一人じゃない夜
あれから二度、絡んできた勇士を追い払い、水浴びと軽い夕食を済ませた太悟は、明日のための準備を行っていた。
武器の点検。
カトリーナもリップマンも多少の損傷は自動的に修復されるが、労わる意味でも刃を磨くくらいのことはする。
コロナスパルトイも、いらない布で、棘の一本一本や細かな隙間をぴかぴかに磨いてやるのだ。
実のところ、太悟はこうした地味な作業を黙々とやるのが大好きだった。地味ゆえに、今まで誰からも評価はされなかったが。
やることはまだまだある。持ち込むアイテムの選別と確認だ。
残念ながら、太悟はゲームのキャラクターのように、薬草を九十九個も持っていけるわけではない。
当たり前に重量というものが存在し、それは行動を制限する。
必要なアイテムを、必要な分だけ持ってゆく。その見極めも、大事な仕事の一つだ。
(回復系のポーションは……僕はリップマンがあるから、ファルケに多めに持っててもらおう。もちろん聖水は外せないな。明かりは? 一応持ってくか……)
思考を巡らせながら、ポーチにアイテムを詰める。
すぐ使いそうな物は取りやすい位置に、そうでない物は比較的取りにくい位置に。
戦いを始めた当初のように、うっかり瓶を取り落としたり、目的の物とは違うアイテムを取ってしまうというようなことは、今はもう無い。
やはり地味ではあるが、それもまた、太悟を支える力の一つだ。強力な武器を持っているだけのことを、強さとは呼ばない。
ひとまず準備を終えて……もちろん、戦場に着いてから足りないものに気付くことも多いのだが……太悟は、明日のために体を休めることにした。
物置の固い床でも、床に布を重ねて毛布を被って横になれば、いくらかの休息になる。
しかし今日は、大きな問題が一つあった。
「……あの、なんで君ここにいるの?」
「ふぇ?」
太悟のすぐ隣で、持参した毛布を広げていたファルケが振り向いた。じゃあまた明日と、先ほど別れたばかりの少女が。
もちろん、大悟としては悪意をもって言葉を放ったわけではない。
この神殿の勇士であるファルケには、当然自分の部屋があり、今までもそこで寝泊まりしていた筈だ。
一人でも充分狭く、二人いれば腕を横に伸ばしただけでボディタッチができるようなこの物置に、一組の男女がいるべきではない。
なのにファルケは、明らかにここで一泊しようとしていた。
おまけに彼女の服装ときたら、武装や荷物を隅に寄せて、薄い布の肌着姿である。
戦場ではマントを羽織っていたから特に意識はしないが、今は違う。
上や下の、女の子をした膨らみや、綺麗な腰のくびれが一目で分かってしまうのだ。今朝のように朝のさわやかな光の下でなく、ランプの明かりに薄められた、妖しげな薄闇の中で。
大悟は、ごくりと喉を鳴らした。
今の自分が抱いてしまっている感情をファルケに知られるくらいなら、死んだ方がましだと思った。
「んー……ちょっと、ね」
ファルケが苦笑いを浮かべる。
言葉を濁すのは、つまり正直には言いにくいということだ。
素直で、真正面から自分をぶつけてくる少女。今さら何がそんなに言いにくいのか、太悟ははたと思い当たり、顔色を変えた。
「他の勇士に、何かされたのか」
自分に協力するファルケに害が及ばないようにと、太悟はマリカに釘を刺したのだ。
それがこうも軽く見られるのであれば、約束通りのことをしなければならない。
少年の顔に険しさがにじみ出てきたのを見て、ファルケが慌てて首を横に振る。
「あ、そーゆーのじゃないよ! 意地悪されたんじゃなくて、ただちょっと、目がね?」
簡単に予想できることだ。
古参の勇士の怒りに触れたくない連中が、太悟に公然と味方をするファルケという危険物を、どう見るかなどは。
近寄るなと。
あっちに行けと。
勇士と名のついた者たちの、勇の一欠けらも無いその情景を想像して、そして自分の間抜けさによって、太悟は吐き気を催した。
「ごめん。僕のせいだ」
ファルケの新しい寝床など、そもそも自分が責任をもって確保しておかなければならなかったのだ。この世界に来て少しは成長した気になっていたが、とんだ思い上がりだったらしい。
後悔の念に焼かれる太悟に、ファルケはふわりと笑顔を向けた。
「太悟くんが勝手に背負っちゃダメだよ。あたしが自分で考えてやってることなんだから」
「だけど……」
「もう、明日は早いんでしょ? ほーら寝た寝た!」
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おやすみ、と太悟がそう言って、ランプの灯が消える。
月明りもない物置の中は色濃い闇に包まれて、ファルケの目をして何も見えなくなった。
すぐ隣から衣ずれの音。太悟が横になったらしい。
出撃以外にも、様々な心労を重ねているのだ。夜くらいはゆっくり休んでほしい。
(あたしも寝なきゃ。明日の出撃で太悟くんの足引っ張りたくないし)
毛布を被り、仰向けになる。
思えば、今日もたくさん術を使ったのだ。蓄積されていた疲労が眠気を誘う。
抗うこともせず、ファルケは目を瞑った。闇に闇が重なる。
視覚が遮断されている分、聴覚が冴える。どこか、遠くから聞こえる虫の鳴き声。
そして、すぐ傍にいる太悟の呼吸音。
親でも兄弟でもない、男性の、異性の存在の証。
(…………あたし、何かすごいことしてる!?)
ファルケはカッと目を見開いた。眠気が一気に吹っ飛ぶ。
太悟の部屋に来たのは、疎ましげな周囲の視線に耐えかねた末の思いつきであり、深い考えは何もなかった。
だが、実際の状況はこうだ。同じ年頃の男の子と、同じ部屋で夜を共に過ごす。
もちろん、太悟が何か……そう、乱暴なことをするとは微塵も思っていない。
ただ、自分の提案は、あまりにもはしたなかったのではないか。
(うわー、うわー。そりゃ太悟くんも「なんでここにいるの」って言うよ!)
今さらながらに恥ずかしくなって、ファルケは顔が熱くなるのを感じた。きっと、夕暮れの太陽よりも赤くなっていることだろう。
もぞもぞと身を捩ると、動かした肘が何かに当たった。すぐ傍にある、どうやら太悟の背中らしい。
(わわっ、ごめんごめん)
慌ててぶつけた……と思わしき箇所を撫でる。
それは反射的な行為だったが、終わってからファルケはさらに顔を赤らめた。
薄い布越しに感じられる、男の体温。固く柔軟な筋肉。
さらに指を滑らせれば、僅かな凹凸。過去に刻まれた、癒えぬ傷跡のようだ。
戦場を駆ける、勇者の背中だった。
(この背中を、あたしは守るんだ……)
ファルケは、そっと太悟に身を寄せた。微かな汗の香りが鼻腔をくすぐる。
《孤独の勇者》と、外の勇士たちは太悟を讃える。しかしそれは、本来ならば不名誉な称号であるはずだ。
勇者とは、安全な神殿で大勢の勇士たちに慕われ、守られているもの。少なくとも、ファルケが知る勇者はそうだった。
今の太悟には自分しかいないけれど、もう《孤独の勇者》などと呼ばせはしない。
「あたしが絶対一人になんてさせないからね、太悟くん……」
そう言って、ファルケは少年の背中に額を当てた。
伝わってくる熱に、何だか安心して、再び眠気が忍び寄ってくる。
やがて、少女の小さな寝息が夜気に溶けていった。
そして、一方。
(なんで背中にひっついてくるのこの人???????? 寝れるかあああああああああああああ)
太悟は眠れぬ夜を過ごしていた。




