草原での一幕 3
数時間後。太悟は両手に石を持って突っ立っていた。
何かの魔法がかかっているわけではないし、高価な宝石でもない。
投げてダメージを期待するには軽くて小さ過ぎる。何の変哲もない、ただの石ころだ。
もちろん、太悟の頭がおかしくなったとか、そういうわけではない。
正しい理性によって、必要と判断したからこそ持っているのだ。
「じゃあ、もう一回行くよ、ファルケ」
太悟がそう言うと、豆粒ほどの大きさに見えるくらい遠くに離れたファルケが、元気よく手を上げた。
「うん! おねがーい!」
それを合図にして、二つの石がほぼ同時に青空へと舞い上がった。
当然、放っておけばどちらも十秒もしない内に地面に向かって落ちてくるだろう。
なんなら太悟の頭にでも当たるかもしれない。兜を被っているから平気だが、そもそもその心配はいらなかった。
空を見上げていた太悟の視界を、緑の閃光が二度横切る。
ぱしっ、と鳴ったのは、二つの石が砕け散る音。
太悟は頷き、ファルケに向かって声を投げた。
「完璧!」
受けて、ファルケがぴょんぴょんと飛び跳ねるのが見えた。
太悟が投げた石を、彼女がシーカーショットで撃墜する。海弓フォルフェクスを使いこなすための、訓練の一環である。
当初は難航が予想され、太悟の頭でも消し飛ぶかと思われたが、ファルケはやはり優秀だった。
暴れ馬のような新しい武器の扱いを、既にマスターしつつある。
今のシーカーショットも二発撃ったわけではない。一発撃って一方の石を射抜き、矢を操作することで折り返してもう一方を撃ち落としたのだ。
(まあ、よく考えたら戦うことにかけては、僕より先輩だもんなあ)
勇士に選ばれる前から、ファルケは戦士の一族として教育を受けてきたという。
幼少から積み上げてきた術技は、不格好な付け焼刃を振り回す太悟とは比べものにならないほど洗練されている。
頼もしい限りだ。少なくとも、空を飛んだり遠距離攻撃に優れた魔物に対して攻めあぐねることはもう無いだろう。
気付けば、日が大分高くなっていた。集中してやれば、数時間はあっという間だ。
これまでの訓練は、あくまで武器を武器としてきちんと使えるようにするためのものである。
普通ならばそれで充分だが、魔物の武器にはその先がある。やることはまだまだ多いのだ。
とはいえ。
「ファルケ! 休憩しよう!」
そう言って、太悟はファルケに駆け寄った。
弓を肩に担いだ少女の顔には、少しばかり疲労が見える。
「あたしはまだ大丈夫だよ? 太悟くんがくれたコレもあるし」
ファルケの右手に嵌められた金の腕輪。
小さな宝石が数個埋め込まれたそれは、魔法などの術を行使する際の精神力の消費を減らす効果があった。
太悟一人だった時は死蔵されていたが、ようやく日の目を見たというわけだ。
そうした数々の新装備を手に入れたこともあって、ファルケのやる気は未だ有り余っているらしい。
だが、太悟は首を横に振った。
「ここは訓練所じゃなくて戦場なんだ。いつ何が起こるかわからないし、あんまり根詰めて消耗し過ぎると危ないよ」
うっかり捻挫でもして動けない時にウィードリザードに群がられれば、それは相当なピンチだろう。
どれだけ治療の技術が優れていても、死ぬのは一瞬だ。このファーストプレインでも油断してはいけない。
得心して、ファルケが弓を畳む。
「そうだね。お腹も空いてきたし、ちょっと休もっか」
陽射しは強く、動いていたこともあって暑くも感じる。
太悟とファルケは、近くに生えている大きな樹の根元に腰を下ろした。
周囲には聖水を撒いているから、しばらくは魔物も寄ってはこない。
穏やかな日陰に守られ、ふうと一息つく。
「………それにしても、荒らしちゃったなあ」
「うん……」
遠い目をした二人の前に広がる光景は、まるで爆撃を受けた直後のようだった。
緑の絨毯はべろりと捲り上がり、その上粉々に引き裂かれている。そうでなければ無数の穴が穿たれ、あるいは大きく抉られた箇所から黒煙が噴き上がっていた。
草原と呼ぶには、もはや緑色の部分の方が少ない。自然保護団体が見たら泡を吹いて倒れるか、血管を破裂させながら襲いかかってくるだろう。
もっとも、戦場としては珍しい光景ではない。
勇士と魔物の戦闘が激しくなれば、五分前の景色など残りはしないのだ。
太悟は両足を前に投げ出し、周囲に気をやりつつ、少しリラックスした。
すぐに眠気が忍び寄り、瞼を撫でてくる。コーラルコーストでの戦いの疲れは、まだ体に残っていた。
(神殿でちゃんと休めればいいんだけどなあ)
太悟の寝床である物置は、当然居住性など考慮されてはいない。
最初と違い資金はあれど、ベッドを持ち込むスペースなどないため、今は床の上に毛布を重ねてその上に寝ている。多少は床の固さも軽減されるが、寝心地が良いとは言えなかった。
いずれ、今のような代理でなくれっきとした勇者になった時は、素晴らしいベッドを購入することにしよう。
太悟がそんなことを考えていると、隣のファルケが声を上げた。
「太悟くん、お昼にしようよ!」
「……ん、そうだね。この後もやるし、ちょっと腹に入れておこう」
「ふふふふふ。実はあたし、水浴びの後にこっそり厨房で作って」
「はい、ファルケの分」
太悟はポーチから小さな革袋を二つ取り出し、一つをファルケに渡した。
ありがとう、と反射的に受け取った少女が、一拍置いて不思議そうに目をぱちくりとさせる。
毎日の作業だ。さっさと終わらせるに限る。
太悟は、袋の中身を掌の上に出した。固く黒っぽい、一口大の小さなボールが五個。
兵糧丸。
砕いた穀物等を炒って作る保存食。
味もへったくれもないそれらを一気に口に放り込み、噛み砕き、最後に水筒の水で胃に流し込む。
「ふう」
「ふうじゃなくて!」
ファルケが叫ぶ。
太悟には、何がおかしいのかわからなかった。
「あ、ごめんもしかして水持ってなかった?」
「そうじゃないよ! え、いつもコレ食べてるの?」
「だって、他にそんな無いし」
軽く嵩張らず、安価で携帯に便利という点で、兵糧丸はとても優れていた。
そこそこ腹も膨れるし、栄養もある。極めて味気ないという欠点も、まあ普段から干し肉だの固いパンだのばかり食べているから今更だ。
休憩時に弁当を広げて和気あいあいと昼食を摂っている勇士団もいるが、太悟には無縁の話。
そういった団欒が目に入らないよう、いつも陰でこそこそ食べている。
その内、《便所飯》みたいなあだ名をつけられそうだ。
太悟が軽く落ち込んでいると、
「そんなことだろうと思って、あたしお弁当作ってきたよ! はい、太悟くんの」
そう言って、ファルケが包みを渡してくる。心地よい重さ、そして腹をくすぐる香り。
包みを開けてみると、そこには大き目のサンドイッチがあった。
茶色をした厚い二枚のパンに、葉物野菜と焼いた豚肉が挟んである。
こちらでは、ストラタと呼ばれる料理だ。
「見てても味わかんないよ! ほら、食べて食べて!」
「う、うん」
ファルケに促されるまま、太悟はストラタを齧った。
パンの香ばしさ、新鮮な野菜の歯ごたえが心地いい。
肉の脂の旨味と、甘辛なソースが混ざり合って、舌の上に広がる。
「……おいしい」
「でしょ! よかった、お口に合って。これからはあたしがご飯作ってあげるからね!」
にこにこと綺麗な笑顔のファルケ。食べているところを見られるのは、少し気恥ずかしい。
彼女と初めて会った時は信じられずに拒否してしまったが、今回は素直に味わうことができる。
それにしても……女の子の手料理とは。太悟は深く感動していた。
地球では女子とは縁遠かったし、異世界にやってきてからは美女たちからゴミのように扱われてきたのだ。童貞のまま死ぬことも覚悟していたが、まさかここに来てこんなものを頂けるとは。
「そうだ、お茶も持ってきたんだよ。飲む?」
「うん、ありがと」
この世界は死に満ち溢れ、悪意に蝕まれている。戦いは、何時終わるとも知れない。
けれど今この時、太悟とファルケは青空の下、平和な昼食を楽しんでいた。
…………突如として、耳を劈くような悲鳴が響くまでは。




