勇者のお仕事1
「だーかーら! 一回くらい顔見せてあげなってば!!」
「ひゃっ」
朝の空気を吸いながら、神殿の廊下を歩いていたファルケは、後ろから飛んできた大声に思わず飛び跳ねた。
声の主はわかっている。彼女の勇者である、狩谷太悟だ。
そしてもう一人、彼にそんな声を出させた誰かがいるらしい。足音は二人分聞こえる。
答え合わせに、ファルケは振り返った。廊下の向こうから歩いてくるのは、二つの人影。
一つは当然、太悟だ。何やら、人間一人くらいは入れそうな大きな布袋を肩に担いでいる。
そして、もう一つ。純白の祭服に眼鏡をかけたその姿は、ファルケもよく知る人物だ。
《慈雨の呼び手》ベアトリクス・レーゲン。この神殿の古参勇士であり、故に太悟のことを峻烈に嫌っている人間でもある。
それが、こちらに向かってつかつかと歩いてくる。
ファルケはさっと廊下の端に寄った。かつては尊敬の対象であったベアトリクスだが、今は顔を合わせたい相手ではない。
「全然帰っても来ないし、手紙もよこさないって聞いてるぞ!」
「あなたには何も関係ありませんわ。それよりも、私には光一さんのためにやるべきことがあるので」
太悟が放つ言葉を、ベアトリクスは一顧だにせず切って捨てる。この神殿で、幾度も繰り返された光景だ。
だが、どうも今回は内容がいつもとは違うらしい。
ファルケは身構えていたが、結局ベアトリクスはこちらを見ることさえ無く、足早に立ち去って行った。
後に残された太悟が溜め息をつく。
「まったく、なんて言い訳したらいいやら」
「どうしたの太悟くん。なにそのおっきな荷物」
なんとなく小声で、ファルケは太悟に話しかけた。
全身武装しているのは何時ものことだが、担いでいる袋は初めて見た物だ。
出撃するにしては、いささか大荷物が過ぎる。
「ん? これ? あー……そっか、まだ言ってなかったっけか」
忘れてたな、と太悟が呟く。
彼と一緒に出撃するようになってから大分経つが、まだファルケが知らないことがあるらしい。
「あたしに手伝えることある?」
ファルケの金色の瞳が、奮起に輝く。出撃であれ何であれ、太悟の役に立てることなら、何でもしたい。
やる気満々な若き勇士を見て、太悟が「それじゃあ」と声を出す。
「ファルケも、一緒に来てもらおうか。………勇者の仕事」
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お馴染みの、転送に伴う光が消えた時。
ファルケの視界に映ったのは今まで見たことのない景色だった。
林を切り開いたのであろうその土地は広く、周りを木の柵で囲んでいた。
一ヶ所に両開きの門があり、そこから舗装されていない道が伸びている。
その向こうに、小さな町が見えた。遠目でも崩れている家などは見当たらず、廃墟ではないようだ。
柵の内側にあるのは、二軒の建物。
一軒は、ファルケが生まれ育った村にもあった、サンルーチェ教の教会だ。
白を基調とした奥行きある建物で、屋根の天辺には、十字の中心に円盤を重ねたサンルーチェ教のシンボルがあった。
もう一軒は、平屋の建物。
教会よりも大きいが、何に使われているのかはわからない。
ただ、煙突が煙を吐き、煮炊きの匂いが漏れ出ていることから、人の生活があるのはたしかだった。
つまり。
程よく日が差し、小鳥が囀るこの場所は、戦場では無い。
ファルケは目をぱちくりさせながら、よいしょと袋を担ぎ直す太悟に顔を向けた。
「太悟くん、ここって……」
「サンルーチェ教の教会が運営してる、孤児院だよ」
もともと、教会にそうした施設が併設してあるのは珍しいことではなかったが、近年になって急速にその数を増やしていた。
理由は簡単だ。《常闇の魔王》オスクロルドが放った、魔物による侵攻。
勇士すらいなかった初期。それはそれは、恐ろしい数の犠牲者が出たという。
当時を知る、今や数少ない人々は皆一様に語る。
あれは、本物の地獄だったと。
異世界から勇者を招き、各地に勇士団が結成された現在も、多くの村や町が被害を受けていた。
親兄弟たちが命を落とした中、生き延びた孤児たちが幸運と言えるかどうか。
一気に増大した需要に対し、供給は間に合っているとは言えず、そこに歪みが出る。
ファルケも噂程度にしか聞いたことははないが、食うにも困っている施設も、珍しくはないという。
「今日ここに来たのは……なんだっけ……ああ、慰問ってやつだよ。大物倒したおかげで、懐に余裕できたからね。前回から、ちょっと空いちゃったけど」
「そうなんだ。……あれ」
ふと、ファルケの頭の中で、何かが引っかかる。
サンルーチェ教、孤児院。これら二つの言葉に関連する何かが、身近にあったような。
思い出す前に太悟が歩き出したため、ファルケは慌てて後を追った。
古びた両開きの扉が、軋んだ音とともに開く。
おじゃまします、と玄関に入ったファルケは、最初に目に入ったそれに硬直した。
玄関正面の壁、そこに飾られた絵の中で、見覚えのある人物が慈悲に満ちたほほ笑みを浮かべていた。
――――《慈雨の呼び手》ベアトリクス・レーゲンが。
自分も最初は驚いたんだと、太悟が苦笑する。
「ここ、ベアトリクスが育った孤児院なんだよ」




