草原での一幕 4
「うわああああああああああ!!!」
「たぁすけてえええええええ!!!」
それはもう、聞いている方が悲しくなるくらい、情けない悲鳴だった。少し前の勇者代理が上げていたような。
ほとんど反射的に、太悟とファルケは各々の武器に手をやった。
この戦場で誰かが悲鳴を上げるなら、その理由は多くの場合魔物なのだ。
太悟から見て右端から、視界を横切るようにして駆けてゆく二人の勇士。
年の頃は、太悟より二つか三つ下だろうか。黒と白の髪をした少年たちである。
毛に覆われた三角の耳は、モンヴォ-ル族の特徴だ。口の中を覗けば、狼よろしく鋭い犬歯が生えているだろう。
その二人組を追いかけているのは、岩。
横幅で言えば、大悟三人分はある大きな岩だ。
その側面に長い足が生え、ぴょんといちいち跳躍しては、どすんと落下して二人を押し潰そうとする。相応の重量はあるようで、地面は岩の底面そのままに陥没していた。
剣と魔法の世界であっても、明らかに殺意を持って跳び跳ねる岩は異常である。
「あれって、フロッグロック?」
ファルケの言葉に、大悟は頷いた。
「うん。久しぶりに見たな」
ファーストプレインの厄介者、かつてのナンバーワン。それがフロッグロックである。
この草原で巨岩に近づくならば、その者は注意を払わなければならない。運が良ければ、岩の下部に赤黒い染みがこびりついているのが見えるだろう。
それは逃れられなかった犠牲者の無念であり、生者への警告である。
フロッグロックは、自ら動くことはまったくない。
足を消し、何日も何ヵ月も本物の岩のようにじっとしている。
だが、迂闊な勇士が近寄ってきたり、愚かにも自分の上に乗ってきた場合、即座にその本性を表すのだ。
その攻撃方法は、たった一つ。敵の頭上にジャンプして押し潰す。
それだけのことを、フロッグロックは執拗にやり続ける。草原に、赤い染みが増えるまで。
どれだけ鍛えていようと、永遠に走り続けられる人間はいない。モンヴォール族の二人がどれだけの時間追いかけられているかは不明だが、どうやら限界が近いらしい。
横並びになった肩の一方が、少しずつ後ろに下がり始めていた。
「あ、ボ、ボク、もう。逃げて、アーケン」
白髪の少年の目に、涙が浮かぶ。
「馬鹿! 死ぬ気で走れよウーロウッ!」
黒髪の少年が、相方の手を引く。
その美しい友情ごと白黒のタペストリーと化すまで、そう時間は残っていない。
フロッグロックに追い回される、あからさまな新米。武器の類は、途中で落としたか見当たらなかった。
太悟は周囲を素早く見渡した。彼らの引率の勇士が潜んでいる様子はなく、釣りや囮作戦ではないと推察できる。
つまり、横から手を出してもなんら問題はない。
「助けないと!」
ファルケの声を合図にして、旋斧カトリーナの刃が回転を始める。
風を巻く唸り声。死神の哄笑。
太悟の視線の先で、フロッグロッグが長い足を曲げ、跳躍のための力を溜めていた。
あるいはそれが、アーケンとやら、ウーロウとやらの最期になるだろう。
「ファルケ、足を頼む」
返事を待たずに、太悟は駆け出した。
体育の時間の百メートル走でいい成績を残したことはなかったが、今は豹のように素早く走ることができる。
そして、太悟の頭上をより速く駆け抜けてゆく緑の閃光。
ファルケの放ったシーカーショットは、今まさに地面から離れようとしていたフロッグロックの両足を、一発で吹き飛ばした。
狙いは完璧、威力も充分。訓練の結果は花丸だ。
仕上げもきっちり決めるとしよう。
跳躍の直前で足を失ったフロッグロックが、勢い余って前に転がる。
そこへ、太悟はカトリーナを上段から振り下ろした。
ぎゅん。刃が岩を咬む、一瞬の火花。
ナイフで粘土を斬るかのように、フロッグロックは呆気なく真っ二つになった。
魔物には残念なことに、ファーストプレインで死にかける《孤独の勇者》はもういない。
動かなくなった岩は、後は瘴気に還るだけ。それを見届けつつ、大悟はカトリーナを旋回させ、肩に担いだ。
「雑魚め。石コロは石コロらしく、そこで静かにしてな。……おーい、もう大丈夫だよ」
フロッグロックが死んでも、アーケンとウーロウは気付かずに走り続けていた。大悟の声と、岩が自分達を殺そうと跳び跳ねる音が聞こえなくなって、ようやく足を止める。
震える膝ががくりと折れて、小柄な体がその場で崩れ落ちた。
「ちょっと、大丈夫!?」
走ってきたファルケと共に、太悟も二人に駆け寄った。見たところ、疲弊はしているようだが外傷はない。
モンヴォ-ル族の少年たちは、自分たちの命が助かったという事実をようやく認識したらしい。
わっと泣き出して、太悟に縋りついてきた。
何と言っているかもわからない鳴き声に耐えつつ、背中を擦る。ファルケは心配そうに見てくるのだが、片方だけでも引き受けてくれるつもりはないようだ。
もう大丈夫だ、の一言で収まるかもしれないが、まだそうもいかない。
「何があった。引率の勇士はどこだ?」
太悟はそう訊ねた。
フロッグロック一体さえ処理できない新米勇士だけで出撃させているのだとしたら、それは大きな問題だ。処刑台に送る行為に等しい。
そして、ちゃんと引率の勇士が一緒に来ていたのだとしたら、別の問題が発生していることになる。
「お、オレたち……アニキが、あの赤い魔物にや、やられて……」
しゃくり上げながら、アーケンが太悟を見上げる。
「ひっく……ボクら、岩の後ろに隠れたら、それがフロッグロックだったんです……」
ウーロウが赤くなった目を擦る。
「赤い魔物? ここに、そんなのいたっけ?」
ファルケがううんと唸る。
だが、太悟には大いに心当たりがあった。まさか今日、出くわすとは思っていなかったが。
アーケンとウーロウを引き剥がして、太悟は骨の鎧を纏った。金属の蔦が筋肉を編み、その上を鋼色の甲殻が覆う。
「備えろ、ファルケ」
「え?」
「来る」
その時。遠方から急速に接近してくる足音があった。
固い蹄が大地を激しく叩く、馬の足音。ひっ、と二色の悲鳴が上がった。
太悟とファルケは、音がする方に首を向けた。
低く盛り上がった丘。そこから矢のように飛び立ち、人間たちの頭上を越える赤い風。
どかかっ、と騒々しい音を立てつつも軽やかに着地したのは、一体の魔物であった。
その上半身は人型。血を塗りたくったかの如き真紅の鎧を纏い、兜のスリットから、呪いめいて燃える一対の目が覗く。
手には十字槍。柄は恐ろしく長大で、穂先は触れるだけでも命を落としそうなほどに鋭い。
大の男が三人がかりでも、満足には振るえまい。
だが、何より特徴的なのは下半身であろう。鎧騎士の腰から下……それは、馬だった。
栗毛の筋肉のうねりも見事な雄馬の首を切断し、残った体から人間を生やしたようなその姿は、地球で言うケンタウロスそのものだった。
以前、突如としてファーストプレインに出現し、新米勇士たちをその槍の錆にした魔物。
死の風。
草原の追跡者。
その名もウォーホースと言った。




