ダンジョンアタック5
ファルケの膝を借りてから、およそ三十分。
いい加減爆発四散しそうな心臓に耐え兼ねて、太悟は体を起こした。
「もういいの?」
「うん……十分休めたし……ありがとう」
鼻腔に残るファルケの香りにどぎまぎしながら、太悟は身支度を整えた。
横になったことで、いくらか疲れが取れたのは確かで、膝を借りる前より幾分か体が軽い。謎解きも捗るというものだ。
「さてと。それじゃ、改めて」
太悟は部屋内を見渡した。といって、注目するような物は限られている。
まず、太悟たちが入って来た扉と、その反対側にあるドアノブも何もない扉のようなもの。そしてその上に、およそ正方形をした枠があった。
枠内には、何か動物の絵が描かれている。塗料をふんだんに使ったのだろう、やたらカラフルだ。
他に装飾の類いは見当たらず、無表情なこの部屋の中で明らかに浮いている。ただの飾りではあるまい。
次いで、部屋の中央に鎮座する円卓……のような物。
円形の台に大きな円盤が乗っており、どちらも石で作られている。中央部は僅かにせり出していて、スイッチか何かのように思えた。
そこを押せば扉が開く、というのはさすがに安直だろう。
「うーむ」
太悟はおそるおそる円盤に触れた。ファルケには、魔物が来ないか周囲を警戒してもらっている。
よく見れば、円盤の縁には小さな溝が無数に刻まれていた。滑り止め、という言葉が太悟の頭に浮かぶ。
直感に従い、円盤を横に回せば、何処からか岩と岩が擦れるような硬く重い音がした。
何らかの機構が作動した証左。何が起きるか、太悟は身構えた。
「あっ。太悟くん、あれ見て」
そうファルケが指差す方を見れば、奥へ向かう扉の上の絵が変わっていた。
金の鬣の猛獣、おそらくはライオンだ。
そういうことかと、さらに円盤を回す。スライドする形で、絵が切り替わってゆく。
ライオン、牛、蟹、鳥、そして知らない動物が二種。
これら六つの絵、どれか一つを選ぶのか。あるいは、何かしらの順番に従って操作をするのか。
謎解きをしていたら、また謎が増えてしまった。
「まいったなあ。ここで立ち往生なんてしたくないんだけど」
「あたしのワイバーンブラストで、扉のとこ壊してみる?」
「んん……最後の手段にしよう」
正規の手段で扉を開けなかった場合に発動する罠もあると、太悟は聞いたことがあった。
危険を冒す前に、もう少し頭を使ってみることにしよう……といって、できるのは円盤を弄ることくらいだが。
「一回、真ん中のとこ押してみるか……」
太悟は唸るように言った。
得体の知れない装置である。とても気は進まないが、こうしていても埒が明かない。
何か罠があるとすれば、可能性が高いのはスイッチを押した者をどうこうするものだろう。ファルケには、離れた所で何時でも動けるよう待機していてもらう。
表示されている絵柄は、蟹。
アーモンドを横にしたような胴体から飛び出た一対の目、そしてハサミと足。
あまり正解とは思えない選択だが、今のところヒントが無いのだから、何でも同じだ。
僅かな躊躇いの後、太悟は円卓のスイッチを押した。
さあ何が起こるか、身構えて待つ。
残念ながら扉が開く様子はない。
代わりに、音がする。なんと表現すれば良いのだろう。
虫の羽音が、だんだん大きくなっているかのような。あるいは……何か、エネルギーをチャージしているかのような。
はっとして、太悟は絵の方に視線を走らせた。
蟹の目が、光っている。
「伏せろ、ファルケ!」
ほとんど叫びながら、太悟は身を屈めた。
ファルケは疑うことなくその通りにする。
直後。太悟の頭上を、一対の光線が貫いた。
蟹の目から、ビームが放たれたのだ。
「あっぶな……」
太悟はゆっくりと、慎重に頭を上げた。大気が焦げる匂いがするような気がする。
蟹の目から、もう光は消えていた。どうやら、ビームは一発限りのようだ。
コロナスパルトイの装甲が耐えられたかどうか、分からないし試そうとも思わない。
「太悟くん!? い、今の何!? 大丈夫!?」
ファルケが駆け寄ってくる。
ビームは直接円盤を操作している者を狙うようで、彼女の方にも放たれなかったのは幸いだった。
「まだ頭はくっついてるよ……ああくそっ。この分だと、他の絵にも罠があるんだろうな」
そうぼやいて、太悟は蟹の絵を睨みつけた。同時に、一度だけ試しに、という軽率さを反省する。
今回はビームだったが、天井が一気に落ちてきて、今頃その下敷きになっていてもおかしくはなかったのだ。
手当たり次第も封じられたとなれば、いよいよ手詰まりになってきた。
他の神殿ならば、特異な技能を持った勇士によって道を拓くこともできただろうが、ここにいるのは太悟とファルケだけだ。
こうなれば、撤退し他所に引き継ぐことも選択肢に入れなければならない。
どうすべきか、太悟が悩んでいたその時。円盤を調べていたファルケが声を上げた。
「太悟くん、ちょっとこれ……」
「どうしたの?」
「この回すやつに刻まれてるの、文字じゃない?」
そう言われて、太悟は改めて円盤を見た。
縁にずらり並ぶ滑り止め……と思われていた溝。言われてみれば、それだけの用途にしては、形状が複雑で、かつ法則性があるように思える。
これらが文字だとすれば、おそらく何らかのヒントだろう。だが、ここでまた問題が立ち上がる。
「なんて書いてあるんだろ」
太悟が言うと、ファルケがむーんと渋い顔をする。
「たぶん、第三期くらいの字だと思うんだけど……ちょっと古すぎるかなあ……」
さすがに、読むことはできないようだ。太悟とて、同じ日本の言葉といって古代文字を読めるかと問われれば、首を横に振るしかない。
どうしたものか。太悟は指先で文字らしきをなぞった。
――――ぐらりと、視界が揺れる。
何だと思考する間もなく、情報が流れ込んでくる。脳を大渦に放り込まれたかのようだ。
短い線と点、無数の図形の組み合わせ。それが文字であると、知らないのにわかる。わかってゆく。
膨大なる情報の奔流に混じって、「ああああああああああ」と無意味な音声が流れている。
それが自分の口から出ているということに、太悟はファルケに肩を揺さぶられるまで気が付かなかった。
「太悟くん? 太悟くん!?」
「う……ぐ……」
ジェットコースターに十時間ほど乗っていたかのような感覚とともに、太悟は我に返った。
体がよろめき、膝が崩れそうになるのを根性で堪える。
戦闘中でなくてよかった。何の抵抗もできずに殺されていただろう。
「大丈夫? お水飲む? 字を見てたら、急に……」
ありがとう、と太悟は何とか返事を絞り出した。
少し喉が痛むし、まだふらつくが、致命的なことにはなっていないようだった。
いつの間にか流していた冷や汗が気持ち悪い。だが、それらの些事よりも、優先すべき事柄があった。
太悟は息を吐き、少しばかりの覚悟とともに、円盤に刻まれている文字を見た。
そして、
「……『王の寝所に入る者、我らが神の許可を得よ』?」
文章の内容を、そのまま口にした。
「えっ!? 太悟くん、これ読めるの!?」
ファルケが目を丸くする。
「読めるというか、読めるようになったというか……」
太悟は顔を顰めながら言った。
そもそも、本来ならこうしてファルケと会話出来ていること自体がおかしいのだ。
太悟は日本語しかわからないし、ファルケが日本語を喋っているとは思えない。
実際、この世界で一般的に使われている文字は、当然ながら漢字やアルファベットとは違うこの世界独自のものだ。
しかし太悟は、この世界の人間と会話が通じず困った経験はない。文書も違和感無く読むことができる。
これに関しては明言されたことはないが、おそらく女神の加護か何かが働いているのだろう。
それはそうだ、世界を守るためにまず読み書きから始めなければならないのでは、文字通り話にもならない。
基本的には常用の言語のみをカバーしていて、古代語の類は必要に応じてアップデートしているのかもしれない。
他にも思い当たることはある。この世界にやってきてから、太悟は風邪一つひいたことがない。
神殿での生活が、決して快適なものでは無いにもかかわらず、だ。
これも、女神が病から地球の人間を守るための加護を与えていると考えるのが自然だろう。
(あれ、でも日向はどうなってんだ?)
延々と眠り続ける病に侵された日向光一。彼もまた、太悟と同じ女神の加護を得ている人間のはずだが。
神といっても、全知全能というわけではないのかもしれない。そうでなければ、わざわざ異世界から勇者を招かないだろう………
そこまで考えてから、今は他にやるべきことがある、と頭を切り替える。
新たなヒントを手に入れたなら、先に進むべきだ。
「『王の寝所』……たぶん、お墓ってことだよね? 王様の」
ファルケの言葉に、太悟は頷いた。
つまりこの遺跡は、地球で言うところのピラミッドのように、王の死後を守る墓として建造されたということだ。
「でも、『我らが神』ってなんだろう」
太悟は首を傾げた。
神話において、神の使いの動物や、動物の頭部を持った神など大勢存在する。
おそらく、枠の中の動物のどれかが、『我らが神』とやらの象徴なのだろう。
あっ、とファルケが声を上げる。何か閃いたようだ。
「この辺り、バーダル神の像があったよね。あの神様、お話でよく牛に変身するの。だから」
「正解は牛……ってこと?」
ようやく見えた光明。太悟は目を輝かせた。
「うん。それか、モギュルルパリパリだと思う」
「なんて?」
そして、その輝きは謎のワードの前に儚く消えた。
「モギュ……何……わかんない……」
太悟は震える声で言った。
対照的に、知識を披露できる機会に恵まれたファルケは、にっこり笑っていた。
「モギュルルパリパリだよ。いろんな神話やおとぎ話に出てくるすごい生き物。あ、でもウンマラッチャ・ロパもそうかな。こっちは昔、偉い人の乗り物として――――」
「ごめん、一回牛試していい? お願い……」
可能性としても一番高いということで、牛の絵が選ばれることになった。
四角い頭に湾曲した角を生やした威厳ある獣が、円盤の向こうから太悟を見返している。
先ほどの蟹のビームが脳裏に浮かび、思わず固唾を飲む。
もちろん、永遠に躊躇っているわけにはいかない。再び覚悟を決めて、太悟は円盤のスイッチを押した。
がこん、と音が鳴るのとほぼ同時に、部屋全体が揺れ始める。
太悟の頭に浮かんだのは、「部屋から脱出した方がいいかな」と「正解がモギュルルなんたらだったらちょっとやだな」という二つの思考。
だが幸いなことに、そのどちらも杞憂だった。
一分もしない内に揺れが収まる。そしてまた、がこん、という音。
牛の絵の下で、扉が沈んでゆく。古代の自動ドアだ。
その奥には、進むべき新たな廊下が続いている。
太悟とファルケは頷きあい、遺跡の最深部へと足を進めた。
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魔物との遭遇もなく、太悟たちは程なくして大広間に辿り着いた。
これまで通ってきた場所よりも、どこか神秘的に感じるのは、王の墓だと知ったからだろうか。
ちょっとした運動場ほどの大きさの室内を真っすぐに貫くように道があり、その左右には両手の斧を胸の前で交差させた戦士の銅像が並んでいる。
「……たぶん、ダンジョンのボスはここにいる。気を付けて進もう」
「うん……」
それぞれの得物を構え、太悟とファルケは互いの背中を守りつつ、部屋の奥へと進んだ。
他に誰も、何もいない空間に、二つの足音だけがしみ込んで消える。
今のところ気配はないが、何時魔物が姿を現すかわからない。
そうして、慎重に歩を進めていると――――二人は眩しさに目を細めた。
部屋の最奥には、石造りの棺があった。そこに、古代の王の遺体が収められているのだろう。
そして棺の周囲には、絵に描いたような金銀財宝が積まれていた。
数えるのも億劫になるような金貨の山。そこから突き出た、宝石でこれでもかというほど装飾された剣。
首飾りや腕輪のような装飾品は、まともに買おうとすれば一体どれだけの額になるのか想像もつかない。
太古の遺跡で魔物と戦い、宝の山を見つける。冒険の王道と言えるだろう。
「うわーーー! すっごいねーーー!!」
無邪気にはしゃぐファルケとは対照的に、太悟は訝しげに唸る。
「なんでボスの魔物がいないんだ? 他に道も部屋も無かったぞ……」
その時。かちっ、と小さな音がした。
太悟とファルケはすぐさま身構え、音の発生源に視線を放つ。
それは、宝の山から。積まれている金貨と金貨がぶつかった音だった。
………誰も、指一本触れてはいないのに。
それが呼び水であるかのように、何かが始まった。
金銀財宝が、次々に宙に浮かび上がる。太悟とファルケは後ろに跳び、距離を置いた。
金が、銀が、宝石が、空中でぶつかる。混ざり、溶け合い、まるでそこに見えない型があるかのように、新たなる形を成してゆく。
「オーホホホホホホホホホホッ!!!」
耳を劈く甲高い笑声とともに、それは完成した。
金色の髑髏。頭頂部に乗った立派な冠を含めれば、縦に五メートルはあるだろうか。
その左右に浮かぶのは、同じく金色をした骨の手首。両手合わせて十本の指には、色とりどりの宝石が輝く指輪がはめられていた。
「よーくぞここまで来たザンスね勇士ども! でも、アンタたちの快進撃もここまでってハナシ!」
チッチッ、と魔物が指を振る。
「このダンジョンの支配者であるアタクシ……ゴールデン・リッチ様の手にかかれば、アンタたちはあの世行きザンス!」
ついに現れたダンジョンのボス。
煌めく魔物を前にして、太悟はぽつりと呟いた。
「……ああ、リッチってそういう」




