勇者のお仕事4
「太悟くん!」
悲鳴じみた声を上げて駆け寄るファルケに、しかし太悟は片手を上げて制止をかける。
ファルケは混乱していた。
何故少年は泥を投げたのか。そして太悟は顔面を泥まみれにされたのに、どうして平然としているのか。
「あんたが、みんなが言うとおりすごい勇者なら、なんで……なんであの時来てくれなかったんだよっ!」
ファルケの混乱を置き去りに、少年の声が続く。
「パパとママは、魔物に殺された! ぼくの家も、村も、ぜんぶ無くなっちゃったんだぞ!」
「…………」
フィンの叫びを、怒りを、悲しみを、太悟は受け止めていた。
言い返さず、目を逸らさず、ただただ向き合っていた。
「パパとママをかえせっ! あんたなんか、大嫌いだ!! 」
フィンが小さな拳を振り上げ、太悟を叩く。何度も、何度も。
それでもなお、太悟は何もしない。
「おいフィン! やめろって!」
「勇者さまになんてことするんだよー!」
他の子供たちが止めに入るが、フィンはそれを振り払い、走り去っていった。
「なんだなんだ、どうしたんだい!?」
騒ぎを聞きつけて、ルドナが走ってくる。右足は、やや引きずっていた。
「司祭さま! フィンが勇者さまに……」
「あー、遊んでたら僕が転んじゃって。ちょっと顔、洗ってきます」
子供たちの言葉を遮って、太悟が足早にその場から離れる。ファルケも慌ててその後を追った。
井戸の水を汲み上げて、バシャバシャ顔を洗い始める太悟。泥を落とし、水気を払う。
「ふう」
「太悟くん、手拭い」
「お、ありがと」
太悟が顔を拭くのを待ってから、ファルケは口を開いた。
「……あの、何で」
「うん?」
少し考えて、また続ける。
「……泥。避けなかったの?」
普段から魔物と丁々発止しているのだ。あの距離でも、子供が投げた泥をかわせないわけがない。
その上、あんな言葉を浴びせられて、叩かれて。なのに、太悟は怒る様子すらなかった。
その問いに、太悟が笑う。苦笑い、だった。
「僕が勇者だから。代理だけどね」
「………」
「真面目に答えてるよ。あそこで僕が避けたら、誰があの子の……フィンの気持ちを受け止めてやれるんだ?」
太悟は淡々と語り始めた。
たとえば。自分の両親も家も故郷も、すべてを失って孤児になったとする。
命だけは助かったが、孤児院という慣れない環境で、以前とはまったく違う生活を送らなければならなくなった。
夜ごと夢に見るのは、家族や友達と故郷で暮らしていた時の記憶で、それがかえって日々の辛さを増幅する。
鬱屈をため込んだ、そんなある日。
女神の代行者として人々を守る任務を与えられたにも関わらず、それを果たせなかった者が、聖人面してやってきたら。
「そりゃ、泥玉でもぶつけなきゃ気がすまないよな」
ファルケは首を横に振った。
「そんなの、太悟くんのせいじゃないよ!」
「そりゃそうだけどさ。じゃあ魔物に石でも投げろなんて言えないだろ、小さな子に。フィンの村のことは……助けにいくことさえできなかったし、何もしてあげられなかった。僕だけのせいじゃないにしろ、無関係じゃない」
戦場で戦う、勇者だから。
守るべきものに手が届かないことを、仕方ないなんて納得したくはないと。
「だけど……っ」
ファルケは唇を噛んだ。
それを言うなら、最近まで勇士としての役目を放棄していた自分の方が、余程責任は重い。
今の第十三支部の勇士はどうだ。ベアトリクスはどうだ。
泥のつかない場所で、泥まみれの者を嘲笑う、彼らに罪はないというのか。
「どうして、太悟くんがそこまで背負わなきゃいけないの」
胸の痛みを抑えながら、ファルケは言葉を絞りだした。
そうだ。少なくともこの孤児院に関しては、他にもっと背負うべき人物がいるはずだ。
「ここは、だって……ベアトリクスのいた孤児院なのに」
ファルケがそう言うと、太悟は「ああ」と声を上げた。
「なんだ、今日はやけに静かだなって思ってたら、そんなこと考えてたのか」
「うっ……」
自分では平常を装っていたつもりだったが、様子が違うと気にされていたらしい。ファルケは頬を赤らめた。
ならば、隠していても仕方ない。胸の内に湧いた疑問を、太悟にぶつけてみることにした。
「太悟くんは、その、今のベアトリクスのこと……ここの人たちに話そうって思わないの?」
「思わない」
太悟は即答した。笑ってさえいた。
思い悩んだ昔を懐かしむような、そんな雰囲気があった。
「あー……いやまあ、ここに初めて来た時は、ちょっと思ったよ。みんな大好きな《慈雨の呼び手》が、今どんな生活を送ってて……僕に何をしたのかを、言いふらしてやろうかって」
けれど。
子供たちが、ルドナが楽しげ思い出話を語る様子を見た時、考えが変わったという。
「それをやっても、僕の溜飲がちょっと下がるだけで、誰も幸せになんないんだよ」
孤児院の皆は、まず信じないだろう。信じたとして、深く深く傷つくだけだ。
既に光一のことしか頭にないベアトリクスが、今更気にするとも思えない。
何の解決にもならない憂さ晴らしの結果がそれなら、しない方がずっと良い。
それよりも、子供たちが飢えないよう手を貸す方が、余程価値のあることだ。
そう思ったから、太悟は言いたいことも辛いことも全部飲み込んで、孤児院と今の関係を続けている。
「……太悟くんは、それで辛くないの?」
「自分の辛さに関係ない人を巻き込むのは、勇者のやることじゃない」
そう言って、顔が乾いた太悟が歩き出す。
「最近、畑が荒らされてることがあるって言うから、見回りに行ってくる。ファルケは、ルドナさんを手伝ってあげて」




