外伝・風が吹く故郷5
食後、太悟たちは村の診療所にやって来ていた。
他の建物と違って、こちらは地面の上に作られている。
プリスタが言うには、飛行しての怪我人病人の運搬は危険であるため、らしい。
木造縦長の建物の中に入ると、そこにはベッドが並んでいた。
そのほとんどが埋まっており、負傷したエアリア族や勇士たちが横たわっている。
強いポーションで急速に負傷を直すのは、本来は肉体に負担のかかる荒療治であり、危急の場でもなければ推奨されない。
医師や看護師が歩き回る中、太悟は意識のある勇士に近付いた。
「救援に来ました。大丈夫ですか?」
全身に包帯が巻かれた青年が、無理やりにこりと笑って見せる。
露出した歯列の一部が欠けていた。
「あちこち骨がへし折れてるが……俺はマシだな。なんたって、こうして生きてるんだから」
つまりは、マシではなかった者もいるのだ。
太悟は黙って頭を下げた。
勇士は、時に死ぬことすら任務となる。だが、命の価値が低いわけでは、断じて無い。
「他の雑魚はどうにでもなんだが……一目風竜。あいつは手に負えねえや」
勇士が語るには、常に空中に浮かんでいるため剣は届きにくく、矢や術の類いも起こす風で逸らされてしまうのだという。
その上、向こうは突風を起こして辺りを薙ぎ払い、空気の砲弾を放つなど、一方的に攻撃してくる。
制空権を完全に奪われている状態だった、
「それは……きついな」
太悟は唸るように言った。
敵を調べ、弱点を探るのは戦いの基本であり、故にもっとも重要な部分だ。
しかしながら今回、太悟が利用できそうな弱みが見当たらなかった。有効そうな遠距離攻撃は持ち合わせておらず、当然空も飛べない。
現時点では、手の打ちようが無かった。
「―――出ていけっ!!」
悩んでいた太悟の鼓膜を、女性の怒鳴り声が貫通する。
首を振り向けると、診療所の奥、カーテンに取り囲まれたベッドの傍にプリスタが立っていた。
だが、声の主は彼女ではなく、カーテンの向こうにいる誰かのようであった。
「姉さん、私は……」
「お前と話すことなど無い! さっさと出ていけ!」
取り付く島もない、とはまさにこのことだろう。
プリスタは何か言いたげにしていたが、やがて肩を落とす。そして踵を返し、診療所を出ていってしまった。
怪我人の見舞いをしていたダンが、どたどたと彼女の後を追う。
「あそこのベッドは……レンカか。村を守ろうとして、一目風竜にやられちまったんだ」
少し上体を起こし、首をねじ曲げながら、勇士が言った。
姉さんと、プリスタは呼んでいた。
家族との仲に問題があるのは自分だけじゃないらしいな、と太悟はため息をついた。
昼間に何があろうと、夜は必ずやってくる。
打って変わって村内は静まり返り、ひと時の平和を享受する。
太悟はそれを乱さないよう、極力音を立てずに薄闇の中をぶらぶらしていた。
もちろん、呑気に散歩をしているわけではない。
夜襲に備えて、完全武装の上で見回りをしているのだ。太悟、プリスタ、ダンでローテーションを組んでいる。
順番を最初にしてもらったのは、どうにも心がざらついていて、とても休む気分では無かったためだ。あの怒鳴り声の後で、即高いびきをかけるダンの心の強さが羨ましい。
(そりゃまあ、僕が気にするようなことじゃないんだろうけども)
他人の家族仲の前に、自分の方をどうにかしろという話だ。
なんとなく、足元に転がっていた小石を蹴る。それはころころ転がって、やがて何かに当たって跳ね返る。
「これは……」
近付いて見てみると、それはどうやら階段のようだった。一番上の段で、太悟より頭一個分高い。
しかし不思議なことに、その階段はどこにも繋がっていないのだ。
石造りで重く頑丈で、移動させるような車輪もついてはいない。
「それは飛練台よ」
声に振り返ると、プリスタが立っていた。
彼女の出番は、まだまだ先の筈だ。綺麗な顔には、疲労の色が濃い。
落胆や、悲しみも含まれているようだが。
「もう少し、休んでた方が」
太悟がそう言うと、エアリア族の勇士は薄く笑みを浮かべた。
愚問だっただろう。ほぼ無関係の筈の自分でこれなら、当事者である彼女は横になどなっていられるわけがない。
「……私たちは、生まれてすぐに飛べるわけじゃないの。翼がしっかりしてきたら、飛ぶための練習をしなければならない。その時に、これを使うのよ。私も、そうだった……」
プリスタが飛錬台に触れる。
その口から語られるのは、幼い頃の思い出だった。
――――まだ三歳のプリスタにとって、ようやくてっぺんまで登った飛錬台の上は、あまりにも恐ろしかった。
だって、あんなに地面が遠いのだ。落ちたらきっと、大変なことになってしまう。
プリスタはその場でしゃがみ込んでしまった。
だって、とてもとても、怖いのだ。
ぷるぷると震え、今にも泣きだしそうな彼女は、レンカが自分を呼んでいることに気付いた。
ちょっと年上で、しっかり者で、頼りになる姉。
そっと下を覗いてみると、白い髪と白い翼の少女が、両手を広げていた。
「さあ、勇気を出して跳ぶんだ!」
プリスタはふるふると首を横に振った。
「やだ、無理だよお……」
「大丈夫だ。私が受け止めてやるぞ」
怖いものは怖い。
けれど、レンカの声を聞いていると、プリスタの中で少しずつ恐怖が薄れてゆく。
優しくて強い、大好きな姉。彼女の言葉を、疑ったことなんてない。
涙がにじむ目元の手で拭い、プリスタはよたよたと立ち上がった。
何度見ても高さは変わらなかったが、下にはレンカがいる。
それでもちょっぴり怖いから、ぎゅっと目を瞑って―――跳ぶ。
キケンな浮遊感。ちゃんと動かせるようになったばかりの翼で、必死にぱたぱたと羽ばたく。
もちろん、それで飛べるどころか、体が浮くことすらない。
ただただ落ちてゆくだけ。
でも。
「きゃっ」
ぎゅっと抱き止められて、目を開ければ、そこには大好きな姉の顔があった。
「よくがんばったな、プリスタ。えらいぞ!」
そう姉が頭を撫でてくれれば、怖かった記憶など、何処かに吹っ飛んでしまう。
宝石のように、美しく輝く日々。
それが永遠に続くのだと、この頃のプリスタは信じて疑わなかった。




