つらら城の花嫁 16
深い闇から急速に浮上する意識。
ファルケ・オクルスが最初に思ったのは、「自分は何時の間に寝たんだろう」だった。
ベッドに入った記憶が無い。
もしかしたら、疲れすぎてその辺で寝てしまって、太悟が運んでくれたのかもしれない。
ぼんやりとした頭で、ファルケはむむむと考えた。お礼を言わなければならないし、太悟がまだ眠っているなら起こしてあげたい。
神殿で寝起きする時はほとんど同時なので、早起きバトルはいつも引き分けなのだ。
(びっくりさせちゃうもんね)
そんな風にわくわくしていたファルケだが、意識が浮上するにつれて、違和感を覚え始めた。
寒い。まるで明け方の森に肌着だけでいるかのように。
冷えた体が、暖を求めて震える。
一度気付いてしまえば、その不快感を拭い去ることはできない。
そうして呼び起こされるのは、眠りに落ちる直前の記憶。
───突然、姿を現した魔物。立ち向かい、投げ飛ばされる───
「太悟くんっ!?」
ファルケはそう叫ぶとともに瞼を開けた。
そこは、宿の部屋の中などではなかった。神殿でも無ければ、彼女が知っているどの空間でもない。
高い天井から吊り下げられた、豪奢な飾りの照明。無数の釣り針を束ねたかのようなそれは、まったく暖かみのない青白い炎を灯していた。
その照明が見下ろす長いテーブルには、様々な食事の皿が並べられていた。
肉料理に魚料理。煮物やサラダ。パンとスープ、酒の入った瓶まである。かつて神殿で日常的に食べていたものと比べても、ここまで豪華ではなかった。
広い部屋そのものも、豪華絢爛と言うべき設えで満ちていた。話に聞く王族が使う食堂とは、このような雰囲気なのだろう。
それらすべてが、氷で出来ていること以外は。
ファルケが座った椅子も、形としては肘掛けが付いた豪奢な代物だが、ひやりと冷たく触れているだけで背筋に寒気が走る。
「うっ……」
と、声がする方を見やれば、近くの客席にプリスタが座らされていた。
ファルケと同じく、彼女も今目覚めたようだ。直前にいろいろあったとはいえ、この状況で一人でないのは心強い。
「プリスタさん! 良かった、無事だったんですね」
声をかけると、エアリア族の女戦士が顔を上げる。
少なくとも見た目には傷も無く、拘束すらされていない。ファルケと同じように。
反抗や逃走を、まったく警戒されていないようだった。
「ファルケ……ここは?」
「それが、あたしも気付いたらここにいて……」
両手を温めるように擦り合わせ、ファルケはぶるりと身を震わす。
いつも身に着けているマントや海弓フォルフェクスは、宿に置いてきたままだ。明らかな敵地では、裸も同然である。
そのことも不安だが、何より太悟の安否が気にかかった。
自分がここにいるなら、彼とダンもどこかにいるのだろうか?
ファルケは、再び部屋の中を見回した。
「二人とも、目を覚ましたようだな」
そこへ、骨まで凍えるような声が投げかけられる。
テーブルの向こう、ちょうどファルケの向かい側。そこに、人型の氷像が鎮座していた。
悪魔を象ったかのようなそれは───否、動かぬ置物などではないことを、ファルケは思い出す。
《氷魔戦騎》ドラクスリートの名を思い出す。
「空腹なら、好きに摘まむがいい。人間どもに献上させたものだ」
ドラクスリートが片手に持つグラスに、侍っていた魔女が血のように赤いワインを注ぐ。
「俺も色々と試したが、今のところはこれが一番だな。人間どものようには酔えんがね」
そう語る口はやけに親しげで、魔物とは思えないほどだった。
それがむしろ不気味で、ファルケは固唾を飲んだ。
何をどうしようが、このドラクスリートはブランマスを苦しめている張本人であり、太悟を傷つけた許しがたい敵なのだ。
ファルケは屹然と立ち上がり、正面の相手を睨み付けた。
「ここはどこ? 太悟くんは?」
ドラクスリートは鷹揚にグラスを呷り、それから動かぬ口で言葉を紡ぐ。
「お前たちが言うところの、つらら城の中だ。美しいだろう? 俺の力で生み出したもので、移動も容易い。そして……」
その仮面めいた顔に、表情が浮かぶことはない。
しかしファルケは、ドラクスリートが嗤うのを感じた。どこまでも冷たく、残酷な笑みを幻視した。
「……後者については、考える必要はないぞ、我が花嫁よ。もう死んでいるだろうからな」




