇の中に籠っていたターシェは、少年から投げかけられた声に、びくりと肩を震わせた。
怖い。顔を上げ、声の主と向き合うのが、怖い。
考えただけで、心臓がぎゅっと握り締められるかのようだった。
冷たい汗が流れ、体がかたかたと震える。
だが、無視するなどという選択はあり得ない。
所属は違えど勇者で、その上命の恩人だ。そんな失礼を働くわけにはいかない。
全身が錆び付いたかのような動きで、ターシェは顔を上げた。
竜の頭骨を模した兜、開いた顎の中にある少年の顔と出会う。
黒い髪、黒い瞳、平凡な顔。鎧を着ていなければ、その他大勢の市民と見紛うかも知れない。
だが彼は、正真正銘の勇者だ。
タワーオブグリードを討伐し、カピターンを倒した《孤独の勇者》。勇士たちの希望の星。
自分とは、何もかも違う。比べることさえ愚かしい。
そんな人物からの言葉を、ターシェは息を止めて待っていた。
「そろそろ先に進もうと思うんだけど、行けそう?」
「――――」
ターシェは、我が耳を疑った。
彼の口からそんな台詞が出てくるなんて、考えてもいなかった。
「あっ……ぅ、じ、自分は……」
何と返答するべきか、ぐちゃぐちゃの頭で考える。
正解―――ターシェの中でのそれを、必死で音にする。
「……自分は、これ以上貴方たちに迷惑をかけるべきではないと、思います」
「迷惑?」
ターシェはぎゅっと膝を抱え込んだ。
「太悟殿も、見ておられたでしょう。魔物を前にして無様を晒した、自分を」
「ああ……あれは、まあ、びっくりしたけど」
「神殿の皆さんに見放されて当然であります。まともに戦えもしない勇士なんて……何の価値も……」
大口を叩いた挙げ句しくじって、勇者に余計な手間をかけさせる始末。
もしも今この瞬間、体が土塊となって崩れたなら、どんなに良いか。
そうなれば、あらゆる苦悩から解放されるに違いない。いや、誰かに迷惑をかけ、失望される前に、そうなるべきだったのだ。
「ターシェ」
澱んだ闇の中に沈んでゆくターシェの思考を、少年の声が引き上げる。
自分と視線を合わせるために、わざわざ屈んだ彼の顔には、苦笑が浮かんでいた。
「なあ、君があれを、今まで何度やってきたかわかんないけどさ」
「……」
「僕にとっては、まだ一度目なんだよ。それだけの失敗で人を見限るなんて、普通しないでしょ?」
僕だって、今まで何度しくじったやら。
そう言って、太悟が肩を竦める。
「太悟殿……」
「それに、最近気付いたんだけど、僕は案外辛抱強い方みたいで。ちょっとやそっとじゃがっかりなんてしないさ。えっと……あー、そうだなあ」
太悟は、何やら考える素振りをしてから、眉間に皴を寄せて目を細め、絞り出すかのように言った。
「……出撃しないで神殿に籠って、無駄遣いしたり僕を攻撃してきたりする勇士には、がっかりするかな……」
その言葉に、ターシェは思わず吹き出してしまった。
無駄遣いはともかく、勇者に攻撃する勇士なんているわけがない。
どんな勇士でも、すべからく勇者を敬愛し、守ろうとするものだ。毛筋ほどの僅かな傷でもつけてしまったら、立ち直れないほど落ち込むだろう。
ましてや―――《孤独の勇者》。
この世界のために命がけで戦場に立ち、そして今、冗談で自分を慰めてくれようとする彼を、どうして攻撃できるだろう。
「いるわけはないでしょうが……そんな勇士よりは、自分は少しだけ、マシかもしれませんね」
ターシェは立ち上がった。
まだ不安は心の中に残っているが、ここまでしてもらって、何時までも泣きごとは言っていられない。
「太悟殿が許す限り。このターシェ・サント・デュモン、何処までもお供いたししましょう」




