つらら城の花嫁14
木の床の上に広がる、黒い染み。それには目もくれず、太悟はスルロフを睨みながら席を立った。
座ったままでは、戦えないからだ。
「だ、太悟くん? どうしたの!?」
ファルケが慌てている。ダンとプリスタも、同様に困惑しているようだった。
太悟はそれには応じず、スルロフに向かってカップを突き付ける。どの道、これが答えになるのだ。
「すまない。お口に合わなかったか……」
「これに変な物を入れたのは、あんたか?」
もし何も心当たりが無ければ、そう聞かれて浮かべるのは、やはり困惑の表情だろう。
冗談だと思って愛想笑いをするかもしれないし、誤解を解くために弁明する者もいるはずだ。
だが。
言葉を遮られたスルロフは、目を見開いて硬直していた。
まるで、何かの企みが看破されたかのように。
「元から苦味が強いお茶なら隠せると思ったのか? 生憎、変な薬や毒を仕込まれることには慣れてるんだ」
仲間と呼ぶはずだった勇士たちが、差し入れる物に有害な何かを混ぜることは、太悟にとっては当たり前の日常だった。
そのせいか微妙な味にも反応できるようになったが、感謝の気持ちはまったく起きない。
舌に感じた妙な苦味から、おそらく薬の類いだろう。無論、滋養強壮とかそういう効果が期待できる種類ではない。
だが、何の目的があってのことなのか? 可能性は様々だが、スルロフの口から聞けるだろうか?
「……本当なのか?」
何も反論しない巨漢に、ダンやプリスタが席を立つ。戸惑っていたファルケも、ただならぬを感じて身構えていた。
決して狭くはない部屋が、まるで牢獄のように感じられるほどに。剣呑な空気が、凝固して部屋内を満たしていた。
やがて。スルロフが重く、長い溜息をく。
太悟は、まだ手に持っているティーカップに意識を注ぐ。割って破片にすれば、喉を掻く凶器にはなるだろうかと。
「そう、だね。ちゃんと説明をしておくべきなんだが、本当なら……」
そう言って、スルロフは後ろ頭を掻いた。視線は虚空をさ迷い、呼吸は乱れている。
正しく答えようとしているというより、沈黙に耐えきれずとにかく言葉を発してみた、という風だった。
「言い訳がしたいなら、早くしろ。まだ喋れる内にだ」
怒りと敵意を込めて、太悟はスルロフを睨み付けた。
こうしている間に、ファルケに装備を取りに行ってもらうべきかもしれない。それとも、いっそ全員で締め上げて目的を吐かせるか。
だが、そうした考えを行動に移す前に、スルロフが再び口を開く。
「…………本当に、すまない」
その震えた声は、まるで懺悔室の中の罪人のようで。
その顔には、泣き笑いとしか言いようのない表情が形成されていた。
直後。
突如としてスルロフの背後から吹き付けて来た冷気に、太悟は一瞬目を瞑る。風音に混じる、不気味な哄笑は耳の錯覚か。
息が詰まるような冷気が消え、太悟が目を開けた時―――目の前に立っていたのは、スルロフだけではなかった。
増えた二つの人影、その内の一体はダンをすら越える巨体の持ち主だった。
その姿は、悪魔を模った氷像か、氷の鎧を纏う魔人か。翼を広げた蝙蝠を思わせる仮面に、鋭い氷柱を並べたかのような牙。
太悟は、一瞬にして悟った。
これこそが、ブランマスを苦しめているという魔物……ドラクスリートであると。
「取り込み中のようだが、邪魔をするぞ人間ども。我が花嫁を迎えに来たのだ」




