私を海(戦場)に連れてって 奮闘編
潮の香りが濃くなってくるのを、太悟は感じていた。
基地から離れ街から離れ、低い草と小石が覆う荒地を進むこと十分。あと五分も歩けば、目的地に到着するだろう。
そこまで考えて、太悟は後ろをついてくるファルケが、基地を出てからまったく喋っていないことに気付いた。
彼女とのまだ短い付き合いの中で太悟が知っているのは、口から生まれたかのようにおしゃべりが大好きであるということだ。
正直面倒だとも感じていたが、急に黙り込まれるとそれはそれで心配になってくる。
(単に疲れたってだけなら、もう帰れよとしか言いようがないんだが)
太悟は頭を掻いた。
さすがにそれはないと思いたい。いくらファルケが新参で経験が少ないと言っても、勇士は勇士。
基礎体力は、この世界に来た時の太悟よりも遥かに上のはずだ。
まだ魔物と戦ってもいないのに、ちょっと歩いたくらいで無口になるほど疲弊はしないだろう。
では、戦いを前にして神妙になっているのかと言えば、やたらと囲気が暗い。
下の方を向いて、何やら考え込んでいるようだった。
(プリスタが何か言ったのかなあ)
あの鳥人族の女勇士は、素直で歯に衣を着せない。
それは彼女の良いところであり、同時に悪いところでもあった。
包み隠さない言葉は、時に油に火を投げ入れる結果にもなるのだ。
先程基地で何か話していたようだが、お世辞にも仲良しという空気ではなかった。
太悟が知っている女の子同士の会話が、彼への悪口大会くらいだということを除いても、明らかにピリピリしていた。
特に今回の話とは関係ないが、「あいつの目玉は金玉だ」はいくらなんでも品が無さすぎると思う。
(どうしよ。一応声かけとこうか)
コーラルコーストに出る魔物なら、もしもファルケが足を引っ張ったとしても問題なく対処できる自信が、太悟にはあった。
これがドライランドなら、鎖でふんじばってでも留守番させていただろうが。
しかし、それにしたって不安な要素はない方が良いに決まっている。
………まあファルケ自体がそもそも不安な要素なのだが。
意を決して、太悟は歩みは止めず、首だけ後ろにねじ向けた。
「ファルケ。さっきから黙り込んでるけど、大丈夫?」
はっとして、ファルケが顔を上げる。急造したことが丸わかりな作り笑いを浮かべながら。
「う、うん! 大丈夫……ちょっと、考え事してただけだから」
「そりゃけっこうなことだけど、はやく解消した方がいいぞ。魔物は容赦なんてしてくれないからな」
太悟がそう言うと、ファルケはまた口を閉ざした。
少し間を置き、何かを考えた素振りをしてから、
「太悟くんは、他の人にうちの勇士団こと……その、言ったりしなかったの?」
太悟は眉間に皺を寄せた。後ろに向けていた顔を前に戻す。
このタイミングで、何故そんなことを聞くのか理解不能だったが、とりあえず答えてやる。
「………言うって、何を。みんな出撃サボってることとか?」
無言。しかし、背後でファルケが首肯する気配がした。
太悟は溜息をついた。
「言ったよ、教会にはね。自分でなんとかしろってさ」
その『なんとか』とやらを、太悟は今のところ実現できていなかった。
出撃を拒むマリカたちに何度も頭を下げ、説得しようとし、土下座だってした。
その度に野良犬のように追い払われ、「お前が戦場に行けばいい」と嘲笑われ続けた結果が今だ。
太悟が強くなってからも、勇士たちの態度は変わらない。
彼らの嫌がらせを流せるようになってはきたが、問題の解決にはならない。
教会に至っては、もはや現状を問題視すらしていないようだった。
ぎりぎり中堅に入るかどうかという程度の神殿が、竜殺しの成果を挙げるようになったのだ。
下手に介入するよりも、このまま太悟に戦わせることに決めたらしい。
太悟がアレシヨスを倒した後、教会は「より一層励むように」と出撃可能な戦場を増やしてきた。
勇者が戦場に出ていることについて、何の言及も無しに。
ああ、状況はたしかに改善したのだろう。
教会としては、魔物を倒してさえいればそれでいいのだから。
「プリスタさんや……仲の良い人には?」
「自分とこの恥を、友達に愚痴るわけにはいかないでしょ。聞かされる方だって嫌だろうし」
あそこの戦場は攻略が困難だ、なかなか良い武器がドロップしないといったものなら、互いに共有できる話題だ。
愚痴り合い、笑い合うのも楽しめるだろう。
だが、太悟の場合はあまりにも悩みが特殊である。勇士が勇者を嫌って出撃しないなど、他では聞いたこともない。
共感するどころではない、耳が腐る嫌な話だ。顔を顰めて沈黙する他に、何ができるというのか。
たとえ、憤慨した他の神殿の勇士が教会に言いつけたとしても、返ってくるのはせいぜい「調査・検討する」程度の答えだろう。
それなら、わざわざ人の気分を害することもない。
太悟が飲み込んでしまえば済む話だ。
「それじゃ、太悟くんが辛いだけじゃない!」
ファルケが声を大きくする。
「まあ、そうだね。辛いし、キツイよ。こないだみたいに、つい君に怒鳴っちゃうくらいには」
太悟は自嘲し、空を見上げる。
青い空に浮かぶ太陽。太悟をこの世界に誘った女神サンルーチェは、太陽を司る神なのだという。
かつて、まだ何も知らなかったころの太悟は……思えば、あの輝きに目が眩んでいたのかもしれない。
「だけど、ファルケ。これは僕が選んだ道なんだ」
「……どういうこと?」
「そのままの意味だよ。僕や他の勇者がいた世界は……まあ、少なくとも僕の周りは平和だった。この魔物だらけの世界で生きてきた君には悪いけど……退屈してたんだ」
狩谷太悟は平凡な人間だった。
別の名前、別の顔であっても、大して変わりがないような、どこにでもいる量産型の学生。
勉強も並みで、熱中できる何かも見つけられていない。そのくせ、酷く退屈していた。
だから、勇者になってくれという女神の頼み事を、何ら疑うことなく引き受けたのだ。
別の世界に行けば全部がうまく行く。そんな漠然とした、あまりにも甘すぎる考えで。
その後マリカと出会い、第十三支部で勇者代理になってくれと懇願された時、太悟の心にあったのは親切心だけではなかった。
きっとこの人が、自分という主人公のヒロインなんだ。そんな醜い下心が、確実に胸の中にあったのだ。
女神とはあれ以来一度も会っていないし、マリカは太悟を嫌っている。
太悟は結局、何一つうまくやれなかった。
当たり前だ。
元の居場所でも、何もしてこなかったのだから。
甘い考えをした馬鹿な奴が痛い目を見る。それも当たり前のことだ。
悲劇どころか、笑い話にもなりはしない。
「そう考えてみると、今僕が受けているのは、人の世界を暇潰しの道具にしようとした罰ってやつなのかもね。君に八つ当たりなんかして、悪かったな」
乾いた笑声が、太悟の口から漏れる。
握り締めた手は、昔よりずっと硬く強くなっていたが、太悟はそれを喜ぶことができない。
《孤独の勇者》の正体がこんな情けない男だと知ったら、きっと魔物も他の勇士も失望することだろう。
その称号がありがたくない太悟としては、むしろ言いふらして回るべきかもしれないが。
「罰って、そんな……でも、それでも、太悟くんが一番がんばってるよ! 罰に償いが必要なら、もうとっくに終わってる!」
太悟の背中に叩きつけるかのように、ファルケが叫ぶ。
声は何時の間にか湿ってきていて、どうやら泣いているらしい。
たしかに涙が出るくらい馬鹿な話だ、と太悟は苦笑した。
「……マリカたちにひどいことされて、戦場でも傷ついて……普通、そんなにがんばれないよ。……あたしには無理だった。なのに、太悟くんは、なんで……」
ファルケが何のことを言っているのか、太悟にはわからない。
だから、わからないなりに答えることにした。
「馬鹿は馬鹿なりに、一つ決めたことがあってね。頼まれて、引き受けたことくらい、ちゃんとやり通したいんだ」
この勇者代理という立場が如何に自分を苦しめるものだとしても、太悟は一度引き受けたのだ。
もう嫌だと放り出してしまったなら、何のためにこの世界にやってきたのかわからない。
どうしようもない馬鹿なのはしょうがないにしても、何も成し遂げられない馬鹿にまでなり下がるのは御免だ。
「さすがにもう、古参の連中が僕の頼みを聞いてくれるなんて思っちゃいないけどさ。あの光一が起きるまでは、神殿を存続させるつもりだ」
目覚めた光一が、再び勇者をやればそれでよし。そうでなくとも、いつか何かしらの決着はつくだろう。
第十三支部が勇者代理を必要としなくなったとしても、太悟には曲がりなりにも積み上げた実績がある。
きっと、新しい神殿を与えられて、そこで正式に勇者として働くことになるはずだ。
その時にこそ、太悟は自分を誇れるようになる。
もう、昔のぼんやり生きてきた間抜けではない。一つのことをやりとげ、新たな戦いに向かう、真の勇者になれるのだ。
「………じゃ、じゃあ!」
太悟がそこまで語り終えたところで、ファルケが前に飛び出してきた。
その目は予想通り潤んでいる。
「太悟くんが新しい神殿に行く時、あたしもついてっていい?!」
噛み付くような勢いで、ファルケが太悟に迫る。
「いや、まあ……それくらい、別にいいけど。でも、何時になるかわからないし。てか、まず今日ここで生き延びないと」
「うん! あたし、がんばる! 太悟くん助ける!」
「何で片言なんだよ。ほら、泣いてないで、さっさと先に進むよ」
「泣いてないもん!」
ファルケが目元を擦りながら洟をすする。
役に立つかどうかはともかく、この感情の起伏が激しい少女がいる間は退屈しなさそうだ。
太悟は、苦笑や自嘲でない笑みを、小さく口角に浮かべた。




