つらら城の花嫁 11
古くからこの一帯では、良い温泉が出ることで有名なのだとスルロフは語った。今より世界が平和だった頃は、遠くから湯治に来る者も多かったという。
そんな理由で、かつては宿屋であったスルロフの家の地下には立派な浴場が設けられていた。
一面に貼られた、薄灰色の清潔なタイル。岩をくり貫いて作られたつるりとした浴槽は、一度に十人は入れそうだ。
湯気に包まれた空間の中、腰にタオルを巻いた太悟は、大きく息を吸い込んだ。温かな空気と独特の匂いが、鼻孔を通って肺に滑り込んでくる。
じんとする懐かしさが胸の内に湧いてきた。
(そういえば、まともにお風呂に入るのひさしぶりだな)
神殿にある浴場は、太悟は利用が禁じられている。マリカが言うには、お前が浸かった湯に触れるなんて考えたくもない、だとか。
だからと言って掃除も自分たちで済ませるというわけではないのだから、なんとも都合の良い嫌悪感だ。嫌いな奴から施しは受けないというところまでいけば、まだ尊敬のしようもあるのだが。
「おおい太悟! ほれ、背中を流すからこっちに来い!」
と、そんな風に現実逃避しても、洗い場で意気揚々と手を振る赤毛のゴリラは消えなかった。その正体は友人のダン・ブライトだが、実際のところ彼はギリシャ神話の英雄も讃えるような美丈夫であり、ゴリラの中でも特に素晴らしいゴリラである。
故に人間として何も問題は無いのだが、傍にいると自分が惨めに思えてくる太悟としては、出来れば五メートルほど離れていて欲しいというのが本音だ。
もちろん、離れようとすれば猛牛の勢いで距離を詰めてくるのがダンという男なので、太悟はもう観念しつつあった。
「まったく、よくそんなに呑気にしてられるな……」
そう零しつつ、太悟は洗い場にある木製の風呂椅子に座った。
ひとまず魔物たちの襲撃は退けたものの、まだ何も解決はしていないのだ。スノーガルーとアイシュタインは取り逃がし、つらら城に潜むというドラクスリートとやらの面さえ拝んではいない。
ファルケの件についても未解決とくれば、心からくつろごうという気にはなれなかった。
そんな太悟に、ダンがわははと背後から笑いかけてくる。
「それでもな、ずっと気を張っていてはもたんぞ! 先がわからぬ状況なら、休める時に休むのも任務の内だ!」
「そりゃ、そうだけど……痛い痛い背中削れる背中」
ダンは、洗体にも全力を尽くす男だった。それから、太悟がダンの背中を洗い返し、二人で湯船に浸かる。
雪国の寒さに凍えた体に、柔らかな温かさが染み渡ってゆく。久々に浸かるたっぷりの湯(しかも温泉だ!)は格別だった。
手足を伸ばし、力を抜いて、浮遊感に心身を委ねる。心地よさに、太悟は大きく息を吐く。
(まあ、ダンの言う通りか)
結局、いくら考えてみてもわからないことはわからないのだ。悩み過ぎて疲弊するのも馬鹿らしい。
今は少し前向きになって、純粋に湯を楽しむべきだろう。
「うむ、温泉とは良い物だな! なんとも良い気持ちだ!!」
「ダン、声でかい。温泉が良いのは、そうだね……」
逞しい胸から下を湯の中に沈め、がははと笑うダン。その燃えるような目が、太悟を見る。
「ところで、太悟よ」
「うん?」
「どうだ、その、なんだ……ファルケとは」
ダンには珍しく、はっきりとしない物言いに、太悟は首を傾げた。
「どうって?」
純粋な疑問にそう返せば、ダンはばつが悪そうに後ろ頭を掻いて、
「つまり、あれだ。男と……女として、だ」
一瞬、太悟の思考が停止した。そして、目の前の友人が何を言ったのかを脳が理解してから、跳ねるように立ち上がった。
「ななななな、何言い出すんだこの野郎ーッ!?」
「うむ。その様子なら、しっかりと彼女を意識しているようだな!」
「あーやだやだ! これだから、同じコマに一緒にいたらすぐカップリングするタイプの人種は!」
真っ赤な顔で、太悟は頭をぶんぶん横に振る。
ファルケのことを、異性として意識したことが無いと言ったなら、それは閻魔が激怒して舌を引っこ抜いてくるような嘘だ。けれどそれを認めてしまうと、勇士として戦ってくれる彼女の献身への裏切りになるような気がして、太悟は自分の気持ちから目を逸らして来た。
それを無理やり暴かれたなら、もう戦争しかない。もしダンが友達でなかったら素手でも踊りかかっていたところだ。
「落ち着け、太悟。お前のその感情は健全なものだ。決して恥ずかしがったり、後ろめたく思う必要はないぞ」
わははと笑うダンを、太悟は睨みつける。
「そんなこと言ったって……!!」
それから、溜息をつき、再び湯に浸かる。体を丸め、顎のところまで沈めて。
「……そんなこと言ったって、ファルケがどう思ってるかわからないだろ……」
彼女に嫌われているとは、太悟も思ってはいない。間違いなく、好意は持たれているだろう。
戦いの中で培ってきた絆は、たしかにあるはずだ。
だがその中に、勇士が勇者に向ける信頼以外の何かがあるのだろうか。頼れる戦友以上の感情が、そこに含まれているのか。
太悟には、判別が出来ない。愛に様々な形があることは知っていても、それぞれがどのような形状なのかを知らなければ、意味がない。
当人に聞いて確かめる、その勇気も無かった。もしも、それでファルケが離れてしまったら―――その時彼女が浮かべるかもしれない表情に、太悟は胸の苦しさを覚えた。
想像でさえ、今まで受けたどんな傷よりも耐え難い。
「差し出がましいことを言ってしまったが、こんな時代なのだ。後悔だけはせんようにな」
すっかり落ち込んだ太悟の肩を、落ち込ませた張本人が優しく叩いてくる。
ダンの言うことは何時だって一理も二理もあるが、淡い気持ちに手を突っ込まれた今回ばかりは、易々と軍門に下るわけにはいかない。
太悟は反撃の刃を抜く決心をした。
「……ていうか、そういうダンはどうなんだよ。故郷の婚約者さんとは」
「ぬっ」
「ちゃんと、帰って会いに行ったりしてるんだよな?」
太悟がそう追及すると、ダンはあせあせと目を泳がせる。
「そっ、それはだな! 忙しくてなかなか……て、手紙は毎月送っているぞ!!」
「手紙だけじゃダメに決まってんじゃん! ていうか、転送すれば故郷まで一瞬だろ! なーにが後悔しないようにだよ人のことばっか言いやがって!!」
「い、いやあ。彼女も、怒るとそれはそれは怖くてな? 怪我などしてると叱られるので……」
わいわい、ばしゃばしゃと湯をかけ合い。男二人の、短い安息の時間は過ぎて行った。
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