つらら城の花嫁 4
屋内に入った太悟たちを迎えたのは、広い食堂だった。
横長のテーブルと椅子が複数並び、奥にはキッチンが見える。明らかに家庭用の設備ではなく、この建物はやはり宿屋の類いだったのだろう。
壁際にはストーブがあり、外気で冷え切った体を暖めてくれる。物珍しさに加えて、骨まで凍えるほど雪遊びを堪能していたファルケは、「何これあったかーい!!」と真っ先に飛び付いていた。
「さあ、楽にしてくれ。おおい、キオ!」
スルロフが声をかけると、奥から一人の少女が姿を表した。
ファーコートの巨漢と同じ白い髪をしたその娘もまた、太悟たちと目を合わせようとはしない。
エプロンをした小柄な影が厨房の中に消え、すぐに四つのカップを乗せた盆を持って出てくる。
「……どうぞ」
三卓あるテーブルの内の一つにカップが淡々と並べられ、太悟たちは席に着いた。
湯気を立てる陶器製の容器。中身は黒く香ばしい焦豆茶―――地球で言うところのコーヒーだ。
味も香りも似ており、滋養強壮に良いとされている。
「妹のキオだ、よろしく。難しい年ごろでね、失礼があったらすまない!」
そそくさと去ってゆく少女の背中を見送って、スルロフが言う。彼の分の茶が無いなと太悟は思ったが、その手にある酒瓶が答えだと悟った。
かなり強い酒らしく、離れていてもアルコールの臭いが鼻腔を焼く。未成年の太悟には辛いぐらいで、ファルケも顔をしかめていた。
「あなた……お酒を手放せないの? 私たちは宴会に呼ばれた記憶はないのだけれど」
プリスタにじろりと睨まれ、しかしスルロフは破顔した。
「お茶代わりだと思ってくれるとありがたいね! 俺はどうにも、こいつじゃないといけないんだ」
そう言って、酒瓶に口を付けてぐびり。かなりの量が、スルロフの喉を通過したようだった。
太悟はあまり酒に詳しくはないが、それが体に良い飲み方でないことくらいはわかる。
だが、それを指摘するのは憚られた。スルロフがあまりにも堂々としているからかもしれない。
あるいは……酔いに飲み込まれぬ何かを、男の目の中に見つけたからか。
仕方なく、太悟は茶を一口飲む。ファルケはカップの中身にふうふう息を吹きかけながら、おそるおそる口を付けていた。
ダンは一息に飲み干し、プリスタは音を立てず少しずつ啜っている。
「さて、君たちも飲みながらでいいから聞いてくれ。今、この街がおかれている状況について説明しよう」
と、スルロフが口元を拭いながら言う。すべては一年前、この街の近くにつらら城が出現してから始まったのだと。
「それまでは、周囲に時々現れる魔物を倒すだけでよかったんだ。他所と比べれば平和とすら言えただろうね」
スルロフが苦笑いを浮かべる。喋る間にも、いちいち酒瓶を傾けていた。
つらら城の出現以降、それまで見たことも無い魔物が出てくるようになったという。それも、大量に。
ボーレアス。亡霊のような姿の魔物たちは、積極的に街に侵入しては、手当たり次第に物を破壊し、人々の命を奪っていく。
その原因がつらら城であることは明白だった。スルロフは十分な準備をし、仲間たちとともに城へと乗り込んだのだという。
「だが……そこにいた、つらら城の主……ドラクスリートに、我々は敗北した」
ぶるり。スルロフが身震いをした。その目には、当時の恐怖と屈辱の感情がありありと浮かんでいた。
つい一瞬前まで、アルコールの助けを借りて纏っていた陽気さは、嘘のように消え去っていた。
《氷魔戦騎》の名を持つ魔物の力は想像をはるかに超えて強く、スルロフは何一つ成せぬまま撤退を余儀なくされた。
現在は、ボーレアスたちの襲撃をどうにか防ぐに留まり、城への攻撃に転じられる状況ではない。それが、ここ一年の間の出来事であった。
(……スルロフだけが、逃げられたってことは)
太悟は目を細め、苦々しさを飲み込んだ。
二つ名を持つ魔物の恐ろしさは、カピターンで身に染みている。共につらら城に乗り込んだという他の仲間たちの末路は、聞くまでも無いだろう。
酒に慰めを求めたのも無理はない。素面では、もはや生きていることすら辛いのかもしれない。
「すまん、一つ聞きたいのだが」
と、手を挙げたのはダンだった。
「俺は、この地には既に救援の勇士が送られていると聞いていた。彼らはどうしたのだ?」
そういえば、と太悟は呟いた。その隣では、ファルケがようやく(彼女なりの)適温になったお茶をちびちび飲んでいた。
事前に与えられた情報では、ブランマスを守る勇士たちに犠牲者が多く出ており、戦力の補充が必要とのことであった。といって、さすがに全滅寸前までは言っていないだろうと思っていたが、蓋を開けてみれば出てきた勇士はスルロフのみ。
他にもいるのなら、とっくに紹介されているか、少なくとも言及くらいはされているだろう。建物の中は静かで、他に人がいる気配もしない。
話を聞いた限りでは、つらら城に攻撃を仕掛けたのは一度だけ。その時に常駐していた勇士が倒されたとして、以降に来た者たちは何処に。
「えっと、そのボーレアスって魔物たちがすごく強いとか? あ、それともドラクスリートも一緒に街を襲ってくる……?」
カップの中身をようやく三分の一まで減らして、ファルケが発言する。
スルロフは首を横に振った。
「ドラクスリートの他にも、奴の配下に手強い魔物たちがいるんだ。どうにか追い返してはいるが、犠牲が絶えない。悔しいことにね」
溜息をついて、酒瓶に口を付けるスルロフ。そして、どれだけ傾けようが一滴も舌の上に落ちてこないことに気付き、また溜息。
「思ってたより……すごい状況だな」
太悟は顔をしかめた。
救援要請が来るような場所はどこも当たり前に危険だが、この街は屈指と言えるだろう。
そこでただ一人生き残って戦い続けているスルロフには、尊敬の念を禁じえない。たとえ酒浸りだとしても。
「はっきりひどいと言ってくれても良いんだぜ」
空の酒瓶をテーブルの上に置いて、スルロフが薄く笑う。
「街の住人で見張りを立てて、魔物たちが襲ってきたら鐘を鳴らすようにしている。それまでは、ゆっくりして―――」
その時。カンカンカン、と。
外から聞こえてきたのは、まさしく戦いの始まりを告げる鐘の音だった。




