勇者のお仕事2
今ではすっかり見ることがなくなった、かつてのベアトリクスにファルケが唖然としていた、その時。
向かって右側の部屋の扉が開き、中から祭服を着た若い女性が出てきた。
サンルーチェ教の女司祭だ。
「おっ、勇者様じゃないか。ひさしぶり、よく来てくれたねぇ!」
肩の辺りで切り揃えた、短い金髪。清純さよりも活発さを感じさせるのは、その明るい声からだろうか。
右頬に刻まれた傷跡がファルケの目を引く。
大きな爪で引っ掻かれた跡。おそらくは、魔物によるものだろう。
「ご無沙汰してました、ルドナさん。あ、こっちは僕の仲間のファルケ」
太悟に紹介されて、ファルケは「よ、よろしく」と会釈した。
人の顔をじろじろ見るのは、あまり行儀が良いとは言えない。
ルドナと名乗った女司祭は特に気にした様子もなく、からからと笑った。
「おっ! あんたが仲間連れてくるなんて初めてじゃないかい? あたしはルドナ。この孤児院の院長をやってるもんだよ。奇跡も使えない司祭だけど、よろしくなぁ」
伸ばされた手に、ファルケは握手を返す。ルドナの手の皮は固く、鍛え込んだ形跡があった。
剣、あるいは槍だろうか。何にしても、この女司祭は戦うために武器を振るっていた経験があるに違いない。
「さあ、こんなところで立ち話するのもなんだ。まずは子供たちに会っておくれよ。みんな、勇者様が来てくれるのを楽しみにしてるんだ」
そう言って、ルドナは今しがた出てきた扉を開けた。
日の当たる広い部屋。中には古い長机と椅子が幾つか並んでいる。
昼時である。隣接しているらしい調理場からは良い匂いが漂ってきていた。
十人程の子供たちが掃除や片付けをしていたが、入ってきた太悟の姿を見るや、一斉に駆け寄ってくる。
「勇者さまだ!」
「ダイゴにいちゃん!」
「今日もなんか持ってきてくれたの!?」
「あんたたち、ちゃんとご挨拶しなさいよー」
五歳くらいの、まだ小さな少年。少し年上のやんちゃそうな子。年長らしい、しっかりとした女の子。
色んな子供たちが口々に言いながら、我先にと太悟の足にしがみつく。その勢いによろめきながらも、太悟は一人ひとり頭を撫でていく。
その様子を見て、ルドナが嬉しそうに微笑む。
ファルケも胸が温かくなった。太悟が慕われている姿を見るのは、とてもいい気分だ。
「あんまり来れなくてごめんね、みんな。ほら、お菓子だよ」
太悟が担いでいた大きな袋を床に置き、その中からさらに袋を取り出す。
中身は焼き菓子や飴だ。子供たちがわっと声を上げる。
「わーい!」
「ありがとう、勇者さま!」
「いつもありがとうございます」
「おーい、お菓子はご飯食べてからだぞー」
はしゃぐ子供たちに、笑いながら声をかけるルドナ。
ふと、ファルケは一人の少年の存在に気付いた。
歳は十歳ほどだろうか、お菓子に喜ぶ輪の外で、服の裾を握って俯いている。
「………?」
ファルケは首を傾げたが、「恥ずかしがり屋なのかな」と、変には思わなかった。
彼女自身も小さい頃は引っ込み思案で、訓練以外では一人で本ばかり読んでいた記憶がある。
「で、こっちは保存食とお金になります」
「いつもすまないねぇ……助かるよ。せめて、昼飯くらい食べてっておくれ。大したものは出せないけどね」
「ご相伴にあずかります。ファルケ、お手伝いしよう」
「あ、うん」
二人で配膳を手伝った後、いただきます、の声とともに食事が始まった。
パンとスープに野菜炒め。質素だが、温かい料理だった。
普段は寄付やサンルーチェ教からの補助金、そして裏手にある畑でやりくりしているのだという。
このご時世である。運営はかなり厳しく、どうにか一日一食、ということもあったらしい。
そんな時に現れたのが太悟だったという。
「前に、この辺に魔物が出た時に来てくれてねぇ。それ以来、お世話になりっぱなしさ」
食後。後片付けをしながら、ルドナが言った。
子供たちも協力し合い、机を拭いたり、食器を運んだりしている。
太悟とファルケも、その中に混じって働いていた。
「大したことしてないんですけどね。安定して支援できてるわけじゃないですし」
皿を洗う太悟は、そう苦笑した。
ファルケはその隣に立って布巾を持ち、同じように洗い物をこなしていた。
(太悟くんも、ちゃんとご飯食べてなかったのに……)
神殿の勇士たちを養うために、太悟自身は最低限の生活をしていた。
その上で孤児院の援助まで行っていたのだ。しかも、自分を苦しめているベアトリクスが育った場所の。
―――どうして私が、あなたを助けなければならないのですか?
かつて、《慈雨の呼び手》ベアトリクス・レーゲンは、ファルケが憧れる人物の一人だった。
慈悲深く、しかし強い意志を持ち、魔物から人々を守るため身命を賭して戦う勇士。
だが、光一が病に倒れてからは、ただそのことだけに心が奪われてしまった。太悟がいくら頭を下げようとも、決して力を貸そうとはしなかった。
それどころか、傷ついて戦場から帰ってきた太悟を見て、癒すどころか嘲り詰り、罵倒する。
誰も頼んでいないことで、がんばったつもりになるなと。
薄汚くて、みっともない男だと。
サンルーチェ教の司祭が、他でもない女神が呼んだ勇者に、そう暴言を吐くのだ。
ただ盗み聞きしていたファルケでさえ、ひどく嫌な気持ちになり、心から失望したのを覚えている。
当事者である太悟は、もっともっと辛かっただろう。ベアトリクス本人はもちろん、彼女にまつわるすべてを嫌っても不思議ではない。
ベアトリクスがこの孤児院で育ったというのなら、支援どころか、文句の一つでも言いたいはずだ。
(あたしだったら……関係ないってわかってても、なんか言っちゃうかも)
ファルケは、太悟のことを幾らか知ったつもりになっていた。それ自体はきっと間違ってはいないのだろう。
けれど……彼が今、どんな気持ちでこの場にいるのか、想像もつかない。
隣でコップを拭く太悟の横顔は、何も語らない。
(太悟くんのこと、もっと、知りたいな)
彼の心の、深い部分。そこに何があるのか。
単なる好奇心ではない、もっと別の感情が、ファルケの中に芽生えていた。
「……あの、ファルケ。さっきからお皿くるくる回してるけど、大丈夫?」
「へぁっ!? ご、ごめん!」




