新しい朝が来た 2
何かと支障があったものの、とりあえず汗を流し体を拭いて、太悟は新しい服に着替えていた。
ファルケも身支度を済ませていたが、何やら顔を真っ赤に染めている。
今さら恥ずかしくなったのだろうか。純粋な少年を悶々とさせた罪の重さを感じて欲しいところだ。
「さて。この後僕たち出撃するわけだけど……大丈夫?」
「う、うん」
「先に済ませなきゃいけない用事がある。戦場行くのはその後だから、それまで準備してて」
今までは一人で戦ってきた。ある意味、身軽で気楽ではあった。
しかし、これからはファルケがいる。代理ではあるが勇者、彼女の上司として、やっておかなければならないことがあった。
なかなか気が進まないが、ファルケを守るためには必要なことだ。
「あたしも何か手伝う?」
「ん……僕がやらなきゃいけないやつだから。それじゃ、また後で」
ファルケと別れ、大悟は神殿の廊下を進んだ。腰には、狂刀リップマンだけを下げている。
一日留守にしただけで、出かける前に掃除をしたはずの神殿は散らかっていた。出撃から帰ってくると必ず落ちている酒瓶は、きっとわざとだろう。
一週間も放っておけば、スラム街のように荒れ果てるのではないだろうか。
「きひひ……勇者代理が来たよ」
「おう、ちょっと待て代理オラァ!」
大悟の前に立ち塞がる、二人の勇士。
三角帽子に黒いローブという、如何にも魔女といった格好をした少女、《毒沼の魔女見習い》アネモ。
逆立ったオレンジの髪と、半裸にナックルダスターという姿の男、《熱血拳士》ガーロン。
勇士の癖にそういう輩のような登場だが、これがこの神殿の日常である。
「何か用?」
大悟は仕方なく立ち止まった。彼らの面倒を見るのも、一応は大悟の仕事だ。
「出撃してねえから拳が疼いてしかたねえんだ! ちょっと殴らせろコラッ」
シュッシュとシャドーボクシングをしながら言うガーロン。大悟は冷静に言い返した。
「出撃したら?」
「るせぇーっ! 男がごちゃごちゃ言うんじゃねえぞオラ!」
歯を剥きがなる、狂犬の面相。熱血という言葉の意味は、さて何だったか。
「きひひひ……手加減してあげてねガーロン」
アネモも薄笑いを浮かべるばかりで、相方を止めるつもりはないらしい。
結局のところ、適当に理由をつけて大悟を痛めつけたいのだ。
この二人はどちらかと言えば新参だが、人は低きに流れるものである。保身か同調か、マリカたちの後に続くことを選んだ。
大悟がファルケを信用しなかった理由の一つだ。
「……じゃあ、十発だけね」
大悟は諦めて、ガーロンたちの遊びに付き合ってやることにした。逃げたと思うと付け上がるからだ。
ただし、五分以上かけるつもりはない。
サンドバッグの諾を得て、ガーロンは獣の如く吠えながら踏み込んできた。両拳に力がみなぎる。
「バルカンコンビネーション!!」
ぱぁん、と拳が肉を叩く音が鳴る。
まずは一発。いや違う。
実際に大悟の顔面が殴られた回数は、四。
四発の拳打がほぼ同時に放たれたのだ。音が重なり一つに聞こえるほどに。
拳闘士時代、これを食らって吹っ飛ばなかった人間はいなかったという、ガーロンの必殺技である。
「残り六発だな」
ただし、大悟は吹っ飛ばなかったし、彼にとっては弱々しいジャブ二回とのろいストレート一回、牛の歩みのごときアッパーである。
まったく痛くないわけではないが、わざわざ我慢するほどでもない。
想像通りの結果を得られなかったことにガーロンはややたじろいだが、すぐに気を取り直したようだった。
「オラ、痩せ我慢なんて俺には通用しねえぞっ!」
とはいえ、顔を殴っても効かなかったという事実は受け入れたらしい。
どす、とボディブローが太悟の腹に突き刺さる。
太悟が体を折って嘔吐する、そんな情景をガーロンは頭の中で描いていたはずだ。
その得意げな笑みは、しかし太悟がうんともすんとも言わないのを見て、驚愕に変わっていった。
傍で見ていたアネモも戸惑いを顔に浮かべている。
(カピターン、あんたはやっぱり強かったよ)
太悟は心の中で嘆息した。
あの《魔海将軍》の攻撃に比べれば、ガーロンのパンチなど蚊に刺された程度のものだ。
鎧を着ていなくとも、竜の尾の一撃の方がよほど重い。
太悟の体は、霊薬やポーションによって強化されている。
永続的な強化を得られる物はそうそう手に入らないため、他の神殿では大勢の勇士たちの中で慎重に使う者を選択している。
しかし太悟は、入手した薬をすべて自分で使うことができた。直接的に病を治すものでなければ、マリカたちも興味は無いらしい。
今では、皮膚は鞣し、骨は鉄のように丈夫である。生半可な刃物では、先端を押し付けたところで血も流れない薄い傷を作るのがやっとだ。
実戦のみならず、素振り、走り込み等の地味な鍛錬も、太悟を戦う体に変えていた。
ならば、ガーロンはどうか。
かつては彼も、魔物と戦い、打倒魔王の夢に燃える勇士だったはずだ。
しかし今では実戦から離れ、鍛錬もまともにしていない。玉が坂を転がり落ちるよりも容易く勘は鈍り、体は動きを忘れる。
一方が向上し一方が落ちてゆくならば、両者の間は当然開いてゆく。
理不尽に殴られたことに対する憤りがないわけではないが、同時に大悟はガーロンを哀れんでいた。もしガーロンに忠誠を誓わせられるほどのカリスマなり魅力が自分にあったのなら、こんなことにはならなかったはずだ。
申し訳なさすら感じていた。
「オラッ! オラッ! オラッ! オラッ! オラァッ!!」
もはや、ガーロンに余裕はなかった。汗が飛び散り、目には血走り。
ほんの十発だが、何をしても通じないという動揺が体にも波及している。そういった情報を相手に知られないようにするのも、戦いにおけるテクニックだが。
「き、きひひ。ほ、本気出していいんだよガーロン」
アネモの震えた声に煽られたか。ガーロンは咆哮し、大きく右腕を引いた。
繰り出されるは、大振りの一発。動かない敵になら、それなりのダメージが期待できる。
大悟は避けなかった。
「もう、十発終わったよ」
伸びてきた右腕、その手首を片手で掴む。それだけで、力任せのパンチは不発に終わった。
ガーロンが振りほどこうともがく。
「は、離せオラアアアア!!」
「あんたは、なんか試さなくていいのか」
「きひっ!? し、しない! しないよ!」
青ざめたアネモが一生懸命に首を横に振る。ガーロンがうざい勇者代理を殴るのを見て楽しみたかっただけらしい。
ひとまず、この場は終わりだ。大悟はガーロンの手首を離してやった。
「じゃ、僕はもう行く。こう見えて忙しいんだよ」
あの頃とは違う。強くなったのだ。
傷つけるつもりはないが、これ以上舐められるつもりもない。
呆然とした二人の勇士を置いて、大悟は再び廊下を歩き出した。




