ダンジョンアタック1
翌朝。身支度を整えながら、太悟は大きく欠伸をした。
目がしょぼしょぼする。眠れたのが明け方近くだから、どうやら寝不足のようだった。
「大丈夫? あんまり寝れなかった?」
マントを羽織りながら不思議そうに聞いてくる寝不足の原因に、太悟は曖昧な笑みを返した。
「これくらい、全然平気だよ……君は? よく寝れた?」
「うん、ぐっすり!」
「そっか~~~~~」
今一釈然としないものを感じながら、太悟はコロナスパルトイを被った。
多少怠いが、大きな問題にはならないだろう。蟲系の魔物の大群を相手に、朝まで武器を振り回し続けた時よりはずっとマシだ。
最後に軽くアイテムの確認をしてから、二人で廊下に出る。
朝日の白光りに迎えられ、太悟は眩しさに目を細めた。
今日も新しい一日が始まるのだ。やるのは、いつもと同じく魔物を殺すことだが。
「えー。昨日も言ったけど、僕らは今日、ダンジョンを攻略しに行きます」
転送部屋に行く道すがら、太悟はファルケに説明した。
「うーん。あたし、ダンジョンって行ったことないんだよねー」
「まあ、強いとこの神殿にしか依頼が来ないからね。僕は……八回くらいやったかな。他所と協力した時もあるけど」
魔王軍の幹部の支配下にあり、魔物が湧くようになった土地を、サンルーチェ教会は戦場と呼んでいる。
そしてダンジョンとは、より狭い範囲、例えば古い城や遺跡などに魔物が住み着いている状態のことを言った。
幹部ほどではないにしろ、強力な魔物をボスに据え、それを守るように配下の魔物が湧く。
近隣の村や街が襲われることもあり、サンルーチェ教会は発見次第神殿に依頼し、勇士を送り込んでいた。
「お城に遺跡……狭い場所かあ。そういうとこでも動けるように訓練してきたけど、あんまりあたしの弓は活かせないかも」
不安げに言うファルケに、太悟は首を横に振った。
「狭いって言っても、剣振るにも困るとこはそんなに無いから。遠距離攻撃は普通に助かるね」
もちろん、戦い方は相応の工夫が必要とされる。
であるからこそ、普段の戦場とは違う場所でも、問題なく戦えるような腕利きがいる神殿にしか依頼は来ない。
その点において、神殿は太悟のことを高く評価していると言えた。都合よく使っているとも言えるが。
やがて、転送部屋に着く。
何時も通り、親の顔より見飽きた天使像に出迎えられた。
「おはよう、二人とも。連日の出撃ご苦労だね。他の皆も見習ってほしいものだ」
「ホントにね。……今日はダンジョン攻略だ。指定の座標に転送してくれ」
太悟がマジックタブレットを操作すると、すぐに魔法陣が輝き出した。
視界が光に満たされ、他のすべての色が無くなる。不意に足下の床が消え、腹をくすぐる浮遊感。
そして、それらはすぐに消える。太悟とファルケは、転送部屋からの空間移動を経て、森の中の空き地に立っていた。
靴底から伝わる下草の柔らかな感触と、つんと鼻をつく濃ゆい緑の香り。
情景はグリーンメイズに似ているが、あの暗黒の森よりは日が差し込む。立地的には、グレイブヒルの方が近いだろう。
「……ここがダンジョン?」
ファルケが周囲を見渡しながら言った。
頼もしくも、既に海弓フォルフェクスを展開し、臨戦態勢。
「もっとあっちの方だね。ちょっと歩くみたいだ」
太悟の手にあるマジックタブレットには、周辺の地図が表示されている。
ダンジョンの入り口付近には大抵魔物達がたむろしているため、いきなり目の前に転送されることはない。多少面倒ではあるが、安全のために少し離れた位置に送られるのだ。
普段は、人の立ち入らぬ場所なのだろう。
木々の間は狭く窮屈で、舗装された道は何処にも見当たらない。切り払われたことのない蔦や枝が、まるで格子の如くであった。
コーラルコーストは廃墟ではあったが、かつて人間が活動していた場所であり、道路も残っていた。
ファーストプレインは大部分がなだらかな草原で、歩くのに不自由はない。
それらにひきかえ、この森では前に進むことにすら苦労が必要になりそうだ。
学校行事の登山に喘いでいたころより遥かに体力はついたが、大自然の中での行軍は未だに苦手意識があった。
もちろん、個人的に嫌いだから仕事しないなど、子供のように駄々をこねるつもりはないが。
「これぞ冒険だね……」
太悟はそう言って、リップマンを鞘から引き抜いた。
皮肉を込めたセリフだったが、ファルケは違う受け取り方をしたらしい。
「うんうん、知らない場所ってわくわくするよね! がんばってこー!」
喜色満面で、えいと拳を振り上げるファルケ。
その様子に釣られて、口端を僅かに吊り上げてから、太悟は改めて思った。
良い仲間と一緒なら、面倒な仕事もそう悪くはないと。
ファルケの存在は、太悟を前向きにさせてくれた。
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狂刀リップマンについて、太悟がもっとも頼りにしているのはその魔法だったが、刀剣としての切れ味も相当なものだ。
障害物となる丈夫な蔦や太い枝も、一振りで難なく断ち切れる。………リップマンとしては、きっと不本意な使い方だろうが。
ファルケは油断なく周囲を索敵しつつ、後ろからついてきている。地面を走る樹木の根によって足下は凸凹していたが、難なく歩いていた。
「……あっ。太悟くん、見て見て!」
ファルケが立ち止まり、森の一辺を指差す。
太悟が首を向ければ、そこには緑に抱かれるようにして鎮座する、巨大な石像があった。
どうもこの辺りは、元から人も寄らない深い森では無かったらしい。
ダンジョンを目指し一直線に歩いているだけでも、あちらこちらに崩れた建物の壁や、苔むした階段のようなものが発見できた。
今や自然に飲み込まれてしまってはいるが、かつて人間が築き上げた文明の痕跡が、そこにはあった。
太悟も、古代の遺跡やらにロマンを感じる程度には男の子だ。ファルケとともに石像に寄って、しげしげと眺める。
大きさはおよそ二メートルほどで、黒っぽい艶々とした石で作られていた。
かなりデフォルメ化されているが、どうやら腕を胸の前で交差させた男の像らしい。
右手には斧、左手には稲妻のような武器を握っている。
「なんかの神様かな。女神には見えないけど……」
太悟が知る限り、この世界における神とは《輝きの女神》サンルーチェのことを差していた。
小さな村では精霊信仰をしていることもあったが、そうした存在も、女神の眷属ということになっている。
ファルケは、目を細めながら「むむむ」と唸り、
「これ、たぶんバーダル神の像だよ」
「バーダル?」
「うん。女神様がこの世界にやってくる前……何千年も昔にいたっていう、戦いと嵐の神様」
そう言うファルケの瞳には、好奇の光があった。
「ドライランドは昔から砂漠だったけど、もっと昔は草も木もいっぱいあったんだって。だけど、いきなりやってきた魔王アバドンがみーんな食べちゃって、今みたいな砂漠になったらしいよ」
そのアバドンが、そこからさらに他の土地を侵略しようとしたところを、バーダルが六日間に及ぶ戦いによって退治したのだという。現代においても神と魔王は争っているが、歴史は繰り返すということだ。
「すごいなファルケ。いろいろ知ってんだね」
「ふふふふ……こう見えて、小さいころは文学少女だったのです!」
ファルケが自慢気に胸を張る。
今でこそ活発な彼女は、小さい頃は体を動かす訓練よりも、本を読む勉強を好んでいたという。
人には意外な一面があるものだ。
「戦いの神様かあ。ご利益とかあればいいんだけど」
神像に向き直りつつ、太悟は嘆息する。
もちろん、本気で期待しているわけではない。
女神に乞われてこの世界にやってきてからというもの、太悟は不愉快な思いばかりしてきた。
そんな中で命を賭して戦ってきて、それなりに活躍しているつもりだが、今までお褒めの言葉の一つもない。勇者の代理として、太悟は自身の神殿も与えられぬまま、教会からも女神からも放っておかれていた。
剣と魔法の世界であっても縁遠い神が、今さら微笑みの一つでもくれるとは思えない。
不意に太悟の手を覆う、心地よい熱。
「神様の前に、あたしが太悟くんの力になるよ!」
太悟の手をぎゅっと握るファルケの顔に、明るい笑顔。
それがあまりにも眩しくて、
「………んん、頼りにしてる」
太悟は、そう言葉を絞り出すのがやっとだった。




