デスオンザビーチ9
カピターンが自身を拘束していた骨の尾を引き裂き、自由になると、太悟とファルケの姿は消えていた。
『ビーチ』を包む煙を前に、ふうむと指が少なくなった左手で顎を擦る。
「また煙幕、目くらましか。いや、儂が言えたことではないが」
太悟と、女勇士の気配は感じている。何やら話し声も細くではあるが聞こえていた。
この場から逃げ出してはいないようだ。
とは、まだ戦うつもりなのだろう。カピターンは壮絶な笑みを浮かべた。
(背中を見せた敵を追いかけて斬り捨てるほど、つまらん作業はないからな)
別段、痛む良心があるわけではない。
退屈で面倒だから嫌なだけだ。やらずに済むならその方が良い。
《孤独の勇者》。あの闘争心の塊が尻尾を巻いて逃げる姿など、元より想像もしていなかったが。
「次は、何をするつもりだ。何時までも待ってやるほど、儂は辛抱強くはないのだぞ」
そう言って、カピターンは戦艦クジラに指示を与えた。
小娘がちょっかいをかけていたが、あの程度で機能を損なうことはない。
戦艦クジラが動き出す。頭部の主砲にエネルギーが集積し、発射。
最初の一発よりも遥かに威力の低い光弾が砂浜を穿ち、煙幕に穴を空けた。
こけおどし程度の威力で良いのならば、主砲の連射も可能なのだ。
特段狙いは付けさせず、カピターンは光弾の届くすべての場所を、満遍なく砲撃させた。
耐え切れず飛び出してくるか、はたまた砲撃に巻き込まれるか。
どう転ぶにせよ、願わくば楽しい結果になってほしい。
《魔海将軍》ではなく一介の魔物として、カピターンは今この瞬間を謳歌していた。
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「や、やってもらいたいことって……」
聞き返してくるファルケの表情には、不安と期待感が同居していた。
彼女が今どんな気持ちなのか少し気になったが、聞いている時間もない。
カピターンが攻撃を再開したらしく、轟音と衝撃が断続的に響いている。
一度しか言わないと念を押してから、太悟は説明を始めた。
「カピターンと戦艦クジラ、両方いっぺんに相手はできない。かといって分断も難しいから、どっちかにさっさと消えてもらわなきゃいけない」
といって、カピターンは無理だろう。
この場にいる戦力でどうやろうと簡単に片付く敵ではなく、手こずれば当然戦艦クジラの横槍がある。
だから、
「………狙うなら、戦艦クジラだな」
「だけど、あいつもタフそうだよ?」
「そうでもない。デカいけど刃は通るし、弱点もわかってる」
太悟は腰に差したリップマンの柄を握った。
兜を被っているためファルケからは見えないが、彼の瞳は赤く輝いていた。
悪意ある診察。
ドライランドから帰還した後に使用できるようになった、狂刀リップマンに込められた魔法だ。
これを発動すると、相手の急所がわかる。
人間で言えば心臓や脳など、損傷が命に関わる部位が、赤く光って見えるのだ。
弱点のわかりにくい魔物と戦う時は重宝するが、しかしとてつもなく便利というものでもない。
心臓を突けば倒せるとして、それが硬い外皮にでも守られていれば、当然それをどうにかする必要がある。
先のタワーオブグリードとの戦いで使えたとしても、結局は危険を承知で体内から攻撃しなければならなかっただろう。
カピターンは、首を斬れば死ぬ。
それが分かっているからといって、簡単に斬らせてくれる手合いではない。
戦艦クジラを狙っているとわかれば、それも妨害してくるだろう。
カピターンの攻撃をかわしつつ戦艦クジラを倒す。
それも、今の体力が底を尽きかけている状態ではまったく現実的ではない。
ではどうするか。
「ファルケ。これから僕はあいつらのとこに突っ込んで、戦艦クジラを始末する」
「ええっ!? だ、だけど……」
追い詰められて、やけっぱちに命を捨てる。そんな風に聞こえただろう。
困惑に声を上げるファルケを、太悟は手で制した。
「最後まで聞いて。もちろんあのクソ蟹が邪魔してくるだろうし、それじゃあ僕も攻撃に専念できない。だから、君の力がいるんだ」
太悟はファルケの目を見ながら、一拍置いた。
聞き逃しが無いように、しっかりと意を込めて、強く発音する。
「一瞬でいい。カピターンの動きを止めてくれ」
えっ、とファルケの唇が動く。感情の色としては、驚愕が濃いだろう。
必要な説明はした。彼女の返答を待つことなく、太悟は準備を始めた。
コロナスパルトイが形成する竜骨の鎧、その上半身部分の装甲が、最低限の物を残して剥離する。
首と腰の中間のほとんどは、人工筋肉を形成する蔦だけになった。
逆に、下半身部分はさらに装甲が増設される。その下の人工筋肉が増大し、膨れ上がる。
爪先と踵から、地面を掴むための鉤爪が伸びた。まさしく竜の足だ。
走力に特化させた、歪な姿。
防御をまったく考えていないので、カウンターを受けたら死ぬ。
その覚悟をもって、太悟は敵の方に体を向けた。
「ちょ……ちょっと待って! あたしの力じゃ、あいつをどうにかするなんて」
我に返ったファルケが肩を掴んでくる。
太悟は振り返らずに言った。
「なんか、拘束できる矢とかないの?」
「ある、けど……」
少女の声に力が無い。
自分が失敗すれば人が死ぬと思えば、そうもなるだろう。
同じ立場なら、太悟とて安請け合いはできない。だが、選択肢が限られていることもわかっているはずだ。
そして、それだけではない。
「今朝からの、本当に短い付き合いだけど……君の弓の腕を、僕は信じてる。分の悪い賭けにはならないよ」
力が無くとも自分の役目を果たす、技と工夫を見た。
その体のどこから来るのか、命すら惜しまない覚悟も知った。
正直なところ、太悟はまだファルケを疑っている。これはもう理屈ではなく性分で、自分でもどうしようもない。
けれど、彼女が示したものの分だけでも、太悟は信じてやらなければならない。
いや、信じたかった。
「三つ数えてから走り出す。僕が飛び出したら、すぐに撃って」
「……もし、失敗したら」
「その時は、僕と一緒に死んでくれ」
三。砲撃がすぐ近くの地面を抉り、土が舞い上がる。
二。足を曲げ、走るための力を溜める。
一。骨の防壁を解除、道を空ける。
〇。太悟は一陣の風となった。
周囲の景色が無数の線となって流れる。
銃から発射された弾丸の視点。
全力に全力を重ねた超全力疾走。
体を前に送る足に、引き千切れてしまいそうなほどの力を送る。
息ができない。たったの一呼吸、それだけの時間で太悟は砂浜を突っ切っていた。
視線の先に戦艦クジラ。
そしてその前に立つカピターン。
腰だめの構えから、横薙ぎの斬撃が繰り出されようとしている。
この勢いで仕掛けたところで通用する相手ではない。
向こうの攻撃を、今の太悟は避けることができない。
自分の首が飛んで砂に塗れる光景が脳裏をよぎる。
だが、そうはならなかった。
空は依然として青く澄み切っている。
にもかかわらず、突如として落ちてきた雷が、カピターンの脳天を直撃した。
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太悟が三を口にした時点で、ファルケは手にした弓を構えていた。
自分の無力さに打ちのめされている時間などない。
呆けたまま太悟を見送ることなどできない。
何より、太悟は信じていると言ってくれたのだ。
全身全霊で応える、それ以外の選択肢があろうか。
(とっておきの二つに、すべてをかける)
ファルケの手に出現する矢。それは青白く輝いていた。
気のせいではない虚脱感が少女を襲う。これから行使する術は、強力だが相応に負担も大きい。
放てば、もう戦えない。動けない。戦場において、それは死を意味する。
一が数えられる。
太悟の姿が、土煙とともに視界から掻き消えた。
「――――ヘブンズレイ!!」
ファルケは、躊躇わず矢を放った。
青白い矢はファルケの手から、まるで瞬間移動したかの如く一瞬でカピターンの頭上へ。
そして、花火のように弾けた。
矢と同じ青白い閃光が膨れ上がり、直後生じる稲妻。
それは真下にいるカピターンを貫いた。
遅れて、大気を震えさせる爆音。鼓膜がびりびりとして、ファルケは目を細めた。
ヘブンズレイは稲妻の矢。
狙った獲物の頭上に飛んで、電撃を浴びせる。
威力もさることながら、雷光の速度ゆえにほぼ必中。
今現在のファルケが使える、最大の術である。
「ぐっ」
視界が揺れる。世界が揺れる。
耐え難い目眩と吐き気によって、ファルケは地面に両膝をついた。
これ以上矢を出せば死ぬが、そもそも立ってさえいられないのだから、何の矢を出そうが無意味だ。
「太悟、くん……」
全身全霊が成した結果もわからぬまま、ファルケは勇者代理の名を呼び、蹲る。
余力など残さない、渾身の矢。
それでも、たとえヘブンズレイが直撃したとしても。
カピターンには何の痛痒も与えられないという確信が、ファルケにはあった。
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弱めのマッサージ。
それが、頭上から降り注ぐ雷撃を浴びたカピターンの感想だった。
つまり痛くも痒くもない。
これまで星の数ほどの勇士が、カピターンに雷撃のみならず火や岩塊、冷気を浴びせてきた。
中にはそれなりの傷を負わせられたこともあったが、今回はまったく話にもならぬ。
こそこそしていた女勇士の術であろう。
この程度の実力で《魔海将軍》の前に出てきたことを、たっぷりと後悔さえてやることにしよう。
(その前に、オヌシとの決着をつけるかのう。カリヤダイゴ!)
下肢を異形に変えて突撃してくる宿敵。
やぶれかぶれの捨て身か、それとも何か秘策があるのか。
まさかあの程度の雷撃でどうにかできるなど、低く見積もってはいまい。
何にせよ、迎え撃つだけだ。
これより放つ水妖剣が、あるいはこの戦いの幕を引いてくれるだろう。
太悟が迫る。その首に刃が届く距離に入る。
カピターンは、勇者にふさわしい最高の一撃を、最高のタイミングで振り抜こうとした。
だが。
「なっ」
剣を握った、その腕が動かない。いや、体を動かせない。
彫像と化したカピターンの影からは、矢の形をした影が生えていた。
シャドウピアス。
ヘブンズレイに並ぶ、ファルケのとっておきの一つ。
攻撃力は一切無いが、実体無き影の矢が敵の影に刺されば、その動きを完全に止めることができる。
ヘブンズレイだけではカピターンには無意味と考えたファルケは、雷撃で気を引いた直後にシャドウピアスを放っていたのだ。
弱い魔物では十秒、強ければ五秒の時間を稼ぐ。
「ウオオオッ!!」
そして、《魔海将軍》は一秒にも満たぬ一瞬で、束縛を振りほどいた。
大き過ぎる実力差と、生まれつき備わっている術への耐性が物を言った。
カピターンの心にあるのは称賛だ。
卑小な雑魚と思っていたが、僅かでも自分の動きを止めたことは驚嘆に値する。
虫のように潰すのではなく、立派な戦士として対処してやることにしよう。
――――勇者を斃した後で!
腰だめの構えから放たれる、横薙ぎの斬撃。
音さえ捨て置きにして走る水の刃。
太悟が砂地を蹴る。
強化された下肢の力によって、カピターンの頭上を大きく飛び越えようとする。
斬撃と跳躍。それらは、ほぼ同時に行われた。
そして、その結果。
綺麗に斬り離された足が、ごろりと転がり………断面から、赤が溢れ出した。




