草原での一幕 7
ウォーホースが消滅した後、太悟はファルケとともにアーケンとウーロウを回収し(本当に木の枝に引っ掛けられていた)、改めて事の経緯を聞くことにした。
二人とも火が点いたように泣き出したため、多少聞き取りに難航したものの、話としては簡単だった。
神殿に来て一月の新米勇士、《黒の番犬》アーケンと《白の番犬》ウーロウの兄弟は、先輩勇士に連れられてこのファーストプレインにやってきていた。
戦士としてもまだまだ未熟であった二人はゼリーボールなどと戦い経験を積んでいたのだが、そこで晴天の霹靂。ウォーホースの奇襲を受けて、先輩勇士が十字槍を喰らったのだという。
逃げろという声を背にアーケンとウーロウは泣きながら走り、ちょうどいい岩があるからと隠れたら、それはフロッグロックで。
新たなる追跡者から逃げていたところを、太悟たちが見つけたというわけだ。
「ううっ……アニキぃ……」
「ボクら、何もできなかった……」
ぐすぐすと洟を啜る少年たちを、ファルケがよしよしと慰めている。
太悟はううんと唸った。
悲しいことに、戦場で勇士が命を落とすのは、そう珍しいことではない。だからといって容易く流せる悲しみではなく、アーケンとウーロウの心中は察して余りある。
このまま泣かせてやりたい気持ちもあるが、やらなければならないことは厳然として存在していた。
「ひとまず、現場に行ってみるか」
大悟が心を鬼にしてそう言うと、少年たちの瞳が恐怖に揺れた。
無理もない。先輩の遺体と対面すると思えば、尻込みもしよう。
だからといって、放っておくのは論外だ。時間が立てば当然腐れ、荒らされもする。
可能ならばそうなる前に回収し、教会に届けを出して弔ってもらわなければならない。
故郷で帰りを待つ誰かのために。そうでなくとも、戦って死んだ勇ましき戦士のために。
「辛いかもしれないけど……神殿に連れて帰ってあげよう? あたしたちも一緒に行ってあげるから」
ファルケが優しく二人の震える背中を擦った。
一度助けたのだから、後は勝手にしろなどと言い放つのは非情が過ぎる。
先輩とやらは手遅れだとしても、せめて二人が無事に神殿に戻れるよう手助けするつもりだった。
勇者たるものとかそういう理屈ではなく、一般的な思いやりとして。
「……そうだよな。アニキは、村から出たばっかで心細いオレたちの面倒を見てくれたんだ。恩返しくらい、しなくちゃな……」
力無く垂れ下がっていたモンヴォ-ル族の耳が、少し上を向く。
「……アニキの鍛錬は厳しかったけど、ボクらにいろんなこと教えてくれたよね。泣いてるだけじゃ、何にもならないって……」
アーケンとウーロウが顔を上げた。
未だ瞳は涙で濡れているが、泣いたまま次の朝日を迎える気は無くなったらしい。
決意とともに目元を拭い、肩に力を入れている。太悟とファルケは目配せを交わし、頷き合った。
腹を決めたなら、動くべきだ。
「よし。みんなで迎えに行こう――――」
と、太悟がそう言ったところで。
「おおーい」
不意に飛び込んでくる声。太くて低い、男の声であった。
全員の視線が一方を向く。ちょうど、アーケンとウーロウが走ってきた方から近付いてくる人影があった。
灰色の髪をした、モンヴォ-ル族の男だ。右頬に大きな古い切り傷を刻印し、尖った左耳は一部欠けていた。
ところどころに鋲が光る黒塗りの皮鎧には、彼自身のものであろう生乾きの血がこびり付いている。
古傷ではない真新しい傷を負っているのは、重い足取りからも明らかだった。
もしや、と太悟が思うと同時に、アーケンとウーロウが叫んだ。
「アニキ!!」
《猛犬》ベイロス。
それが、灰色の髪をしたモンヴォ-ル族の名前だった。
全員、遺体を迎えに行くつもりでいたために驚きはしたものの、生きていて悪いことはない。
ひとまず近くの木の下に移動し、太悟は持っていたポーションを分け与えた。
傷の治療の物と、体力回復の物を少しずつ飲んでから、ベイロスが大きく息を吐く。
「すまねえ。いや、ありがとう、だよな。うちのチビどもの面倒を見てくれた上に、ポーションまでもらっちまったら」
「いいよ、それくらい。戦場じゃ、助け合うのが当たり前だ。……本当はもっと早く助けに行けたんだけど……」
怪我人がいることを予想して、さっさとウォーホースを始末しなかったのは、想像力が足りなかったかもしれない。
反省しつつ太悟がそう言うと、ベイロスが薄く笑みを浮かべる。白い犬歯がきらり光った。
「よしてくれ。これ以上良くしてもらったら、とても借りが返せねえ。今でさえ、俺は朝晩の祈りに、始祖とあんたを並べるつもりでいるんだから」
「あたしも毎朝やってるよ!」
よくわからないところで、ファルケが胸を張ってふんぞり返る。
神や精霊など、力ある存在が多数存在するこの世界では、太悟は宗教関係の物事には基本的に口出ししないようにしていた。
「アニキ、よかったあ」
「ううっ……し、死んじゃったかと思った……」
アーケンとウーロウは、泣き虫を再発させてベイロスにしがみ付いていた。
死者が蘇ったと思えば無理もないが、本人としてはうっとおしいようで、襟首を掴んで引っぺがそうとしている。
「俺らモンヴォ-ル戦士が、腹ぁ刺されたくれえで死ぬかよ。つうか、何時までべそ掻いてんだチビども! 恩人の前だ、いい加減シャキッとしやがれ!」
「ひゃいっ」
「ごめんなさいっ」
ベイロスの一喝で背筋を伸ばす少年たち。
彼の言う通り、モンヴォ-ル族のタフさは世界的に有名である。
ちょっとの傷なら立ちどころに癒え、一晩中だって戦い続けられる。戦士としての資質に恵まれた種族と言えるだろう。
太悟は、アーケンとウーロウを見て「こんな気弱なモンヴォ-ル族が存在したのか」と驚いたくらいだ。
「……なんて偉そうにしても、俺だって情けねえとこ見せちまったからなぁ。風上にいた、なんてのは言い訳にもならん。いきなり襲ってきたからって何もできねえとは、モンヴォ-ル戦士の名折れもいいとこだぜ」
ベイロスが自嘲する。
戦士の誇りというものは、太悟にもある程度理解はできる。
元平凡な一般人とて、今ここに至っては自分の腕に対するプライドがあるのだ。
しかし、そのために自分の命まで捧げるつもりはない。生存が最上の目的であり、だから煙幕や酸などの道具も躊躇わず使用するのだ。
「それでも、生きてるのが一番いいよ。折れた名前だって直せるさ」
「そう言ってくれると助かるぜ。にしても、あんたはまた腕を上げたなぁ、《孤独の勇者》。前もなかなかのもんだったがよ」
ベイロスの言葉に、太悟は思わず「えっ」と声を漏らした。
ファルケが目をぱちくりさせる。
「大悟くん、この人と会ったことあるの?」
「えっと……」
太悟は大慌てで脳内のアルバムを漁った。
日頃あちこちの戦場を回っていると、当然いろんな人々に出会う。
ダンとプリスタのように親しくなって付き合いが続く人もいれば、一度きりで終わる縁もあった。
そのすべては、流石に覚えていない。昔のもっと余裕が無かった時のことならなおさらだ。
「………ごめん、思い出せない。え、どこで会った?」
太悟が観念すると、ベイロスが苦笑を浮かべた。
「ああいや、悪い。クラウドマウンテンの防衛戦でよ、たまたま近くにいただけだから、俺が勝手に知ってるだけなんだ」
言われて、太悟はぽんと手を叩いた。
「もしかして、鎖分銅使ってた人? 狼の頭の形した」
「おう、覚えてくれてたか! あん時はやばかったよなぁ。未だに生きた鳥見るとびくってするぜ」
「ボルトウィンガーの大群は無理過ぎて吐きそうになった。僕の武器が届かないとこから弾幕張ってくる奴らはみんな爆発すればいいのに」
同じ戦いを乗り越えた仲だと思うと、一気に親近感が湧く。
命を助け合い、死線を乗り越えた戦友だからだ。
あの時の戦いを、そして今日までの戦いを生き延びてきたことを、互いに喜び合うことができる。
「あの時のあんたは一人だったが……《孤独の勇者》は改名しなくちゃだなぁ。良い仲間ができたじゃねえか」
「ふぇ?」
昔話に混じれず、子供たちと一緒に足下の草を毟っていたファルケが変な声を出した。
何を言われたかのかは聞き逃さなかったらしく、頬を赤らめてくねくねと踊り出す。
「や、やだな~! 最高の仲間だなんて、えへへへ」
「ああ……なんかさりげなくランクアップしてるが……腕利きなのは見りゃあわかるさ」
そう言って、ベイロスはアーケンとウーロウを見遣った。
「俺も昔は一匹狼気取ってたがよ、やっぱ一人じゃねえってのはいいもんさ。こんなチビどもでもな……まあ、もうちっと頼り甲斐がありゃいいんだが」
「お、俺たちもがんばるよアニキ!」
「ボクももっともっと強くなります!」
「ま、期待せずに待ってるさ」
三人の団欒を何処か遠くに聞きながら、大悟は物思いに耽っていた。
目に沁みついて拭うことのできない光景がある。
大きな戦いを乗り越えて、大勢の勇士たちと勝利の喜びを分かち合う。
宴で夜を明かし、空が白んできた頃、ぽつぽつと勇士たちが自分の神殿に帰り始める。
太悟は、それを見送るのだ。
別れや再会を願う挨拶を繰り返し、朝日が昇って、最後の一人になるまで。
共に帰る仲間はいない。帰還を喜ぶ仲間もいない。
熱が冷め、誰もいなくなった戦場に、太悟は立ち尽くしている。
清々しい青空と、輝く太陽と、この世にたった一人取り残されたかのような虚無感と対面する。
それがかつて、太悟にとっては当たり前の光景だった。
だが、今は。
「………太悟くん? 大丈夫?」
急に黙り込んだ太悟を心配して、ファルケが顔を覗き込んでくる。
焦げ茶の髪と、金色の瞳。緑のマントを纏った少女。
太悟が得た、初めての仲間。
胸に込み上げる感情が照れくさくて、太悟は口端を歪めた。
「ちょっと考え事してた。大丈夫だよ、ありがとう」
その時、ベイロスが大きく背伸びして、言った。
「んじゃあ、俺たちはそろそろ訓練の続きするわ」
「傷はもう平気なの?」
太悟が聞く。ベイロスが腹を擦ると、手に血はついていなかった。
「へへ、モンヴォール戦士は回復も速いんだ。チビどもをさっさと半人前くらいにはしてやらなきゃならねぇし、何時までも休んじゃいられねぇさ。ほれ、お前らも」
「ありがとうございましたっ!」
「このご恩は一生忘れません!」
「よしよし。俺も、次会う時はかっこいいとこ見せてぇな。またな、太悟、ファルケ」
ファルケとともに、三人を見送る。
話をしている間に日は傾き、昼を過ぎて夕暮れに足を踏み入れかけていた。
「ね、あたしたちはどうする?」
「その弓にはもう慣れたみたいだし、今日はもう帰ろっか」
そう言って、太悟はマジックタブレットを操作し始めた。
実のところ、やることは山ほどあるのだ。例えば、教会からの依頼など。
「明日は、ダンジョン攻略だ」




