勇者のお仕事3
昼食の後は自由時間だった。
子供たちに囲まれて庭に出る太悟を、ファルケは近くで見ていた。
腰に佩いた狂刀リップマン以外は武装を解いた勇者は、わんぱくに付き合えるよう身軽な姿である。
「勇者さまー、追いかけっこしよー」
「いいよ。僕がオニやるから、転ばないようにね」
「ダイゴにいちゃん! オレに剣教えてくれよ!」
「うーん、僕も人に教えられるほどじゃないんだけど……ケガしないように気を付けてやろうか」
「オイラはヒュポポヌボッポやりたい!」
「わかっ……ごめん、わかんない……」
青空の下、わいのわい群れる子供たちと遊ぶ太悟。
ファルケとしては、永遠に見ていられる光景だ。絵画として残しておくべきとすら思う。
彼女の心を覆っているもやもやも、いくらか晴れるような気がした。
その時。ツギハギだらけのぬいぐるみを抱いた少女が、太悟の手を引いた。
「あのね、あのね。勇者さま」
「ん? どうした?」
「ベアトリクスねえさまは、どうして帰ってきてくれないの?」
太悟の表情が、強張る。ファルケも思わず息を止めた。
少女の問いへの答えを、よく知っているから。
―――あなたには何も関係ありませんわ。それよりも、私には光一さんのためにやるべきことがあるので。
ここに来る直前に聞いたベアトリクスの言葉。それが全てだった。
太悟が誘ったのは、子供たちのためだったのだ。ベアトリクスを慕う子供たちに、一目でも会わせたいと。
しかし彼女は、それを拒絶した。日向光一の傍から離れたくないがために。
勇士が自分の勇者を想う、その気持ちはファルケにもよくわかる。
だが、そのために家族と会おうとすらしないというのは、いくらなんでも度が過ぎているのではないか。
(あたしだって、家族は大事だもん)
まだ太悟と出会う前。
勇士として戦うファルケの原動力は、故郷を守りたいという意思だった。
魔物を倒し、魔王を滅ぼし、故郷の家族に平和をもたらす。太悟の役に立ちたいという目的も今は大きいが、初心は忘れてはいなかった。
「ねえさま、きてくれるって言ってたのに……マギーがわるいこだから、きらいになったの……?」
少女の声は、涙に濡れていた。
違う、と。ファルケは声を大にして言いたかった。
嫌いなら、むしろどれほど良かっただろう。「それより」と脇に除けられる無関心は、遥かに残酷だ。
それを、幼い少女に言えるはずもない。
口を引き結んだまま、ファルケは、自分の胃が石になったかのような重さを感じていた。
「――――マギーは良い子だよ」
膝を折り、少女の濡れた瞳に視線を合わせ、太悟は言った。
その顔に浮かぶ微笑は、子供を安心させるための気遣いだろうか。
「マギーは優しいし、ルドナさんのお手伝いもちゃんとしてる。それに、もう一人で歯磨きができるじゃないか。そんな子を嫌いになんてならないさ」
「……勇者さまも、きらいじゃない……?」
「もちろん。大好きだよ」
少女の頭を撫でながら、太悟は続けた。
「ベアトリクスだって、本当はマギーやみんなに会いたいんだ。だけど、この世界を守るために戦ってるから、今はまだ帰れないんだよ」
嘘だ。
太悟のその言葉が嘘であることを、ファルケは知っている。ベアトリクスが、帰れないのではなく帰らないのだということを知っている。
けれど。一体誰が、その嘘を咎められるだろうか。少なくとも、ファルケにできない。
だから、黙って太悟を見つめていた。
「いつかきっと帰ってこれるようになるから、待っててあげて。それまでは、僕がここに来る。それじゃ、ダメかな……?」
「………うん」
少女が、目元を拭って頷く。
「あのね、マギーは勇者さまのこともだいすきだよ」
「ん、ありがとう。嬉しいな」
二人の間に、ふわり笑顔の花が咲く。
ファルケはその光景に、胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。
それは、太悟が見せた優しさへのときめきか。あるいは、おそらく叶うことのない少女の願いへの心苦しさか。
自分の心の動きに耐えかねて、ファルケは視線を動かした。そして、気付く。
遠巻きから太悟を見つめる、少年の存在に。
(……あれ、さっきの子?)
太悟が菓子を配っている時も、決して近寄っていこうとしなかった少年だ。
固く握り込んだ拳は………あまり、好意的には見えない。まるで、敵を前にした獣のような気配が、小さな体から炎のように立ち昇っている。
「おっ、フィンもいたのか」
「フィンもこっち来て、勇者さまとあそぼーよ!」
少年の存在に気付いたのはファルケだけではない。他の子供たちが手を引き、太悟の前に連れてくる。
フィンと呼ばれた少年は、ずっと押し黙っていた。嫌だとも、何とも言わない。
どうにも、良くないことが起きそうな気がする。ファルケの勘が、そう囁いていたが―――
「やあ、君は……最近来た子かな。初めまして、だね」
止める間もなく、太悟はフィンと向き合った。中腰になり、目を合わせようとした、その時。
べしゃり、と。
太悟の顔に、泥の塊がぶつけられた。
「………何が、勇者だよ………」
他の誰もが凍り付いたかのように動きを止めたその中で、フィンが呟く。
先ほどまで握りめていたその手は、泥で黒く汚れていた。
「ぼくの家族を、助けてくれなかったくせに!!」
澄み切った青空の下。少年の怨嗟の声が、遮る物も無く響き渡った。




