つらら城の花嫁 12
森の奥にある村で育ったファルケにとって、洗体の主な方法は行水だった。月に数度、散髪や何らかの行事の際に湯を張った大桶に入ることもあったが、風呂という概念を知ったのは、勇士となり神殿に来てからである。
当時は、世の中にはこんな贅沢な設備があるのかと感動したものだ。仲間たちと関係が悪くなった今では神殿の浴場は利用できていないため、ファルケにとっても久々の入浴である。
リラックスし、心行くまで堪能したいところではあるのだが。
(す、すっごい見られてる……!?)
浴槽の向かい側、同じく湯に浸るプリスタが、真っ直ぐにこちらを見つめていた。視線に威力があるなら、とっくにファルケの顔面を貫いているようなレベルで。
男女に別れた脱衣所への入り口の前で、「また後でね」と太悟と別れた時は意識していなかったが、思えばプリスタとはまだ知り合い程度の仲なのだ。
二人きりはちょっと気まずい、と思っていたら、それを飛び越えてまさかの凝視である。湯は温かいはずなのに、どうにも背筋が冷たい。
いっそ上がってしまいたいが、何が癇に障るかわからないので、ファルケはせめて目を合わせないようにと視線を下げた。
そうして視界に入るのは、プリスタの首から下だ。
(……スタイルいいなあ)
湯船に入る前に見るとも無しに見たプリスタの体は、同性であるファルケをして魅力的だった。
引っ込むべき箇所は引っ込み、ボリュームが欲しい箇所は豊かなメリハリある肢体。濡れた青い翼も美しく艶を帯びて、息を呑むほどに美しい。
勇士は不思議と美男美女が多いが、プリスタはその中でも間違いなく上位だった。
(あたしは、どうなんだろう)
と、自分の体を見下ろしてみる。下した自己評価は、『小ぶり』である。
そもそも、今までファルケは自分の容姿や体型を気にしたことなどなかった。周りは小さな頃から知っている者ばかりで、いちいち誰が綺麗だとか可愛いだとか、そんな話にもなりにくかったのだ。
だが、今は。
(太悟くんは、どういうのが好きなのかな)
ぺたぺたと自分の胸に触れながら、ファルケはそんなことを考える。
かつての彼女にとって太悟は哀れな被害者であり、尊敬すべき勇者であり。そして今は、一人の男の子であることを知っている。
年相応に、異性に興味があるだろうということも。
(プリスタさんは、あたしより太悟くんと付き合い長いんだよね……)
ファルケが神殿に引きこもり、足踏みをしていた時間。太悟と肩を並べ、背中を守ってきた女性がプリスタだという事実に、胸がぎゅっと締め付けられる。
そんな気持ちを抱く資格さえ無いのかもしれないが。
「ねぇ」
「ひゃっ、はい!?」
突然口を開いたプリスタに、ファルケは慌てて応じた。
「あなた……太悟と、どうなの?」
それは、あまりにも漠然とした質問である。しかし、その語気が友好的なものでないことだけは痛いほどに感じて、ファルケは今すぐ逃げ出したかった。
たとえ全裸で雪の中に飛び出すとしても。
「えっ、と。どうって、どういう?」
ファルケの返答を、プリスタは気に入らなかったようだった。切れ長の目が細められ、剣呑な輝きを帯びる。
「……悔しいけれど今一番太悟に近いのは、ファルケ、あなた。仲良くしているようだし、若い男女の間にどんな過ちがあってもおかしくはない……妬ましい……!」
途中で自らの思考に囚われたらしく、ぶつぶつと何事か呟くプリスタ。
流石のファルケも、そこまで言われれば察することができた。つまりは―――男女の仲の、より深い部分の話だ。
「さあ答えなさい。内容によっては私は冷静さを欠くことになるわ」
「も、もう欠いてると思うんですけど」
ずい、とプリスタが距離を詰めてくる。
本来ならファルケが照れまくるべき場面なのだが、何せこの圧である。素直に赤面することもできない。
というか、普通にそんな突っ込んだ話(そういう意味ではなく)をしたくない。たとえ入浴中で裸であっても、そこまでオープンになるのは無理だった。
なので、ファルケは少しでもプリスタの勢いを削ぐべくささやかな反撃をすることにした。
「あの、前から思ってたんですけど……プリスタさんって太悟くんのこ」
「好きよ」
「ヒェッ……」
即答、どころかフライング。目を逸らすことすらせず、プリスタは真顔で言い放ってきた。
反撃の反撃によって、ファルケはあえなく敗北を喫した。九割方の疑惑が確信に変わっただけのことだったが、ここまで気持ちをはっきりと表明できるのは羨ましくもある。
ファルケにとっては、特に。
「彼の好きなところを数えたら両手両指に羽の一枚一枚を使っても足りないけれど……同時に心配でもあるわ」
と。プリスタはファルケから離れ、浴槽の淵に腰かけた。先ほどまでの熱に浮かされたかのような猛烈な勢いは失われ、静かに湯面を見つめている。
「太悟は、自分の身を削ることを躊躇わない。戦場で血を流し、骨を折ることを厭わない。まるで、そうしなければどこにも居場所が無いかのように」
「……それは」
息苦しい。
まるで、喉に鉛の塊を押し込まれたかのような感覚に呼吸が妨げられる。
プリスタやダンが、友人として推察するしかない太悟の事情を、ファルケはすべて知っているのだ。
かつて自分が犯し、償おうと試みている罪を。マリカを始めとした第十三支部の勇士たちが、未だに犯し続けている罪を。
そして、太悟が何を求めて―――渇望して、この世界にやって来たのかも。
「太悟が何故戦っているのか、それを無理に聞くつもりはないわ。誰にでも理由があるし、彼が話したくなってからで良いの。でも……本当なら、せめてずっと傍にいて支えたいと思ってる」
だから、あなたが妬ましい。
その一言には、千の言葉を束ねたよりもはるかに重い感情が込められていた。
「ねえ、ファルケ。あの時、太悟を支えたいと言ったあなたは……今、彼をどう思っているの?」
その問いを逸らすことも、問いから逃げることも、ファルケにはできなかった。
自分が太悟をどう思っているかなんて、とっくに気付いている。けれど、それが許されるのかは別の話だ。
太悟は仲間として自分を信頼してくれている。それ以上を望むのは、あまりにも強欲が過ぎるのではないか。
その自問が、ファルケが一線を踏み越えることを妨げていた。
「すぐに答えられないなら、まだ大丈夫なようね」
ふっ、とプリスタが笑う。沈黙をどう受け取ったか、ともかく自分に軍配が上がったと判断したらしい。
ファルケは「むっ」となった。太悟に対する後ろめたさはあるにせよ、それを理由に第三者がああだこう言うのを許す謂れはない。
故に、袖の下の(今は裸だが)切り札を使うことにした。
「……でもあたし、太悟くんと一緒の部屋で寝てるんですよねー」
「は?」
「あー、太悟くんの背中あったかいなー!」
「は???」
酷いことになった。




