つらら城の花嫁 5
太悟たちが転がるように外に出ると、街中は既に悲鳴で満たされていた。
つい先程まで不可解な視線を投げつけていた住民たちは、今や必死の形相で通りを逃げ回っている。彼らを追いかけるのは、漆黒の外套を纏い、鹿の頭蓋骨を首の上に載せた魔物たち。
あれらがボーレアスか。
「なんで、こんなに……どこから!?」
「考えるのは後だ」
狼狽するファルケに、太悟はコロナスパルトイの上顎を下ろしながら言った。背負っている旋斧カトリーナを抜く間も惜しんで、蔦が走り、装甲に覆われてゆく体で走り出す。
その視線の先では、母親とその幼い息子がボーレアスに襲われていた。
足を滑らせて転んだ少年を、必死に助け起こそうとする女性。そこに長剣を片手に迫る、二体の幽鬼。
「お願い、この子だけは……!」
もはや逃れることはできないと。女性は少年の上に覆い被さり、丸めた背中で死の運命を待ち受ける。
その上を、太悟は飛び越えた。振り上げた両腕は太く大きく強化され、まるで重機か竜の前肢。
「ドラゴンスラップ!!」
魔物と親子の間に、太悟が着地する。その足底が雪にめり込むと同時に、振り下ろされる両腕。
湾曲した鉤爪はボーレアスたちの頭部に一瞬食い込んだのち、そのまま体ごと叩き潰した。
竜骨の鎧と噴き上がる瘴気を纏い、ほとんど四つん這いになったその姿は、それこそ魔物のようだろう。親子が浮かべた安堵の表情が一瞬で消し飛ぶ。
「避難するんだ、はやく!!」
肥大化した両腕で押し寄せるボーレアスたちを薙ぎ倒しながら、太悟は叫んだ。こうした襲撃が、何も失われずに終わることは絶対に無い。
人は死ぬ。
簡単に死ぬのだ。
手に届いたはずの物すら、指の間からすり抜けてゆく。
左の鉤爪でボーレアスの胸をぶち抜き、右の鉤爪で首を引っこ抜きながら、太悟は母親が息子を抱えて近くの家に飛び込むのを見送った。
「シーカーショット!!」
後続のボーレアスを、緑の矢が射抜く。
海弓フォルフェクスを構え、ファルケが駆け寄ってくる。
「太悟くん、どうしよう!?」
「あっちに負けないくらい暴れるしかないな」
両腕を戻し、背中のカトリーナの柄を握りながら、太悟は不安げな相棒にそう告げた。
何にしても、魔物の数を減らさないことには始まらない。こちらが反撃すれば、街の住民を襲う手もこちらに向けられるだろう。
「太悟!」
元宿屋の前で、プリスタを伴ったダンが手を振っている。
「スルロフは住民を避難させている! 敵が多い、手分けして倒すぞ!」
「わかった! 気を付けて!」
太悟はカトリーナを振って返事をした。横目に、近付いてくるボーレアスの集団を捉えながら。
「やるぞ、ファルケ」
「うん!」
♯♯♯
勇士となる前、ダン・ブライトが所属していた太陽騎士団は、選りすぐりの精鋭を集めたサモネリア王国最強の戦闘集団である。
その栄光の狭き門を通ることができるのは、血筋や地位ではない。厳しい試練に耐え、自身が真の騎士であることを証明した者たちだけなのだ。
例え雨が降ろうと槍が降ろうと、彼らを止めることはできない。
「うおおおおおおおおっ!!」
商店が並ぶ大通りを、ダンは疾走していた。
かつて豪雨の中、泥濘を足場に走法を鍛えた彼は、道を濡らす雪に足を滑らすこともない。
大盾を前にして駆けるその姿は、地球で言うところのブルドーザーのようだ。
もちろん、相手は土砂や瓦礫ではない。進行方向にいるボーレアスたちにぶつかるたび、盾に引っ付けたまま運んでいるのだ。
横合いから飛びかかってくる者はブレイブトーチで打ち払い、突進の速度は僅かにも落とさない。
正面にいるボーレアスたちも、長剣を翳して止めようとする者、背中を見せて逃げようとする者に分かれていたが、皆同様に盾の一部となった。
「ぬぅん!!」
と、気合一閃。ダンは急停止し、団子のように固まった十数体のボーレアスを、腕の一振りで空中に投げた。
「ヴォルカンシェル!」
それらを追うように聖火槌ブレイブトーチから放たれた火球が、着弾と同時に爆発。広がる爆炎が魔物たちを一瞬にして焼き払い、後には何も残らなかった。
だが、それで終わりではない。爆音に導かれたボーレアスが、音源を目指して集まってきている。
うむ、とダンは満足げに頷いた。自分が狙われれば、それだけ住民は避難しやすくなり、太悟たちの負担も減らせるからだ。
「さあ、太陽の輝きを恐れぬならばかかってこい!」
そう言って、ダンは槌で盾を叩く。凍える雪国であろうが、彼の闘志は常に燃えている。
♯♯♯
暴風つ脚ダヌシュルドラの足刀が、一直線にボーレアスの喉へと吸い込まれる。
ずど、という音とともに分離した首と体が、家屋の屋根から滑り落ち、瘴気と化した。
「せっかく太悟と一緒の任務なのに、もう離れ離れなんて……ひどい話だわ」
細い大棟の上に立つプリスタは、深く溜息をついた。着ていた外套は、元宿屋に置いてきている。
そもそも、念のために用意しただけの物だ。故郷の村にも雪は積もるほど降ることがあるし、高く飛ぶ空の寒さに耐えられない者は、エアリア族にはいない。
「何体倒しても、次から次へと出てくるし……」
そう言っている間にも、八体のボーレアスが屋根の上に登ってくる。
住民を追いかける魔物を、プリスタはもう十数体倒していた。これが習慣化しているのなら、スルロフが酒を飲みたがる気持ちも少しはわかる。
「……まあ、いいわ。いくらでも来なさい」
その言葉に誘われたかのように、斬りかかってくるボーレアス。プリスタは回し蹴りで迎え撃つ。
結果、へし折れた長剣が宙を舞い、角と側頭部を砕かれたボーレアスが路地に転げ落ちる。
木と木の間に張られたロープの上を目を瞑りながら歩けるプリスタにとって、この程度の足場の悪さは何の障害にもならない。
プリスタは屋根の上を滑るように移動し、正面にいたボーレアスの胸を、硬化させた右翼の先端で貫いた。
黒い瘴気を振り払い、残りの六体を睨み付ける。街を襲い人々を傷付ける魔物など、生かして帰すつもりはない。
近づけば、二の舞三の舞と考えたのか。ボーレアスたちは左手を翳し、そこから冷風を放射した。
プリスタが反射的に盾にした青い翼の表面が、霜で覆われる。肌を固め、肉を凍てつかせる、殺意ある寒さ。
プリスタはそれを振り払い、舞い散った氷の粒がキラキラと光る中、不敵に笑った。
風を武器にエアリア族の戦士に立ち向かおうなど、お笑い種にもほどがある。
「ニブルツイスター!」
両翼を大きく羽ばたかせれば、生じる青い竜巻。色の正体は、混ぜられた羽根の刃。
直進する竜巻に接触したボーレアスたちが、全身を切り刻まれて消えてゆく。避けようとする者も吸い寄せられて、八体は瞬く間に瘴気に還った。
その残滓を一瞥することなく、プリスタは屋根の上から飛び立つ。この雪雲に覆われた空の下には、まだまだ彼女が殺すべき敵が蔓延っているのだ。




