デスオンザビーチ8
砲撃によって吹き飛ばされた林。青々としていた草叢は焼き払われ、木々は薙ぎ倒されている。
着弾地点から離れた位置。
かろうじて立っている焼け焦げた木の陰から、ファルケはひょこっと顔を出した。
「し……死ぬかと思ったぁ……」
心臓がばくばくと鳴っていた。
冗談でもなんでもなく、ちょっとでも逃げるのが遅れていれば消し炭と化していただろう。
全速力で逃げて木の後ろに隠れても、追ってきた熱と衝撃はかなりのものだった。
この火力に比べれば、ファルケの術など蟷螂の斧ですらない。
そもそも、このコーラルコーストに出る魔物の中では弱い部類に入るスケイルマンでさえ、彼女の手には余るのだ。
あからさまに強力な戦艦クジラと対峙したならば、結果など考えるまでもない。
(あたしに、何ができるの……?)
じわ、と怖気がファルケの心を侵す。
太悟が言ってくれた通り、尻尾を巻いて逃げてしまうのが正しく賢い選択なのだろう。
しかしその太悟は、勇士の端くれである自分が恐れをなす魔物たちと戦っているのだ。
ファルケは両手で頬を叩き、自分に喝を入れた。
「しっかりしろ、あたし! ここでがんばんなきゃ、何にも変わんない!」
痛みが気付け薬となって恐れを払う。
ファルケはマントを翻し弓を握り締めて、再び『ビーチ』に向かった。
砲撃のせいで地面が荒れ、倒れた木が障害物となっていたが、森育ちのファルケが走るには何の不便もなかった。
それよりも、正面から彼女の耳朶を打つ戦闘音こそが、焦りによって足をもつれさせる。
音が続いているのは、太悟が生きている証拠。
だが、突然途切れたのなら、それはつまり。
額を滑り落ちる汗を撥ね飛ばすように、ファルケは横に頭を振った。
彼女が林と砂浜の境界線に戻った時、太悟はまだ生きていた。
けれど、無事ではない。ファルケは息を呑む。
砕けた鎧の隙間から漏れ出る血。武器を支えにようやく立っている、震えた足。
それでもなお戦う意思を見せる勇者の背中は、二対一という数以上に、どこまでも孤独だった。
――――お前が怯えていた時間が、彼を傷つけたのだ。
自責の念は幻聴と化して、ファルケの心に刺さる。
それは膝を突いて蹲ってしまいたくなるような苦痛だったが、そんな場合ではない。
ここは戦場で、ファルケは戦いに来たのだから。
(とにかく、太悟くんに攻撃が集中しないようにしなきゃ)
カピターンも戦艦クジラも、ファルケの攻撃ではびくともしない。
だが、それでもできることはある。ファルケは風を司る緑の矢を前方に放った。
それはすぐに宙返りを打って、射手の後方に回る。当然だが、自分を射抜こうという話ではない。
地面を蹴って跳び上がる《精霊射手》。着地地点は、緑の矢。
ファルケが右足を乗せると、矢は彼女を乗せたまままっすぐに飛んでゆく。
太悟の頭上を飛び越え、潮風を裂き、戦艦クジラに向かって。
新しい敵の接近に気付いた戦艦クジラが、背部の砲塔を動かす。
ファルケは矢を踏み台にし、跳躍。砲弾がその下を貫いて飛んでゆく。
緑のマントをはためかせながら、ファルケは空中で弓を構えた。
その手に輝くは、真紅の矢。
「ワイバーンブラスト!」
放たれた矢は、その軌跡に赤い粉塵を残しながら、戦艦クジラの頭部に着弾。
瞬間。矢は炎と化し、轟音とともに弾けた。
火の属性を持つ、ファルケが有する中では最大の威力の矢。
しかし、それでも戦艦クジラの表皮を軽く炙ることしかできない。
炎が消えた後でも巨大な魔物は健在で、そしてファルケを新たな標的に定めたようだ。
彼女の狙い通りに。
(そう、お前の相手はあたし。太悟くんじゃない)
戦艦クジラの背部の砲台が、上空のファルケに向けられる。
ファルケはすでに自由落下を始めていた。砲撃をかわす術はない。
先程のようにシーカーショットに乗るのは時間がかかり過ぎる。
防御などするだけ無駄。今身に着けているどの防具も、紙切れのように引き千切られるだろう。
ならば攻撃あるのみだ。ファルケはもう一度、火の矢を撃った。
今度は、気を引き付けるためではない。ダメージを与えるための一矢だ。
そこが空中であっても、ファルケは弓の名手である。
ワイバーンブラストは彼女の思い通りに、戦艦クジラの背部にある砲台、その砲口に飛び込んだ。
一瞬遅れて、ぼん、と火を吹く砲身。しかし弾は出ず、炎だけが猛烈に噴き上がった。
――――グオオオオオオオオッ!!
それが痛みに繋がったか。戦艦クジラが身を捩り、叫ぶ。
「ぃよしっ!」
ファルケは思わず声を上げた。多少なりとも傷つけられるなら、それで太悟の負担も減らせよう。
彼のために戦う、それが今のファルケが生きる理由だった。
実力が足りないのならば、命で補うまで。
鳥のような身軽さで、戦艦クジラの頭部に降り立つファルケ。
この位置なら主砲は役に立たず、背部の砲塔は黒い煙を吐いて沈黙している。
攻める以外の選択肢などない。ファルケは弓に矢をつがえた。
風の緑、水の青、火の赤が戦艦クジラを打つ。
一矢放てば、それが飛んでいる間に二矢、三矢、四矢と重ねてゆく。
十をいくらか越えたところで、ファルケは軽い目眩を覚えた。
精霊の矢は無尽蔵に出せるわけではない。使い手の精神力と言うべきものを消費し、この世に顕現させているのだ。
当然、限界はあった。それを越えれば、ファルケは立っていることもできなくなるだろう。
さらに無理をすれば、死さえあり得る。
すでにスケイルマンやラグーンナイトとの戦いで、多くの矢を使っていた。
目眩は、限界が近付いているという警告である。
ここで動けなくなったのならば、たとえ無理を重ねなくとも、待ち受けているのは死であろう。
それでも。
(太悟くんが受けてきた傷に比べたら、これくらい!)
歯を食いしばり、無理やり足に力を入れて、ファルケは矢を放ち続けた。
目眩を通り越して頭痛が少女を襲う。それでも手は止まらない。
そのままならば、ファルケは本当に死ぬまでそれを続けていただろう。
だが、戦艦クジラはそこまで辛抱強くはなかった。矢で突き回されるのに飽きて、大きく体を揺する。
巨体の上に立っている者にとっては、大地震である。
「う、わっ」
限界寸前まで消耗しているファルケに耐える術などない。
呆気なく戦艦クジラの頭から転げ落ちる。受け身も取れず、背中を砂地に打ち付けた。
くらくらする頭を抱えながら、すぐに上体を起こす。そして、その目の前に立つ、異形の人型。
「隅でこそこそしている分には放っておいてやってもよかったがな。そちらから飛び込んできたのだ、覚悟はできているだろう」
カピターンの腕は、既に水妖剣を振り上げていた。
それが落ちるだけで、少女の細い首はぽんと宙に舞うだろう。
例え万全であったとしても、その一撃を避けることはできないと、ファルケは本能で理解していた。
だが、彼女の心に恐怖はない。今さら惜しむほどの命ではなかった。
(……結局、ほとんど太悟くんの役に立てなかったな)
それだけが、たまらなく悔しい。
命がけですら何も成せない、自分の非力さが憎い。
大口を叩いて着いてきてこの様では、太悟に百度、いや千度詫びようが足りるものではない。
せめて、彼を傷つけてきた勇士の一人が死ぬことで、少しでも溜飲を下げてくれれば良いが。
ファルケは目を瞑らなかった。
だから、自分に向かって振り落ちる水の刃を見ることができた。
そしてそれを弾く―――――高速回転する旋刃も。
「僕から目ぇ離してんじゃないぞ、カピターン!」
その声にファルケが振り返れば、カトリーナを構えた太悟が立っていた。
この世界でただ一人、自ら戦う勇者が。
何か言おうとする前にマントのフードを掴まれ、力強く引き寄せられる。
「ドラゴン……ビュート!!」
太悟の体を覆う鎧の背部から、節のある骨の尾が伸びる。
ファルケの頭上を飛び越え、鋭い先端がカピターンを狙った。
「小細工!!」
だがその攻撃は、上位の魔物にとってはあまりにも遅く、弱かった。
カピターンの左手が容易く払い除けた、その瞬間。骨の尾が、毒蛇の如く左手に巻きついた。
何、とカピターンが訝しげな声を上げれば、根元から外れた尾が全身に絡みつく。
さらに、尾の節から無数の蔦が伸びて、瞬く間に巨大な繭を形成した。
ドラゴンビュートの本質は攻撃ではなく、拘束だったのだ。
ファルケがそうと理解している間に、太悟は腰のポーチから幾つもの瓶を取り出し握り締め、周囲に投げ放った。
柔い砂地の上で、罅割れた瓶が砕ける。
たちどころに煙幕が広範囲を覆い、ファルケは太悟に担ぎ上げられた状態で、煙幕の向こうに姿を消した。
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太悟はファルケを連れて、林と砂浜の境まで撤退していた。
コロナスパルトイの能力で地面から骨を生やし、簡易的な防壁を作る。
まともに攻撃を受ければ吹き飛ぶようなものだが、遮蔽されているという状態は多少の安心感を生む。
やるべきことをしてから、太悟は米俵のように担いでいたファルケを、そっと地面に下ろした。
自分の体を前に倒し、優しく座らせてやる。
「あっ、あ………ありがとう、太悟くん」
つい先程まで死神に肩を掴まれていた緊張から、やや強張った口で感謝を述べてくるファルケ。
だが、優しくするのはここまでだ。
「――――――何考えてんだッ!!!!」
そう怒鳴りながら、太悟は容赦なく彼女の両頬を引っ張った。
餅のように柔らかくむにーっと伸びる。
普段の太悟は当然こんなことはしないが、今回ばかりは話が別だった。
「んいー!」
「逃げろって言われて特攻かける奴がどこにいる!?」
「ふぉ、ふぉふぉに」
「ああそうだね目の前にいたね。漫才してるんじゃないんだよ! 言っちゃうぞ? このおバカって言っちゃうぞ!」
「ふぉめんなひゃい……」
ファルケが涙目になってくると、さすがに罪悪感が胸に湧いてきて、太悟は手を離した。
そもそも、何故彼女が飛び出したのかと言えば、太悟が追い詰められていたからだ。
弱さを見せて不安がらせた、太悟にも責任がある。
「……助けようとしてくれたってのはわかる。でも、もう少しで死ぬとこだったんだ。君に、僕のために死ぬ義務なんてないだろ」
普通の神殿であれば、勇士達は勇者を身を挺してでも守るだろう。勇士は勇者を慕い、必要としているからだ。
だが、第十三支部は何もかも普通ではない。
太悟は所詮勇者代理だ。
今でさえ必要ではあっても大切にはされず、用が済めば神殿から追い出される身分。
ファルケが守るべきなのは光一で、太悟ではないのだ。
「………義務じゃないよ」
伸ばされた頬をさすりながら、ファルケが口を開く。
「あたしが命を懸けるのは、あたしがそうしたいから。義務なんかじゃない」
立ち上がったファルケの金色の瞳には、強い意志の光があった。
抱えていた想いもあったのだろう。少女の口は止まらない。
「あたしの命は、太悟くんのために使う。あなただけを死なせるくらいなら、あたしも一緒に死にたい!」
この娘、すげえ重い。
反論することもできず、太悟は息を呑んだ。ファルケの言葉に圧倒されていた。
あなたのためなら死んでもいい。
そんなことを言われたら、アニメや漫画の主人公は大抵怒り出すのだ。
軽々しく死ぬなんて言うなと、命を大事にしろと。それが当然の反応だろう。
けれど、太悟は高潔なヒーローではない。
物語の英雄にはなれない。
(どうしよう、めちゃくちゃ嬉しい)
目頭がつんときて、太悟は唇を噛んで堪えた。
一滴でも涙が零れたら、止められそうにない。
そんな言葉が欲しかったのだと、そのために戦ってきたのだと、太悟は初めて自覚した。
だが、残念ながら感動に浸っている時間はない。
驚異は未だすぐ傍にあり、このままでは本当に二人とも死ぬだろう。
戦わなければ生き残ることはできない。自分と………ファルケの力を合わせて。
万感の思いを振り切って、太悟はファルケと向き合った。
「………君にそこまでの覚悟があるなら、やってもらいたいことがある」




