つらら城の花嫁 3
薄暗い雪雲の下に佇む、人間が言うところのつらら城。
周囲の積雪に靴跡は無く、そこに近づく者のいないことを示していた。
だが、城である以上、その主は存在する。人の寄らぬ魔の領域に、ふさわしい主が。
つらら城、謁見の間。
外装と同じく氷によって構成された空間の大半を埋めているのは、何百体もの魔物たちだ。
角の生えた鹿の頭蓋骨を頭部とし、裾の擦りきれた黒い外套を纏う戦士、ボーレアス。
しかし、彼らはこの城の主ではない。その証拠に、皆一様にひざまずき、恭しく頭を垂れている。
謁見の間の最奥には、玉座があった。
そこで、肘掛けに頬杖を突き、堂々とした居住まいをしている一体の魔物。
その姿は、邪悪な生命を与えられた氷像のような姿をしていた。
体表を覆う鎧の各所から伸びる、鋭い鉤爪。
顔の半分を占めるのは、翼を広げる蝙蝠を模した仮面。
研磨したダイヤモンドをはめ込んだかのような菱形の目と、ずらりと牙の並ぶ口元は、悪魔の形相。
その名は、ドラクスリート。
魔王により《氷魔戦騎》の称号を与えられた魔物である。
「して、チルウィッチよ。この地に新たな勇士たちが来たようだが」
厳しい北風のような、凍える声に応じたのは、玉座の傍に侍っている女だ。
魔女と呼ばれるにふさわしく、アイスブルーのガウンと、鍔の広い三角帽子を身に着けている。
病的なまでに白い肌は化粧によるものではなく、その身に温かな血など流れていないことを示している。
蛇めいた縦長の瞳孔は、魔物らしい残酷さを湛えていた。
「はい、我が君。男と女が二人ずつでございます」
チルウィッチの返答に、ドラクスリートが唸る。
「女は二人、か。ともかく、品定めしなければ始まらんな」
氷の鎧に包まれた指が、尖った顎を撫でる。
むき出しの牙が並んだ口元は、食いしばった形のまま動かない。
「俺が気に入る者がいることを願おう。見せるがよい」
主の命に首肯したチルウィッチは、両手を虚空に差し伸べた。
瞬間、ドラクスリートの前に、六角形をした巨大な鏡が出現する。
それはしばし魔物の顔を映していたが、やがて鏡面が歪み、別の場所の情景が浮かび上がった。
雪の積もった丘を下る、人間の姿。大きな鉄槌を担いだ鎧騎士。
「こいつは、《太陽騎士》か。大物が出てきたな。だが、男に用はない。次」
ドラクスリートが鏡面を撫でる。
映し出されたのは、竜骨の兜を身に着けた少年。
「ほほう! 《孤独の勇者》のお出ましだ! しかし男ではな。次」
青い髪と翼を持つ、エアリア族の女性。
「《渡り鳥》……まあ、悪くはない。キープだな。最後の一人はどうだ?」
つまらなさそうに溜め息をつくドラクスリート。
そして、最後の一人の顔を見て――――席を立ち、鏡に掴みかかった。
「ド、ドラクスリート様!? 何か、お気に召されませんでしたか!?」
様子のおかしい主人に狼狽えるチルウィッチに目も向けず。
ドラクスリートは、わなわなと震えていた。
「見つけた」
「はい?」
チルウィッチの声は裏返っていた。
この《氷魔戦騎》の名を持つ魔物が、こんなにも興奮している姿など、彼女は今まで一度も見たことがなかったのだ。
「ついに見つけたぞ、我が嫁!!」
鏡を叩き割り、ドラクスリートが叫ぶ。
チルウィッチは目を見開いた。
「おお、では……ついに巡り合われたのですね!」
「こうしてはいられんっ!」
床の上に散らばった鏡の破片が踏み砕かれる。
そのばりばりという音が聞こえないほど、ドラクスリートは声を張り上げた。
「スノーガルー!!」
玉座の後ろから、のそりと這い出てくる影があった。
針金のように固く鋭い、白銀の毛皮。狼の頭部と尾、人型の体と四肢を持つ、半獣半人の魔物。
真紅の目が、雪原に垂れた血の雫めいて不気味。
「ひへへへ……お呼びですかい、ボス」
スノーガルーが、牙を剥き出しにして笑う。
「アイシュタイン!!」
玉座の左右に立つ太い柱。
その後ろから、ずしりと重い足音とともに現れる巨体。丸太のような両腕に引っ張られるように曲がった背中。
凍死体と雪男をばらばらにしてから混ぜて、糸で縫い合わせ鋲を打ち込んで一人分の体に作り直したならば、このような姿になるのか。
「ウ、ウゥー……」
顔を覆う無骨な鉄仮面の下から漏れるそのうなり声は、聞いた者の背筋を凍らせるだろう。
ここに揃った四体――ドラクスリート、チルウィッチ、スノーガルー、アイシュタインこそが、つらら城の中核となる魔物たちであった。
「お前たち、話は聞いていたな? 我が嫁を迎える時がやって来たのだ!」
歓声が上がる。ひざまずいていたボーレアスたちが立ち上がり、一斉に拍手をする。
気分を良くしたドラクスリートは、三体の幹部に指示を飛ばす。
「チルウィッチ、支度をしろ。決して足りぬものがないように。スノーガルー、アイシュタイン、お前たちはいつも通りやれ……ああ、だが俺より先に嫁に触れたら殺す。よいな?」
「承知いたしました」
チルウィッチがゆらりと腰を折り、頭を下げる。
「ひひ、行くぜデクの棒」
「ウウ……オレ、アバレル……」
スノーガルーに背中を叩かれ、アイシュタインが両腕を振り上げる。
ボーレアスたちは踵を返し、一糸乱れぬ動きで謁見の間から走り去ってゆく。
部下たちがそれぞれの仕事に取りかかるのを見送って、ドラクスリートはおもむろに胸の装甲を指で撫でた。
そこには、クレヴァスめいて深く横に切り裂かれた傷が刻まれていた。




