デスオンザビーチ4
太悟はこの時点で既に、自分の死を覚悟していた。
全身の血が凍りついたかのように、ぞっとするような寒気を感じる。
《魔海将軍》カピターン。
コーラルコーストを攻撃する魔物の中でも上位の存在で、その上にはもう、《深淵公》アビシアスしかいない。
太悟が以前倒したタワーオブグリードよりも、その危険度ははるかに高い。
あれは貪り喰らうだけの獣だったが、カピターンには知性があるのだ。
「手薄のここから上陸して、街にいる勇士どもを挟み潰すつもりだったが……まさかオヌシがここにいるとはのう」
「雑魚を引き連れて、ご苦労なことだな。もっとも、みんな僕らがやっつけちまったけど」
太悟は無理やりにも虚勢を張った。
スケイルマンやラグーンナイトなど、何十、何百束ねようがカピターンには及ぶまい。
以前、太悟がコーラルコーストで戦っていた時のこと。
突如として姿を現したカピターンによって、四人の勇士が瞬く間に命を奪われた。
それから展開されたのはスプラッタームービーだ。
立ち向かう者、逃げる者、誰もが血の海に沈んでゆく。
決して無力ではない、ベテランの域にいる勇士たちが、だ。
その場に居合わせた太悟が、カピターンの武器である薙刀を折り、どうにか撤退させることができた。
しかしそれは、決して勝利などと呼べるものではない。
すべてが終わった後で、もう取り戻すことのできない命たちが、太悟の足元に転がっていた。
それは、人類の勝利が遠いことの証左であり、もっと身近な視点で見れば、真正面から立ち向かった場合の太悟の姿だ。
戦死者十八名。
数としては少ないが、七つの神殿におけるトップレベルの勇士たちであったと言えば、印象が変わるだろう。
幾つもの死線を越えて、あれから少しは腕が上がったという自覚はある。
それでもまともにやりあって勝てるとは到底思えなかった。
「なあに、兵隊ならいくらでも替えがあるでのう。別に惜しくもないわ。今日はとっておきも連れてきているしな。それより、薙刀を折られた借りの方が重いぞ」
ごつい甲殻に覆われた左手で顎を撫でるカピターンの右手には、光沢のある毒々しい赤に色付けされた、太刀の柄が握られていた。
どうやら珊瑚で作られているらしいそれには、本来あるべき刀身が欠けている。
嫌な予感というやつが、足がいっぱいある虫のように太悟の背中を這う。
この世界はゲームや漫画で語られるファンタジーが満載だが、多くの場合太悟に牙を剥くのだ。
「アビシアス様より賜ったこの水妖剣で、たっぷりと楽しませてやろう」
そう言って、カピターンは太刀の柄を前に掲げた。
そして、太悟がおおよそ予想していた通り、鍔から水の刀身が伸びる。
緩やかな弧を描く半透明の刃は、持ち主が魔物であるにも関わらず、日の光を受けてきらきらと輝いていた。
「新しいオモチャを見せてくれるってか。そりゃ光栄だね」
太悟は、対抗するかのようにカトリーナの旋刃を前に突き出した。
その頭の中で、思考が激しく駆け巡る。
水妖剣。ただ刀身を水にしたというだけの代物ではないはずだ。
少なくとも、刀身の長さは自在に変えられると考えて良い。
そうでなくとも水の刃を飛ばすか、何にしろ間合いの有利は向こうにあるだろう。
ウォーターカッター。そんな言葉が頭に浮かんでくる。
切れ味はどれほどか。コロナスパルトイの装甲で耐えられるのか。
受けるのはあまりに危険だ。毒やそれに類する魔法効果を有している可能性がある。
他にも、他には。まだまだ考えなければならないことは山ほどある。
しかし、当然のことながら、敵にそれを待つ義理などない。
「キェィッ!!」
何時構えたのかもわからないのは、その動きがあまりに自然で淀みないからか。
カピターンが放つ上段からの斬り下ろしは、掛け声が遅れて聞こえる速度。
太悟は斜め前に跳んだ。退かず、砂浜に深い切れ込みを入れる水の刀身の横を通り、カピターンの前に出る。
一目散に逃げ出したい気持ちはあったが、おそらく背中を見せた瞬間に唐竹割だ。
戦わなければ、生きることはできないのだ。
主の闘志に呼応し、旋刃を高速で回転させるカトリーナを、太悟は槍の如く突き出した。
狙うのは首……ではなく、膝だ。足の一本や二本無くなったところで魔物は死なないが、討伐への大きな布石となる。
が、その目論見は、カピターンが斬撃の体勢から腕を回し、下段の位置に移動した刀身によって防がれてしまった。
荒々しい凶器と、透き通った水の芸術品が、一瞬拮抗する。
「やるのう」
カピターンが笑う。
「そっちこそ」
太悟は獰猛に歯を剥いた。
下から掬い上げるように、カトリーナが弾かれる。
その力に逆らわず、太悟は後ろに大きく跳んだ。
押し合わずに受け流したつもりだったが、腕がじんと痺れ、カトリーナを手放さないようにするので精一杯だった。
「ぬぅんっ!!」
後方への跳躍から、太悟の足の裏が砂浜に触れようとした、その瞬間。
立っている場所からほとんど動かず、カピターンが刺突を繰り出した。
両者の間、約五メートル。水妖剣も魔物の腕もそこまで長くはなく、当然届くはずがない。
だが、魔物が持つ魔性の太刀である。常識など通用しない。
水の刀身は、突き出しの勢いのままに伸長。
今まさに着地しようとしている太悟の胸を、切っ先が貫かんとする。
しかし、それこそ太悟が予想していた攻撃だ。出るなら、距離を開けた時だろうと。
着地と同時に、太悟はほとんど四つん這いになって身を伏せた。
一瞬遅れて、その頭上を行き過ぎる水妖剣。
「おおっ!?」
まさか当たりもしないとは思わなかったか。
カピターンが声を上げた時には、太悟は砂を蹴って前進していた。
刻まれた足跡を、折り返してきた水妖剣の切っ先が突く。
今の太悟には、五メートルの距離など一跳びだ。獣のように姿勢を低くして、カトリーナを腰だめに構える。
伸長し、曲折した太刀で、先程のように防御ができるのか。後ろから追ってくる切っ先も、前に進む限り追いつけまい。
そう考える太悟の目の前で、水妖剣の刀身が、幻のように消えた。
カピターンは少し手を動かし、突っ込む太悟の方に向けて、再度刀身を出現させる。
(そうか。消すも戻すも、自在なのか――――)
そのまま突っ込めば、勢いのまま串刺し。ブレーキをかけ足を止めればそこを狙われよう。
どちらの選択にも死臭が漂う。だから太悟は第三の道を選んだ。
即ち、上だ。
「おおおおおおおおっ!!」
突撃の足力を切り替えて、太悟は跳び上がった。同時に、カトリーナを下から振り上げる。
ほとんど見ずに放った斬撃。手には、装甲を割り裂く感触が伝わった。
カピターンの頭上を飛び越えて、その背後に着地する太悟。吸った息を吐く間もなく振り返る。
ほとんど同時に、カピターンも振り返った。
――――翁の面のような顔面の左側には深い切り傷が刻まれ、左目は完全に潰れている。
意図したものではないラッキーパンチ。畳かけるなら、今だ。
「殺戮暴風圏!!」
特別に力を込めて、太悟は魔法を放つ。
カピターンの装甲にはある程度防がれるだろうが、鎧のつなぎ目には効果があるだろう。
ぎゅんと空を裂く、無数の旋刃。その全てがカピターンに殺到した。
しかし。
「かあっ!!」
気合い一声。網状の軌跡を描いて、カピターンの刃が走る。
魔法によって生み出された旋刃、その全てが砕け散った。
破片を振り払い、一瞬で距離を詰めてくるカピターン。大上段からの振り下ろしを、太悟はどうにか横にかわす。
かわした先の空間に向けて、既にカピターンの前蹴りが放たれていた。カトリーナの柄で受け止め、しかし殺しきれない衝撃で後ろに転がった。
すぐに立ち上がるが、カピターンは新たな攻撃に移行していた。
「見よ、珊瑚固め!!」
カピターンは水妖剣を逆手に持ち、自身の足元に突き刺した。
そこから光沢のある桃色が砂の上に広がると、次いで一直線に太悟の方へ向かう。
逃げる間もなく、太悟は両足を捕らわれた。膝下まで登って来たところで、桃色が一瞬にして凝固する。
その正体は、カピターンが言った通り珊瑚のようだった。
ただし魔力によって強化されているらしく、足を動かそうとしてもびくともしない。
「くそっ! こんなもの……」
太悟は悪態をついてから、カトリーナの柄尻で珊瑚を突いた。
表面にわずかに罅が入ったが、砕けはしない。そして、砕く時間もない。
ゆらりと近付いてくるカピターン。その背中からは、巨大な蟹の爪が一対と、三対の節足が生えていた。
どれもびっしりと棘に覆われていて、まるで岩から削り出したかのようにごつく、そしておそらく血を吸いたがっている。
兜の下で、太悟は青ざめた。
優しく撫でてくれるために出したものではないのは明らかだ。
蟹の爪と節足が、ぐんと後ろに引く。弓につがえられた矢のように、力を溜めている。
カピターンの横顔で、緑の矢が弾ける。
ファルケの矢。強敵を前にして、彼女のことが頭から吹き飛んでいたことを、太悟は恥じた。
必要な指示を与えなければならない。太悟は声を張り上げた。
「――――逃げろ、ファルケ!!」
そして、カピターンが力を解き放った。




