つらら城の花嫁 19
「……髪?」
思わず、ファルケは聞き返してしまった。
自らのそれに、指で触れる。焦げ茶色はオクルス家の血統だが、二つとないほどの珍しさではないと思っていた。
「そう。奴も、同じ髪の色をしていた。顔つきも似ていなくもない。それ以外はまあ、体つきは少し小振りだが」
「体のことはほっといて」
ファルケはドラクスリートを睨んだ。
体型のことはちょっとコンプレックスだが、魔物に文句を言われる筋合いはない。
「細かい部分は置いておこう。今まで何人もの女の勇士をキープしてきたが……もっとも奴に近いのがお前だった」
「だから、何」
「つまり……俺はお前を妻にしようと言っているのだ!」
そう言い切ったドラクスリートは、いっそ晴れやかな顔で(そんな雰囲気というだけだが)ファルケを見つめる。
一瞬ぽかんとしたファルケだったが、その意味が浸透するにつれて腹の底から怒りが込み上げてきた。
「ふ……ふざけたこと言わないで! 誰があんたなんかの!」
そんなファルケの怒りを、ドラクスリートは軽く受け流す。
「もう決めたことだ。この後、結婚式とやらを挙げて、俺は愛をこの手に取り戻すのだ」
ぞ、と寒気が背筋を走り抜ける。
ファルケにはまったく理解ができない理屈だった。
ドラクスリートは狂っていた。完全に。
人間と同じように会話が、意志疎通ができることが、かえって恐怖を際立たせている。
似て非なるとは、決して相容れないということなのだ。
(カピターンは怖かったけど、敵としてわかりやすかった。でもこいつは……)
何をしでかすのか、まったく予想がつかない。爆弾のような恐ろしさがあった。
かん、と甲高い音がなり、ファルケの肩がびくりと揺れる。
ドラクスリートが手を叩いたのだ。
「さあ、式の準備だ。チルウィッチ、花嫁を衣装部屋に連れてゆけ。最高のドレスを着せるのだぞ!」
「かしこまりました」
す、とドラクスリートの傍から移動してきたチルウィッチに、腕を掴まれる。
「さあ、早く立つんだよ。ぐずるなら、凍らせて運んでいくからね」
「くっ……」
歯噛みしながらも、ファルケは抵抗しなかった。この氷の城で、彼女はあまりにも無力だった。
今はひとまず、魔物たちに従うしかない。
(太悟くん……無事でいて)
# # #
神から見放されたかのように、針葉樹が一本だけ残された雪原。
太悟とダンは、あまり楽しくない時間を過ごしていた。
「このっ、寄るな雪だるま!」
近づいてくる白い狼たちを、太悟はどうにか蹴り飛ばす。
犬は好きだし狼もかっこいいと思うが、自分の内臓を引きずり出そうとしているなら話は別だ。
相手が雪ハムスターでも踏み潰すだろう。
「武器も鎧も無いとて、このダン・ブライトを舐めるな!」
ダンも勇ましく吠えながら足を振り回しているが、まだ自分たちが生きている理由が、敵が本気を出していないからだということには気付いていた。
「ヒッヘヘヘ、がんばれよなあ。簡単に諦めたら、オイラが退屈だぜ」
太悟たちの前に並ぶ、雪から生まれた狼の群れ。それらを生み出しているスノーガルーが愉快げに笑う。
一度に襲いかかってくる狼は一度に二匹や三匹で、耐久力も大したことはない。それでも、群れが一気に押し寄せて来れば、今の太悟たちが生き残ることはできないだろう。
それをしないのは、結局のところ遊びだからだ。
人間たちがどこまで耐えられるか。どれほど必死にもがいてくれるのか。
スノーガルーは、その様子を楽しんでいるのだ。足を動かせるようにしているのもそのためだろう。
今まで、どれだけの勇士が犠牲になったのだろう。
考えるだけで腹が煮えくり返るようなこの怒りを、必ずやスノーガルーに思い知らせてやる。
太悟はそう誓った。
しかし、今のところ状況は何も改善していない。
鎖を解こうとすれば、スノーガルーは目敏くそれを見つけて狼を差し向けてくる。
未だ重症こそ負ってはいないが、牙や爪などによる細かい傷は確実に蓄積していっている。
雪の上に散っている赤い点が、その証だ。
(しかも、めちゃくちゃ寒い!)
太悟は白い息を吐いた。
なにせ、インナー姿で雪原のど真ん中に立たされているのだ。
人食い狼の群れに包囲されていなくとも、いずれは凍死が待っている。
時間が味方にならない状況だ。速やかに打開策を見つける必要があった。
「ダン、なんか思いつかない!?」
「むっ! さっきから鼻の頭が痒いが手が届かん!」
「もうちょっと有益なこと考えてて欲しい」
とはいえ、太悟自身何も考え付かないので強くは言えないのだが。
「おっ、作戦タイムかぁ? いいぜ、ちょっと休憩だ。ヒヘヘ……」
そう言って、スノーガルーが片手を上げる。狼たちの動きが止まった。
当然慈悲でもなんでもなく、せっかくのオモチャをすぐに壊したくないだけだろう。
「くっそ、調子に乗りやがって!」
何にもならないと知りつつも、太悟は足を地面に叩きつけた。
返ってくるのは、スノーガルーの嘲り。
そして───みしりと、微かな揺れ。
太悟はもう一度、先ほどよりも強く地面を蹴る。
わずかだが、気のせいではない。自分たちをこの場に縛り付けている木が、たしかに動いたのだ。
太悟はダンの方に顔を向けた。赤髪の勇士の、確信に満ちた目と出会う。
そして、どちらともなく頷き。
「……せーので行くぞ!!」
「おうっ!!」
息を揃え、二人して地面を踏む。どん、と思い切り、全力で。
何度も、何度も。諦めることなく。
「ヒッヒャッヒャッヒャ! なんだそりゃ? 命乞いのダンスかあ!?」
腹を抱えて笑い転げるスノーガルー。今は、そんなことはどうでもいい。
少しずつ、しかし確実に大きくなってゆく揺れに比べれば、ただの雑音だ。
みしり。
みしり。
木を支える根が土から剥がれる感覚。俄然、力が湧いてくる。
「うおおおおおおお踏ん張れ、ダン! ゴリラパワー全開!!」
「ウッホオオオオオオ!!!」
二人の雄たけびが、雪原に響き渡る。
へらへらと笑っていた、スノーガルーの表情が凍りつく。
太悟とダンは、もう足で地面を叩いていなかった。代わりに、前屈みになり―――めきり、と。
はたして、理由はなんだったのか。
食い散らかされた勇士たちの血が、少しずつ腐らせていたのか。
犠牲者たちの似たような行動の蓄積が、今になって実を結んだのか。
無念の死を恨む霊たちの助力があったのかもしれない。
何れにせよ、起きたことはただ一つ。
針葉樹が、根ごと地面から引き抜かれた。




