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勇者代理なんだけどもう仲間なんていらない  作者: ジガー
≪孤独の勇者≫

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33/119

《精霊射手》ファルケ・オクルスの誓い

 明け方。

 コーラルコーストから帰還し、太悟と別れたファルケは、一人神殿の廊下を歩いていた。

 窓からは、白に薄められつつある夜の黒が見えた。小鳥の可愛らしいさえずりが、朝を呼び寄せているかのようだった。


 ふと、自分の手に視線を落とす。

 そこにまだ、太悟の体温が残っているような気がして、彼女の心を温めてくれた。


(あたしのこと、必要だって言ってくれた)


 意識せず、口端に笑みが滲む。

 大悟から見れば、ファルケもまた、彼を傷つけた勇士の一人に他ならない。憎しみの対象ですらあっただろう。

 それを大悟は受け入れた。使い捨ての駒として消費されてもかまわない、そんな命を拾い上げて、共に歩むことを許してくれた。


 与えられた海弓フォルフェクスを握り締める。

 この武器は、大悟がファルケに寄せる期待の証だ。それを確固たる信頼に変えるには、更なる精進と働きが必要だろう。


 大悟に仕える勇士になるという、一つの目的には到達した。

 ならば今度は、大悟にとって一番の勇士になるのだ。


 そのために―――ファルケは低く前に跳んだ。

 空中で振り返りながら赤い矢を手中に生み、着地とともに弓に矢をつがえる。

 矢の先端は、ファルケの背後から忍び寄り、剣を抜こうとしていた人影に向けられていた。


「ただいま、マリカ」


 言葉の内容ほどには温かみの無い声を、ファルケは発した。

 窓から差し込む薄い光を浴びて、《流れの女剣士》マリカの顔には影が射していた。僅かなりとも隠されていなければ、余りにも剣呑が過ぎただろう。

 美女と、そう表現できるマリカの顔は、ぞっとするような敵意に歪んでいた。


「オクルス。あの勇者代理には関わるなと。関わったらどうなるか、あれだけ教えてやったのを忘れたのか」


 ファルケは目を細めた。治ったはずの傷が、ずきりと痛むような気がした。


「忘れてないよ。その上で、あたしは大悟くんを選んだ」


 忘れるはずがない。太悟がこの神殿に来たばかりの時のことだ。

 遠い昔のことのようで、つい昨日のことのようにも思える。


 古参から待機を命じられ、ファルケは結構呑気にしていた。

 光一が倒れ、神殿の行く末が危ぶまれた時は流石に慌てたし心配もしたが、代理が見つかりひとまずは落ち着いたという。

 そのあたりのごたごたに、勇士になって間もない新参であるファルケに関わる余地などない。

 必要なら声がかかるだろう。その時に力を貸せばいいと、ファルケはのんびりさえしていた。


 だから、マリカが土下座をしている太悟の頭を踏み付けにしているのを見た時、心臓が止まりそうになった。


 頼むから出撃してくれと太悟が懇願すれば、その横っ面が蹴り飛ばされる。

 マリカは、頑固で負けず嫌いなところはあるが、正義感が強く頼り甲斐のある勇士だった。

 だから、蹲る少年に唾を吐いて立ち去る彼女の姿を、ファルケは己の目で見ても信じることができなかったのだ。

 結局、太悟が俯いて物置に帰るまで、我に返ることはできなかった。


 勇者代理の指示は受けない。光一でなければ、出撃はしない。

 それが古参の勇士たちが下した決断だった。


 ファルケは愕然とした。どう考えても正気の沙汰ではない。

 詳しい経緯は知らなかったが、助けを求めたのは、こちらのはずなのだ。

 応じてくれた人間を、どうして虐げる?


 新参も古参も関係ない。人間としての道義に、あまりにも反した行為である。

 ファルケは、マリカに抗議した。勇者代理に協力せず、魔物とも戦わない理由は何なのか。

 そして返ってきたのは言葉ではなく、暴力だった。


 立ち上がれなくなるまで殴られた。

 倒れてからは、血を吐くまで蹴られた。

 集められた勇士たちの前に転がされ、見せしめとして晒された。

 マリカたちが決めた方針に逆らう者は、こうなるのだと。


「同じ神殿の仲間に矢を向けるなんてしたくなかったよ。でも、あたしだってやられるわけにはいかない」


 周囲に意識を広げつつ、ファルケは後ろに下がり、マリカとの間に距離を作る。

 マリカは腰に佩いた剣の柄を握ったまま、口を曲げて唸った。

 ワイバーンブラストは、爆発する矢だ。避けようが叩き落とそうが、神殿には確実に被害が及ぶ。

 ファルケが矢を射る前にどうにかしようにも、両者の間は離れすぎている。


「………この神殿のすべては、光一の物なのだぞ。ここに所属している勇士……オクルス、お前もだ」


 会話により隙を作るつもりか、マリカが話しかけてくる。

 警戒したまま、ファルケは答えた。


「前はそうだったかもね、あたしを呼んだのは光一くんだったから。だけど今は……ううん、これからずっと、あたしは太悟くんの勇士だよ」


 マリカは、もはや鬼の形相だった。


「光一の素晴らしさを少しでも知っているなら、奴にそんな価値がないことがわかるはずだ」


 今は眠っている勇者、日向光一の思い出は、ファルケには数えるほどもない。

 他愛もない会話をしたことはあるし、その時は好意的な感情が自分の中にあったのを覚えている。その程度だった。

 結局のところ光一に対して、ファルケは厄介な病を得てしまったという同情くらいしか抱いてはいなかった。


 では、太悟はどうか。

 人と人を比べる、その行為の無礼さを承知で、ファルケは素直に述べた。


「太悟くんは、あれだけ傷つけられても、あたしたちを見捨ててない。それどころか自分で戦場に立って、魔物たちと戦ってくれてる。そんな太悟くんに価値がないなら、あたしたちは何? ゴミ?」


「私に叩きのめされてぐずぐず泣いていた男に、何ができる」


「……何ができるも何も、太悟くんはもうコーラルコーストにまで出撃してる。実力は、あたしたちとはもう比べものにならない。装備を見ればわかるでしょ?」


「くだらん嘘をつくな!」


「こんなことで嘘なんかつかないよ。………ねえ。本当に、どうしちゃったの? 前は、そんな風に人を悪く言ったりしなかったのに」


「うるさい! 黙れ!」


 マリカが顔を赤くしてがなり立てる。

 まるで獣だ。けものではなく、けだもの。


 同じ言葉を喋っているはずなのに会話にならない。マリカにそのつもりがないのだ。

 彼女が求めているのは、意見交換ではない。

 ファルケが命令を聞いて従う。それ以外のことは、何も受け入れないのだろう。


 きっとマリカの中からはもう、魔物と戦い世界を守るという目的は消え去ってしまっている。

 残っているのは光一への愛と、太悟への憎しみだけ。

 古参連中に共通した態度ではあるが、マリカは群を抜いている。


 ファルケは泣きたくなった。

 こんなことになるまで、マリカは大切な仲間だったのだ。


 だが、本当に泣くわけにはいかなかった。

 今は太悟の方が大切で、彼のためにも弱気は見せられない。

 ファルケ・オクルス―――《精霊射手》は、殺気さえ込めて、マリカの頭に狙いをつけた。


「もう一度言うよ、マリカ。あたしは、太悟くんの勇士になったの。誰が何と言おうと、それはもう絶対に変わらない。太悟くんのためなら……あたしは何とだって、誰とでも戦うよ」


 それが、ファルケの誓い。

 命ある限り、いや、たとえ死すとも決して破れることはない誓い。

 けだものには、決して穢すことは叶わない。

 気圧されて、マリカの頬を伝う冷や汗。


 二人の勇士が、各々得物を手ににらみ合う。

 とはいえ、剣と弓である。

 ろくに出撃せず、体の鈍ったマリカが戦場帰りのファルケより素早く動けるかといえば、さて。

 それらの条件について思考する頭を、マリカはまだ残していた。

 ぎり、と歯ぎしり一つ。《流れの女剣士》は剣の柄から手を離した。

 敵意が無くなったのではなく、この状況では不利と判断したのだ。


「………後悔するぞ」


 分かりやすく負け惜しみの捨て台詞を残して、マリカは去っていった。

 彼女の姿が見えなくなるまで、ファルケは弓を構え続けていた。

 やがて、危険が無くなったことを確信してから、矢を消し、息を吐いた。

 ひとまずこの場は凌いだが、今後のことを考えると気が重い。

 だが、それでも。


「後悔なんて、しないよ」


 そう呟くファルケの脳裏に浮かぶのは、かつて過ごした腐敗の日々。

 マリカによる激しい暴行の後、ファルケはベアトリクスによって最低限の治療を施された。

 完治には程遠く、僅かな身じろぎさえ激痛を呼ぶ。それが魔物との戦いによるものならば、まだ耐えられた。

 信頼していた仲間から受けた仕打ちであることが、ファルケの心を圧し折っていた。


 もう、何もかも壊れてしまったのだと。

 眠れぬ夜に苦鳴を上げながら、ファルケはすっかり諦めていた。

 仲間の勇士たちと共に魔物に立ち向かい、いつか魔王を滅ぼして世界を救う。

 そんな夢は、風に吹かれる埃のように散って。後はもう、マリカたちの圧政に怯え続けるのだ。


 勇士として女神に選ばれながらも戦場に出ることのない虚無の時間が、体と心を腐らせるのを感じていた。

 逃げ出そうとした者、異を唱えた者が、自分と同じ目に合わされるのを見ても、心が動かないほどに。


 太悟が自ら出撃していることも知っていた。

 鈍らの剣を担ぎ、襤褸のような防具を纏って。


 傷ついて帰ってくる惨めな姿を盗み見ながら、「はやく諦めれば良いのに」としか思わなかった。

 異世界の、戦いなど知らない平和の中で育った人間である。魔物との戦いに耐えられるとは思えない。


 いずれは、自分と同じようになるだろう。

 そんなファルケの考えに反して、太悟は出撃を続けた。何度も、何度も。

 最初の内は、廊下の上を這いずるようにして物置に戻っていた。

 何時の日からか、怪我はしていても二本の足で歩くようになった。


 太悟が諦めるのを待っていたファルケだったが、次第に違う感情が芽生えてきていた。

 思い切って、転送部屋に忍び込み天使像に尋ねてみたところ、太悟は既にグリーンメイズやグレイブヒルにまで出撃しているという。

 欝々とした気持ちを吹き飛ばすほどの驚愕が、ファルケを襲った。

 それはつまり、太悟が一般の勇士と遜色ない戦闘能力を有しているということだ。


 ファルケには、分からなかった。

 そうなるまで、どうして太悟が諦めなかったのか。

 希望など無いはずだ。この神殿に、彼を支えてくれる者などいなかったはずだ。


 それなのに、どうして。

 ファルケは太悟に教えて欲しかった。直接聞こうとして、思い留まる。

 腐ることを受け入れていた今の自分に、太悟と顔を合わせる資格など、ある筈がない。

 勇者の前に立つのは、勇士であるべきだ。まずは、勇士としての自分を取り戻さなければならない。


 傷を癒やしたファルケは、誰からも隠れて訓練を始めた。

 先祖代々から受け継いできた、精霊の矢とそれを操る技術。

 鈍った体を鍛え直すのは辛かったが、太悟のことを思えば耐えられた。

 戦場に向かう彼の姿が、ファルケに勇気をくれた。


 そうしている内に、ファルケの中に新しい目的が生まれた。

 太悟のために戦う勇士になるのだと。この世界のために戦ってくれている彼を、自分のすべてを使って助けるのだと。

 たとえ、かつての仲間たちと敵対することになったとしても。


(太悟くんの勇士になれた。これからは、あたしが太悟くんを支える。一番、近くで……)


 太陽が空に昇ろうとしていた。

 太悟は、少し眠った後で雑事を済ませ、再度出撃するという。

 もちろん、ファルケもそれについていく。もう、太悟の背中を見送る時間は終わったのだ。

 少しでも体を休めて、準備をしなければならない。少女はやや駆け足で、神殿内にある自室に向かった。


 《精霊射手》ファルケ・オクルスに、新しい朝が訪れようとしていた。

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