つらら城の花嫁 7
戦闘の流れにより結果的に合流したダンとプリスタは、新手の対処に追われていた。何処からか聞こえてきた遠吠えがをきっかけに、黒い魔物たちに混じって襲いかかってくる、白。
狼だ。少なくとも、形状と動きは。
毛皮も、目も、口内すらも、まるで塗り潰したかのように体の全てが白いこと以外は、狼の姿をしていた。
「なんだ、こやつらは!」
ボーレアスに味方するならば、魔物の類いであろう。ダンは、狼の頭にブレイブトーチを叩き込む。
そして、手に返ってきた感触と、その結果に目を見開いた。
「雪……!?」
狼の胴を蹴り抜いたプリスタも、驚きを隠せない。
ダメージを受けた狼たちの体が、雪となって崩れてゆくのだ。血も溢れず、瘴気すら噴き上がらない。
その不可思議の正体はさておき、今重要なのは、敵が増えたという事実だった。
戦闘能力そのものは普通の狼とそう変わらないが、手足に噛みつこうと襲ってくるのは厄介で、同時にボーレアスが斬りかかって来るとさらに危険だ。
「気を付けろ、プリスタ!」
「ダンこそ、集中しなさい!」
背中合わせになって槌を振るい、青い羽根を放つ、二人の勇士。彼らを包囲する、黒と白の連合軍。
その時。
「バダヴァロト・フェール!」
ぎゅん、と鉄色の円盤が空を裂く。
その進路にいる者は、ボーレアスであれ狼であれ引き裂かれた。
瘴気と雪、結局は黒と白を纏いながら飛ぶ円盤が、大きく横に弧を描いて来た方向に戻ってゆく。
その先にいるのは、一人の男。灰色のファーコートを身に纏う、スルロフである。
「すまない、待たせたね! おかげで、みんな避難できたよ!」
革手袋をはめた手で円盤―――高速回転していたウォーピックを受け止めるやいなや、突進。さらに撃破数を稼ぐ。
その手並みは作業と呼べるほどに熟練しており、ダンが舌を巻くほどだった。
「おう、やるなスルロフ! 俺も負けてられん!」
「こんな時に張り合わないで。……それで、この狼たちはなんなの?」
しっしっ、と足を振って敵を突き放しながらするプリスタの問いは、スルロフから渋顔を引き出した。
「これは、スノーガルーという魔物が使う術だ。雪を狼に変えて、操る……!」
先の、酒に弛緩した面は何処へ消えたのか。男の瞳に宿る輝きは、氷柱のごとく冷たく鋭い。
背筋が凍える感覚に、プリスタは身を震わせた。
「ひっへへへ、さっすがスルロフちゃーん! よーくご存知だぁ」
と。軽薄な笑声とともに、三人の前に降り立つ影。
狼の頭に備わった真紅の目が、ゆるりとスルロフに向けられた。
「スノーガルー!!」
血相を変えたスルロフのウォーピックを、人狼型の魔物は容易く回避する。
鋭い先端が石畳を砕くのを楽しげに見下ろしながら、長い口で歌うように言う。
「そうさぁ。オイラたち、長い付き合いだもんなぁ? もう、マブダチって言って良いくらいなぁ」
その声音に、しかし親しげな色は無い。あるのは、悪意ある馴れ馴れしさだ。
当然、それは怒りの炎にくべられる薪にしかならない。
「誰がっ!」
振り回されるウォーピックは、しかし空を切り、雪を散らすだけだった。
なるほど、長い付き合い、というのは事実なのだろう。スノーガルーはスルロフの攻撃を見切っているようだった。
当然、ダンとプリスタも指を咥えて見ているだけではない。加勢しようとする動きを、しかしボーレアスと狼が壁となって邪魔をする。
「ひへ、遊んでくれるのは嬉しいけどよ、オイラだけに構ってて良いのかい?」
「なんだと……」
ウォーピックの柄を受け止め、長い鼻先を突き付けながら、スノーガルーが哂う。
「遊びに来てるのはオイラだけじゃねえし、遊び相手はアンタらだけじゃねえさ」
♯♯♯
どこからか聞こえてきた遠吠えに、うつ伏せになったボーレアスの背中を切り裂いていた太悟は顔を上げた。
「何だ、今の」
太悟は、兜の下で目を細めた。
近くではないが、そう離れてはいない。少なくとも、ブランマス内の何処かで、獣が吠えたのだ。
それがこの戦いに無関係であると考えるほど、太悟は呑気ではない。
「これ、狼の遠吠えだよ。森で聞いたことが……わっ!?」
小さな悲鳴。そして、どさどさと何かが落ちた音。
振り返れば、屋根の上にいたファルケが、軒下で雪に埋もれていた。
慣れない雪に覆われた足場、滑り落ちたのか。太悟がそう認識すると同時に、迫る黒い影。
いてて、と体を起こすファルケの横顔の向こうに、ボーレアスたちの姿があった。
雪国の大気よりも冷たいものが、太悟の肺を満たす。
「ファルケ……っ!」
咄嗟に絞り出した声は、動揺そのものの色をしていた。
これまで一蹴してきた通りボーレアスたちは、さして手強くはない。だがそれは、危険でないという意味ではないのだ。
特に、尻餅を突いて動きにくい状態では。
ファルケなら、対処できるかもしれない。同時に、そうではないかもしれない。
焦りに突き動かされ、太悟は走り出した。同時に、旋斧カトリーナを振り上げる。
「殺戮……!!」
走るだけでは間に合わない可能性に、太悟はカトリーナに込められた魔法を放とうとして、しかし。
「えっ」
そう声を漏らしたのは、他でもないファルケだった。それなりの窮地にあって、のんびりしていると言っていい反応には、理由があった。
接近していたボーレアスたちが、明確に隙を見せているファルケを一瞥すらせず、一直線に太悟に向かっていくのだ。
「なっ……!?」
戸惑う太悟。それでも魔法は支障なく発動し、顕現した旋刃が、魔物たちを引き裂く。
だが、そんなことはどうでもいい。また一つ増えた不可解と比べれば。
何故ボーレアスたちは、ファルケを無視したのか。すぐには戦えない状態の彼女より、より脅威度の高い太悟を優先した、という動きではない。
そもそも、最初から標的に入っていないような。そんな具合だった。
「なんだっていうんだ……」
太悟がそうぼやいた、その時。すぐ横にある家の壁が、内側から爆発した。
散弾のように飛び散る建材。それらに混じり、飛び出してきた巨大な手が、太悟の頭を掴む。
「が……っ!」
これがただの兜なら、今頃は頭もろともに握り潰されていただろう。凄まじい握力に、コロナスパルトイがみしりと軋む。
丸太のように太い腕に続き姿を現したのは、継ぎ接ぎだらけの体をした、鉄仮面の巨人。
「ドーモ! オレ、アイシュタイン!!」
くぐもった声で自己紹介をしながら、その魔物は向かいの家に突っ込んだ。太悟の頭を掴んだまま。
扉を容易く吹っ飛ばし、テーブルや椅子を撥ね飛ばし、奥の壁を突き抜けて、また次の家に。勇者を用いた家屋の解体作業は、三軒分行われた。
「ぐ、あっ!」
先ほどとは別の通りに投げ出された太悟は、痛む体を気合いで動かし、上半身を起こした。まるで嵐の中に放り込まれたかのようだったが、カトリーナの柄だけは離さなかった。
そして、木片を振り払い顔を上げた太悟の目に映ったのは―――両腕を振り上げて飛びかかって来るアイシュタインの姿。
「うおっ!」
太悟は左に転がった。直後、寸前までいた空間が轟音とともに叩き潰される。
砕けた石が飛び散り、周辺の家の窓が割れる。喰らっていれば、それはもう酷い有様になっていただろう。
太悟が肝を冷やす間も無く、自ら地面に穿ったクレーターの中から、継ぎ接ぎの巨人が出てくる。
「オレ、アイシュタインハ……ニンゲン、コワス、ダイスキ」
そう言って、アイシュタインが右手の人差し指を向けてくる。
「オマエモ、コワシテヤル」
目の前にいるのは、モンスタームービーから飛び出てきたかのような怪物。
ただの高校生なら悲鳴を上げて逃げ回っていただろうが、《孤独の勇者》狩谷太悟は違う。
立ち上がり、旋斧カトリーナを構え、兜の中で不敵に笑う。
「その腕で出来るかな?」
と、太悟がそう言った、次の瞬間。アイシュタインの右手首が、ずるりと落ちた。
「ウ……!?」
先程の攻撃を避けた時、カトリーナで斬り付けていたのだ。
巨体と、それに見合った怪力。アイシュタインは強い魔物だが、太悟にはそれ以上の強敵たちを退けてきた経験がある。不意を突かれたとはいえ、やられっぱなしでは勇者の名が泣く。
さて、一方。アイシュタインは、自身の右腕をじっと見つめていた。
いくらか戦意を喪失したのではないかと、太悟は期待していた―――右腕の断面が氷で覆われ、のみならず肥大化し、棘付きの槌を形成するまでは。
「……なるほど。あの手この手があるわけね」
そう呟く太悟に、アイシュタインが新品の右腕を振り上げて襲いかかった。




