勇士たちは戦っている!!
かつてコーラルコーストのシンボルであった、街を見下ろす鐘楼塔。
その周囲を、《渡り鳥》プリスタは飛んでいた。青い翼が風を掴み、風を生む。
勇士として選ばれたことで、はじめて村の外に出たプリスタは、この街の平和だった過去を知らない。
だが、この荒れ果てた街並みを見ると、怒りが滾々と湧き出してくる。
魔物の脅威に曝されていない村や街など、今や一つとして存在しないだろう。
大抵は各地の神殿から派遣されてきた勇士が防衛しているが、強力な魔物が出現した場合は諸共滅ぼされることもある。
プリスタが生まれた村も、一度は一目風竜という魔物によってめちゃくちゃにされそうになった。
その時は太悟やダンの助力によって解決したが、何時また何が起きるかわからない。
この街の風景は、決して他人事ではないのだ。
だから。
「………私は、魔物どもを許さない」
プリスタの視線の先。この街に幾つか点在する、噴水広場の一つ。
その上空では、エイの姿をした魔物の群が飛び回っていた。
カミナリエイ。噴水広場にいる勇士たちに、武器の届かない空から電撃を見舞っている。
プリスタは魔物を憎んでいる。特に、空を穢す者どもを。
「落ちなさい……フェザーダーツ!!」
青い翼から発射される、青い羽根。
通常ならばひらりひらりと風に舞うであろうそれらは、鋭く大気を切り裂いて飛ぶ。
プリスタの意思をもって、羽根は鋼の硬度を得るのだ。
羽根に射抜かれたカミナリエイたちが、平たい体に穴を空けて落ちてゆく。
空を舞う敵を一掃するプリスタの前に出現する、巨影。
概ね楕円形の形をした体を、びっしりと長い針で覆った、ハリセンボンの魔物。
ニードルクラウドだ。体の大きさは、ちょっとした家屋ほどもある。
ぷかぷかと気球のように空に浮かび、虚ろな目をぎょろぎょろとさせるニードルクラウド。
やがてプリスタに視線を固定させると、その名の通り風船のように体を膨張させた。
全身の針も立ち上がり、射出。四方八方に飛んで、崩れかかった廃墟をさらに穴だらけにした。
そんな剣呑なる雨の中を、プリスタは優雅に飛ぶ。
ただの剣呑では、優雅に触れることすらできない。
「雑な攻撃ね……」
プリスタの両足を固める脚甲、暴風脚ダヌシュルドラがにわかに紫電を帯びる。
風が起こり、風が猛り、嵐となる。
ニードルクラウドが撃つ針は、もはや近付くことさえ許されない。
嵐を纏って、プリスタが飛ぶ。爪先を合わせた両足を前にして―――まるで投槍のように。
「ストームタロン!!」
プリスタの蹴撃がニードルクラウドを貫き、激しい風がその体をばらばらに引き裂いた。
まるで荒鷲が、獲物に鉤爪を振るったかのように。
残った瘴気すら羽ばたき一つで打ち払い、プリスタは次の敵を探す。
彼女の目に光がある限り、空が魔物達の手に渡ることはない。
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無人の商店街を、魔物の群れが進む。
集団の中央にいるのは、大砲魚と呼ばれる大型の魔物。
左右に鉄の車輪を有した台座の上に、巨大な魚が固定されているという、なんとも不可思議な姿をしている。
誰も押していないのにひとりでに車輪が動き、割れた石畳の上でごろごろと音を発していた。
大砲魚の護衛としては、十数匹のリトルジョーズが用意されていた。
顎の発達した魚に四本の足が生えた魔物で、リトルと言いながらも中型犬ほどの大きさをしている。
よく発達した顎と、短剣を並べたかのような牙からは殺意しか感じられない。
遠くから魔法で攻撃しようとした勇士たちは、大砲魚の口から発射された水の砲弾に砕かれ、流されていった。
かといって接近して潰そうとすれば、たちまちリトルジョーズに集られ、残るのは血だまりだけ。
魔物の群れは着実に歩を進め、いずれは基地へと到達するだろう。
それを阻止すべく、二人の勇士が魔物達の前に立ち塞がった。
「ふふん。見ろ、実験台どもがやってきたぞ」
癖のついたオレンジ色の髪の下、不敵な笑みを浮かべて少女が立っている。
小柄で細身の体を、不釣り合いな黒い軍服で包み、その上から暗緑のマントを羽織っている。
より特徴的なのは、指先から肘までを固めるガントレットだろう。
イクサ帝国魔導機士隊所属、勇士としての名を《鉄猫》カティ。
「よし、早速実験を開始して」
「うーわぁ。敵さんがぞろぞろ並んでますねぇ先輩。やだなあもう、めんどいッスわ……」
カティを遮るように、大柄な女性が前に立つ。
肩まで伸びている、というより適当に肩の辺りで切った栗色の髪。眠たげに垂れ下がった目尻に緊張感は欠片もない。
両者の身長差は大人と子供ほどもあり、また体型もスレンダーなカティと比べて、女性的な部分がかなり主張していた。
相方と同じくイクサ帝国の軍服に身を包み、こちらはマントではなく弾帯を肩や腰に巻き付けている。
手にしているのは、金属製の巨大な筒。中心には持ち手と、弾を入れるためのスリットがあった。
あくびすらかます《重魔砲士》シャンの脛に、カティはローキックを打ち込む。
「私の前に立つなと言っとるだろーが、このデカブツめ!」
「ふゃーい」
特に不満に思うことなく、シャンはのそのそとカティの後ろに回った。
両者の関係が窺える一幕である。
新たな障害物を発見し、リトルジョーズたちが一斉に牙をがちゃつかせる。
だが、カティはそれをまったく恐れてはいない。
鼠を狙う猫、そんな目をしていた。
「リトルジョーズどもは私が片付けてやろう。お前は、あの大砲魚とデカブツ同士仲良くするんだな」
「先輩たちはちっこい同士で仲良くするわけッスね」
「そうそう私も軍学校の幼年部からほとんど背が変わってないから、よく小さくてカワイイと同期に……後でぶっ飛ばすからなお前」
牙剥く魚たちに向かって、カティが駆け出す。
その手には、剣も槍も握られてはいない。体格も限りなく華奢。
凶暴な魔物と戦える、そんな人物にはとても見えない。
突っ込んできたカティを、リトルジョーズたちが大口を開けて迎え撃つ。
鋭い牙と強靭な顎が、少女の肉体をあっという間に肉片に変え――――はしなかった。
カティが五指を広げ、右腕を横薙ぎに振るう。
ぶん、と蟲の羽音のようなものが鳴り、次の瞬間、薄切りにされたリトルジョーズが崩れ落ちる。
細い腕が動く度に、魔物が次々と解体されてゆく。
カティの指先からは、薄く細い、微かに虹色に輝く刃が伸びていた。
「ファンタズマ式魔力爪……素晴らしい切れ味だ。それに、軽いし速い。国の学者たちが見ればさぞ喜ぶだろう」
死の乱舞を披露するカティをぼんやり眺めながら、シャンは呑気にあくびを一つ。
「ん~……先輩は元気ッスねえ。ウチもちょっとは見習って、仕事しなきゃ」
そう言って筒―――スピリットシェル式重魔砲を肩に担ぐ。
スリットから弾を込め、砲口を前に向ける。
その些細な動きに、大砲魚が反応した。すぐさま口から巨大な水の砲弾を発射する。
砲弾は緩やかな弧を描いて飛び、シャンに衝突した。
ばしゃあ、と激しく水飛沫が飛ぶ。地面が水を吸収しきれず、石畳みが水没する。
ただし、シャンの周囲を除いて。
彼女自身もその足元も、まったく濡れていない。
そもそも水の砲弾が当たったにも関わらず、シャンは何事もなかったかのように直立していた。
「もー、無駄な抵抗しないでくださいよ……無駄なんスから」
シャンの周囲を取り巻くのは、不可視の盾。
固定式防護結界、別名を城壁。巨人の一撃にすら耐える防御力と引き換えに、術者はその場から動くことはできない。
あくせく動き回るのが嫌いなシャンにはぴったりの術だった。
もちろん、いくらのんびり屋な彼女でも、わざわざ二発目を喰らってやるほど気は長くない。
大砲魚に照準を合わせ、がち、と引き金を下ろす。
轟音とともに放たれた金属の砲弾は、見事に大砲魚の口内に飛び込んだ。
弾は内臓を穿ち、そう設計されていた通りにひしゃげ、中に仕込まれていた火精が解放される。
着弾から一秒後、大砲魚は内側から爆発し、木っ端微塵に吹き飛んだ。
噴き上がる爆炎。
同じくリトルジョーズたちを片付けたカティは、爆発のすぐ傍にいたにも関わらず、元気で上機嫌だった。
「さあ、次に行くぞシャン。もっと武器の性能を試さなければならんし、金も必要だ。今日は限界ギリギリまでやるからな!」
「うえ~、かったるいッスよ~」
どこまでも正反対な二人は、次なる敵を求めて廃墟の街を駆ける。
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運河に沿って伸びる広い通路を、一人の勇士が大股で進んでゆく。
筋骨隆々とした、精悍な男である。よく日に焼けた褐色の肌の上で、赤い塗料を用いた不可思議な紋様の刺青が踊る。
極めて軽装であり、上半身は完全に露出している。
加護の指輪以外に身に着けているものと言えば、ズボンと、腰のベルトに幾つも吊り下げられた動物の顔を模した仮面のみ。
《仮面舞闘者》ガムラン。
今このコーラルコーストに来ている勇士の中でもっとも身軽な男は、何も恐れず大股で前へと進む。
その行く手を阻む魔物は、建物の壁や地面に擬態して潜んでいた。
アサシンカッターは、例によって巨大なヒトデの姿をした魔物だ。平たい体の縁は、鋭利な刃物になっている。
奇襲のため十分な距離に獲物が近付いた時、アサシンカッターは擬態を止め、ふわりと宙に浮く。
そして即座に高速横回転し、一気に襲いかかるのだ。
もはや円盤に見えるほどの速度で回転しながら、五体のアサシンカッターがガムランを襲う。
首か胴か、腕か足か。
いずれにせよ致命傷となるだろう。まともに当たりさえすれば。
だが、ガムランが回転には回転をとばかりに、全身で横に円を描くように舞ったならば、話は別だ。
繰り出された拳が、足が、鉄槌の威力でアサシンカッターたちを打ち砕く。
瘴気を拳圧で吹き飛ばす、ガムランの肌には一筋の切り傷さえついてはいなかった。
目前の敵を倒したにもかかわらず、ガムランは構えを解かない。
彼の鋭敏な感覚は、すでに新たな敵の接近を予知していた。
運河の水の流れに、乱れが生じる。大きく揺れて波打ち、ざば、と水面が割れた。
海蛇の魔物、シーサーペントが長い首をもたげる。普段は海中に潜んでいるが、魔物に海水も淡水も関係ない。
シャアッ、と鳴き声を上げて、シーサーペントが陸にいるガムランに襲いかかる。
毒を含んだ一対の牙と顎が、レンガ造りの地面を抉った。
軽やかに飛び退ったガムランは、腰に吊るした仮面を手に取る。
朱色に塗られ、金色の鬣を備えた獅子の仮面。
「……獣面人心」
それを被ると同時に、変化が始まった。
ガムランの全身が、瞬時に金色の毛皮に覆われる。骨と筋肉が膨れ上がり、より強大に。
手足から鉤爪が生え、獣のように―――いや、獣そのものとして、四つん這いとなる。
先端に房のある尾が臀部から生えると、ガムランは完全に赤面金毛の獅子と化した。
牙の生えた口から放たれる咆哮が、廃墟の街を揺らす。
《仮面舞闘者》ガムラン。人の心で獣の力を操る戦士。
金色の獅子が、シーサーペントの喉元に食らいついた。
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コーラルコーストの中で、数多くの勇士たちがそれぞれの戦いをしている。
そんな中、
「―――『ビーチ』で狼煙が上がったぞ! 行ける奴はいるか!?」
その呼びかけに真っ先に応じたのは、《太陽騎士》ダン。
ひとしきり敵の部隊を壊滅させた後、来た道をほとんど逆走し、『ビーチ』に向かっていた。
そこで太悟たちが戦っていることを知っているからだ。
そして、彼は滅多に助けを求めないということも。
「お前が狼煙を使うほどの魔物がいるのだな! 待っていろ太悟、ファルケ! 俺がすぐに行くぞ!」
公園から離れ、市街に入ったところで、飛んできたプリスタと合流する。
「プリスタ! お前も聞こえたか!」
「……うちの勇者に逆らってでも、太悟の傍にいるべきだったと後悔しているわ」
空中から淡々とした声を落とす鳥人の女戦士は、親しい者にしかわからないが焦燥していた。
狼煙を上げるほどに追い詰められた太悟が、心配で仕方がないのだ。
一刻も早く助けに行きたい。そんな赤心に駆られ、建物に挟まれた道路とその上空を進む二人の前に、巨大な影が降って来た。
「ぬおっ!?」
ダンもプリスタも急停止に成功したため、石畳を穿ち、土埃を上げた「それ」に潰されることはなかった。
大型馬車ほどのサイズをした「それ」は、手足があり、頭があった。
金色の毛皮を纏う、赤い仮面めいた顔の獅子。
変身した《仮面舞闘者》ガムランは、自分で作った穴の中で、力なく横たわっていた。
「……この人、知ってるわ。けっこう強いはずよ。なのに……?」
ひとまず着陸したプリスタが、怪訝そうに呟く。
さらに、
「やばいやばいやばい! おいシャンもっと早く走れ! 死ぬぞ!」
「待ってくださいッス、先輩~!!」
路地裏から騒々しい二人組が飛び出してくる。
カティとシャン、傷ついてはいないが半泣きで、相当切迫した状況であることがわかる。
「大丈夫か? 何があった?」
ダンが訊ねる。
「大丈夫じゃねーよ! ヤベーのが出たんだよぉっ!」
シャンが、そう吠えるのが早いか。
ずん、と遠雷のような音が鳴った。少し間を置いてまた、ずん。
少しずつ近付いてくるそれが、足音であることにダンが気づいた時。
プリスタは地面を蹴って飛び、敵の姿を目視した。
それはまるで、街中に突然岩山が生えてきたかのようだった。
傍にある鐘楼塔と、同じくらい大きい。
苔やフジツボに覆われたそれは、人間に近い形状をしていた。
溶岩を丸く固めたかのように赤く燃える目。海藻の頭髪。
足は家屋をゴミのように踏み潰し、左腕には錆びた錨付きの鎖がアクセサリーのように幾つも巻かれている。
「海底魔人だと!?」
屋根の上に登って来たダンが呻く。
《深淵公》アビシアスが支配する海において、航行中の船の前に現れては海底に引きずり込んでゆく魔物。
陸を中心に活動する勇士たちは遭遇率が低く、そもそも目撃した者は死ぬため半ば伝説に近い存在だった。
それが今、コーラルコーストで猛威を振るっていた。
海底魔人が、無造作に右腕を振るう。
近くに立っていた鐘楼塔が半ばから圧し折れ、上半分は街中で横倒しになった。
左腕から錨が射出され、建物をぶち抜き、地面に突き刺さる。
海底魔人がそのまま左腕を横に大きく動かせば、あっという間に街区が五つほど、廃墟から瓦礫の山に変わった。
それらの破壊に巻き込まれたか、人間の悲鳴が一瞬大きく上がっては、消える。
まるで生きた災害だ。
放置してゆくには、予想される犠牲が多すぎる。
皆が力を合わせて立ち向かわなければ、全滅もあり得るだろう。
「プリスタ、わかってるな! 奴はここで倒さなければならん!」
聖火槌ブレイブトーチを構え、ダンが言う。
「…………わかってるわ。だけど」
「さっさと片付けて、太悟たちの下へ急ぐのだ!」
「……そうね。海底魔人だかなんだか知らなけど、あんなのに時間をかけてる暇はないもの」
二人は頷き合って、海底魔人に向かって突撃する。
幹部クラスと、超大型魔物。コーラルコーストでの戦いは、より激しさを増してゆくようであった。




