つらら城の花嫁 18
そんなはずはない。ファルケがそう叫ぶ前に。
「……お話は、それで終わり?」
氷の城にも負けない冷たい声とともに、プリスタが立ち上がった。
翼が静かに広げられ、羽の一枚一枚が鋭利な輝きを帯びる。
「なら、お暇させていただくわ。太悟たちを迎えに行かなければならないもの」
「ははは、死体をか? 骨しか残っていないと思うがな」
明らかに戦いの意思を見せるプリスタに、椅子の肘掛けに頬杖を突いたドラクスリートが笑う気配があった。
「そう言わず、ゆっくりして行くがいい。永遠にな」
プリスタは答えなかった。少なくとも、言葉では。
その代わりとして両翼から放たれる、無数の青い羽根。フェザーダーツだ。
鋭い羽根の群れが、一直線にドラクスリートへと襲い掛かってゆく。
「それが答えか。まあ良い」
ドラクスリートが、動く。その右腕だけが、気だるげに宙にかざされる。
たった、それだけで。
「えっ!?」
ファルケは目を見開いた。
ドラクスリートの目の前で、フェザーダーツが停止している―――まるで時間が止まったかのように。
よく見てみれば、青い羽根は白く霜に覆われ、どうやら凍っているようだった。
つらら城の主、≪氷魔戦鬼≫。これが、その力なのか。
「これでおしまいか?」
ドラクスリートが、開いていた手をゆっくりと閉じる。
指が畳まれると同時に羽根に罅が入り、やがて乾いた音とともに砕け散った。
食堂の中で舞い踊る氷の粒。
それらを撥ね散らしながら飛翔する、プリスタ。そう、彼女の必殺の一撃は、足から繰り出されるのだ。
「はあっ!!」
一瞬で詰められる距離。ドラクスリートの顔面に向けて、繰り出される蹴撃。
「ふん」
当たれば頭蓋を割り砕くだろうそれを、ドラクスリートはこともなげに掴み取り、引き寄せようとした。
しかしプリスタは掴んだその指先に向けて蹴りを打ち込むと、次の瞬間には飛び退いていた―――だが。
「うっ……!」
プリスタの爪先を覆う、氷。それは瞬く間に成長し、彼女の全身を覆ってゆく。
「プリスタさん!」
ファルケは青ざめた。脳裏に浮かぶのは、先ほど砕け散ったばかりの羽根。
その二の舞などあってはならない。
けれど。ファルケが立ち上がり、手を伸ばしたところで、それは何の助けにもならなかった。
「太悟……ダン……ごめんな、さ」
ごとん。テーブルの上に落ちる、氷の六角柱。
その中には、眠るような姿のプリスタが閉じ込められていた。
まるで芸術品のような美しさだったが、そこに人の命が使われている事実を消すことはできない。
構えたファルケを牽制するように、ドラクスリートが声をかけてくる。
「心配するな。殺してはおらん。まあ、今となっては生かしておく意味もないのだが……アイシュタイン、運んでおけ」
どこからともなく現れる、異形の巨漢。太悟が切り落としたはずの腕は、すでに修復されていた。
緩慢な動きで、しかし軽々と氷柱を抱え、再びどこぞへと歩き去ってゆく。
そして、この場に人間は一人だけ―――ファルケだけが残された。
ただその場に立ち尽くしたまま、何もできないでいる。
状況は二対一、その上一体はプリスタを一瞬にして封じるほどの力を持っているのだ。
武器すらない現状、何をすればいいのかわからない。
「ふふ。これでようやく落ち着いて話が出来るな、我が花嫁よ」
「……ッ。さっきから、花嫁花嫁って、何言ってるの!?」
ファルケはドラクスリートを睨んだ。
まず、そこが意味不明なのだ。
喋る魔物は珍しいわけではないが、人間を花嫁と呼ぶなど聞いたこともない。
そもそも、結婚という文化があるとも思えなかった。
「ほう、知りたいか! ならば、まずこの傷について語らねばなるまいな!」
そう言って、ドラクスリートが胸元を撫でる。
そこに刻まれた深い袈裟懸けの傷に、ファルケは今初めて気づいた。
「今から二年前……三年前か? まあいい。その頃の俺は各地を転々とし、勇士どもと戦っていた。その時に、とある女戦士と出会ったのだ」
氷の魔物のくせに、熱っぽく語り出すドラクスリート。隣のチルウィッチは、笑顔でそれを傾聴している。
「手強い奴だった。何度も戦い、追い詰めても諦めやしない。ほんの僅かな隙を突いて、俺の手から逃れてしまう。なんと忌まわしい敵なのだと、その時は思っていた」
ドラクスリートの仮面めいた顔が、どこか遠くを見るように空を向く。
その向こうにある顔は、きっとファルケではなく、その女戦士に向けられているに違いない。
「長く続いた戦いが終わったのは……そう、あの日! 月が明かす丘の上での決闘! あれが最後だと、何故か俺も奴も悟っていたのだ!!」
ドラクスリートが立ち上がり、片足をテーブルの上に乗せた。
がしゃん、と並んでいた皿が揺れる。
「打ち合わさる剣と剣! 一瞬が命取りとなる、極限の戦い! 奴は俺が知る中で最強の戦士だった! ……だが、何事も終わりがあるものだ」
ドラクスリートはそこで、深く息を吐いた。話に聞く、舞台上の俳優のように大げさな動きで。
それに圧倒されて、ファルケは口を挟むことができない。
「奴は、こうして俺の胸に傷を残し……俺は、奴の腹を貫き、勝利した。宿敵の死は、さぞや甘美な味わいだろうと期待していた俺の胸にあったのは……」
そして再び胸の傷に手をやり、何か物思いにふける。
「……虚無だ。俺の中に、空洞ができた。おかしいだろう? あれだけ目の敵にしていたというのに、倒したことを何故喜べない?」
ドラクスリートが俯く。ファルケに尋ねているというより、自問しているようだった。
「俺は考えた。ずっとずっと考えて、そしてようやく理解したのだ───これは、愛だと」
え、とファルケは思わず声を漏らした。
「そう! 戦いの中で、俺は奴を愛するようになったのだ! それを、寄りにもよって自らの手で殺してしまった! こんな悲劇があるか!? いいや、無い!!」
両腕を大きく広げ、天に向かって吠えるドラクスリート。
その勢いに気圧されながらも、ファルケは何とか口を挟んだ。結局、答えられていない疑問について。
「……そのお話と、あたしに何の関係があるの?」
するとドラクスリートはぴたりと動きを止めて、ファルケに向き直る。
その仮面めいた顔が、笑みを浮かべた気がした。
「お前は、髪の色がよく似ている」




