つらら城の花嫁 8
正拳突きの要領で繰り出された氷槌を、太悟は前転してやり過ごした。
大質量の凶器が頭上を通過し、その先にあった家の壁を紙細工のように粉砕する。
「気軽に何でもぶっ壊しやがって!」
太悟は唸る。いくら被害を抑えたくとも、街中で戦えばそうはいかない。
好き勝手に何でも壊していい魔物から、家や財産を守り切るのは、ほとんど不可能と言ってもいい。
壁の穴に愕然とする住民を増やさないためにも、アイシュタインにはさっさと退場してもらわなければならない。力はあるようだが、機敏さはどうか。
「殺戮暴風圏!!」
魔物の後ろに回った太悟は、その背中に魔法を放つ。歩く凍死体の反応は見た目通りに鈍く、ようやく振り返った頃には、旋刃の群れが直撃していた。
だが、太悟が期待していた結果はもたらされなかった。
「―――げっ!?」
思わず太悟は目を剥いた。魔法の旋刃は、たしかにアイシュタインの背中の各所に食い込んでいた。
だが、それ以上進まない。骨を断つことができない。
高速回転していた旋刃の群れは、やがて諦めたかのように停止し、消えていった。
青白い巨体に残された傷口は、すぐさま氷で覆われ、塞がれる。
余裕たっぷりに振り返り、裏拳を放ってくるアイシュタイン。太悟は後ろに跳ぶ。
「固くてパワーもある奴か、めんどくさい!」
深手を負わせようと攻撃に傾倒すれば、一発逆転の反撃をくらう危険がある。シンプルに厄介な敵だ。
「ウゥ……。チョコマカ、ト……!」
アイシュタインが左手を振りかぶる。その魔物がいくら大柄で腕が長くとも、打撃が届かない程度の距離が両者の間にあった。
故に、太悟は身構える。相手が無駄なことをする馬鹿だと油断するほど、馬鹿なことはない。
そして、その考えは正しかった。魔物の左手、その指と指の間に、氷で作られた三挺の手斧が精製されたからだ。
「なるほどね!!」
太悟は瞬時に地に伏せた。直後、首、胸、腹があった空間を、投擲された手斧が通りすぎてゆく。
図体ばかりではなく、こうした小技も持ち合わせているらしい。
太悟は乾いた唇を舐めながら、アイシュタインに対する評価を上げた。思っていた以上に危険という意味だが。
とはいえ、危ないのはツギハギの巨漢だけではない。音も無く忍び寄り、剣の切っ先を下にして屋根の上から飛び降りてくるボーレアスたちもそうだ。
こちらの隙を窺っていたのだろうが………
「舐めるなよ」
地に這っているといって、無力と思うのは大間違いだ。太悟の背部を覆う装甲から、何本もの棘が伸長。
ボーレアスたちを針地獄よろしく串刺しにする。背中を守る誰かがいない時の戦いを、太悟はまだ忘れてはいない。
そんな彼であっても、複数を相手にしてすべて順調とはいかなかった。
地面を削りながら、目の前に迫る氷槌。手下に合わせて、アイシュタインも仕掛けてきていたのだ。
太悟は慌てて体を起こし、棘を自切。カトリーナの柄にて、下からすくい上げるような一撃を受ける。
「ぐうっ!!」
柄から伝わってくる衝撃に、太悟は奥歯を噛み締めた。体が浮き上がり、後退を余儀なくされる。
重い攻撃に痺れる腕。ドライランドの砂岩兵を凌ぐ力だ。
コロナスパルトイで強化を重ねれば丁々発止殴り合えるだろうが、この違和感のある状況で無駄に消耗したくはない。
「ロックスマッシュ!」
その時。鏃があるべき先端が岩の拳になった矢が、アイシュタインの後頭部に直撃した。
「ゴッ……!?」
不意を打たれ、巨体が揺らぐ。その背後、屋根の上に立つファルケ。
強引に移動させられた太悟を追ってきてくれたようだ。
「太悟くん、おまたせ! すごい運ばれ方してたけど大丈夫!?」
「もげるかと思ったけど、なんとか……ありがとう、ファルケ」
一人でも戦えるが、一人じゃないことは心強い。相棒の到着に安堵しながら、太悟はちらりとアイシュタインに目をやった。
後頭部を強かに殴り付けられた巨漢の魔物は、首を捻り、どうやらファルケを睨み付けたようだった。
そして、それで終わりである。すぐに太悟に向き直り、猛然と掴みかかってくる。
「ウゥ、ウォーッ!」
「何なんだよもう!」
アイシュタインの攻撃をかわしながら、太悟はぼやいた。どうやら、今回の魔物たちはファルケを無視することに決めたらしい。剣で刺そうとしてきたり、氷の塊で殴ろうとするのとどちらがいじめになるのかは悩ましいところだ。
「ちょ、ちょっとー! こっち向いてってばー!!」
援護のために気を引こうとしているファルケが、どこにまだこんなにいたのか、ボーレアスの群れに囲まれる。
危害を加えるつもりは無いようだが、逃がすつもりもないようだ。
「ど、どいてよぉ! もー、邪魔しないで!」
ファルケが撃つ矢を受けて、ボーレアスが消える。が、空いた穴はすぐに別の個体が埋めてしまう。
分断された太悟を見下ろして、アイシュタインが鉄仮面の内側で笑声のようなものを漏らす。
「グ、ゥウ、フフ。ヒ、ヒトリボッチ。コゴエテ、シヌ」
嘲りである。哀れにも仲間から助けてもらえない勇者は、惨めに一人で死ぬのだと。
太悟は控えめに言って、カチンと来た。カトリーナの石突で叩かれた石畳が、がり、と音を鳴らす。
「調子に乗るなよ、でくの坊が」
アイシュタインが足を前に振り出し、左腕を後ろに引く。太悟は腰のポーチに手を伸ばした。
正面から丁々発止やり合うだけが戦闘ではない。引き抜いた小瓶を、少し間をおいて―――アイシュタインにも見えるように―――手の中で弄ぶ。
それから、緩慢とも言える準備動作の後、小瓶を投擲。アイシュタインは、左腕の氷槌で難なくそれを叩き砕いた。
つまり、太悟の狙い通りに。
「……!? ウゥ……ッ」
小瓶を砕いたその姿勢のまま、アイシュタインが硬直する。
太悟が投げつけたのはグルーポーションだ。機敏でなく、頑丈さに自信のあるこの魔物なら、いちいち避けはしないだろう、と。
左腕を中心に、飛び散った薬液を体のあちこちに浴びたアイシュタインは、その動きを止めていた。
もっとも、これほどの怪力の持ち主であれば、すぐにでも動けるようになるはずだ。だがそれよりも、太悟が動く方が速い。
「腕だけ減ったんじゃ、バランス悪いよなっ」
魔物の横を、太悟がすり抜ける。同時に振り抜かれたカトリーナが、太い右足を切断した。
「ウオオッ」
大根のように転がった足が、高く積み上がった雪塊に突っ込んで埋まる。
前に倒れ込んだアイシュタイン。その右足の断面からは、早くも氷柱が伸び始めていた。
グルーポーションは、既に効力を失っている。アイシュタインは間もなく、立ち上がって戦闘を再開するだろう。
「ヘブンズレイ!」
黒い魔物たちの囲いの中から、天に向かって飛び立つ白光の矢。
それは稲妻となって、アイシュタインに降り注いだ。青白い巨体が痙攣する。
「ウガガガガッ!!!」
アイシュタインは頑丈なようだが、電撃への耐性は与えられていないようだった。立ち上がろうとしていた体が、黒煙を噴きながら地に伏せる。
太悟はその背中に乗り、旋斧カトリーナを振り上げた。
「今度は、氷の首を生やしてみな」




