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捨て悪役令嬢は怪物にお伽噺を語る  作者: 秋澤 えで
番外編

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お伽噺が現実に変わる日 Ⅲ

 そこは、穏やかな国だった。

 荒野を越え、西へ西へと進んだ先にある国。気候はラクスボルンに比較的似ていて、過ごしやすい。国土は広大で私たちが移り住んだ場所はとてものどかな街だった。王都からは距離があるが、僻地というほどでもなく、屋敷から外へ出れば住民たちが皆朗らかに笑い合う姿が見える。

 春には惜しげもなく花が咲き、夏には枝葉が強い日を遮る。秋には実り多く、冬には微かに雪が降る。


 初めて雪が降るさまを見てから3年が経った。

 妹が怪物に食い殺されて、3年が経った。

 私が何もできず、ただ逃げてから、3年経った。


 3年も経ても様々なことが変わる。


 爵位も身分も捨てて逃げてきたが、元よりある資産を元手に事業を始め、それがようやく軌道に乗り、落ち着いてきた。学問というものは努力を裏切らず、誰かに奪われることもない。もともと商売などしたことはなかったが、理論と人心掌握さえできればそれなりにはうまくいくものだ。

 街では他国から来た余所者という扱いだったが、既に馴染み、街に住む人々とも交流している。貴族と平民では人種が違うと思っていたが、違った。私も彼らも同じ人であった。何も変わらない。自慢の王家の血を引く血など、全くもって無意味で、王城で会って来た人々よりもよほど優れた人間とて市井にはいる。


 想像よりも穏やかで、順風満帆だった。多少の努力を惜しまなければ満足に生活はできる。もとよりこだわりもない性格のため、何かに不自由していると感じることもなかった。

 慎ましやかな平穏を享受する。そういう意味ではラクスボルンにいた頃よりもいい暮らしができていると言えるかもしれない。


 誰もいない街道を遠目に眺める。

 あの街道もつい1年ほど前はごった返していた。難民だ。

 私たちはラクスボルンから逃れた。けれど隣国ともあらば噂話はいくらでも耳に入る。王太子の新しい婚約者の話、異様に流行したお伽噺。そしてダーゲンヘルムに滅ぼされたという、噂。


 また、お伽噺だ。

 お伽噺の中から、怪物が這い出してきて、ラクスボルンを食い潰した。

 あるわけがないと思い続けてきた。しかし、あふれ出てくる難民、風の声に、どうやら本当に怪物はいたらしいと思うようになっていた。


 少しだけ、軽くなる心に、反吐が出る。

 あの夜、怪物のいる森へ行かなかったことは正解なのだと。そう僅かでも思ってしまうことが、あまりに悍ましい。


 父は、屋敷から妹の物を持ち出すことを許さなかった。何もかも、屋敷へ置いていくように。彼女のかけらを持ち続けることを許さないように。あの部屋は、主人を失った日のまま、ただ残されている。妹がいたという証も持たない私たちは、いずれ、彼女のことを忘れるのだろう。否、忘れるために、何も持ち出さなかったのだろう。救えなかった、見捨てたその罪を、忘れるために。


 鍵のかかった引き出しを撫でる。

 ただ一つ、私が持ち出したもの。緑色のリボンの髪留め。彼女がいた証であり、自分の罪を忘れないように、誰にも知られることなく、しまい込んでいた。

 どれだけ今の生活が穏やかであろうと、満たされていいようと、私だけは決して忘れてはいけない。

 たとえラクスボルンという国がなくなり、母国も屋敷も思い出も、何もかもなくなったとしても。



 それはきっと、思い付きだった。

 事業が軌道に乗るとともに、父は私に家を譲ると言った。もはや公爵ではないビーベル家においては、当主の交代など誰も気にしない。事業の主体も自身に変更され、家督も継ぎ、あらゆる資産の所有者の変更も行った。

 父は老いた。特にラクスボルンを出てからは。事業が軌道に乗ったのも、父の手腕によるものが大きかった。寝る間も惜しみ事業を拡大し、資産を増やし、顔を広げた。言わずともわかる。もう疲れたのだろう。家を守ることも、事業を続けることも。築き上げたものが一瞬にして泡と化す光景を目の当たりにすれば、誰だって心が折れる。いつ終わるかわからないという事実は、あまりに人の心を疲弊させる。

 当主になってもこれと言ったメリットがあるわけではない。私がするべきことは変わらない。ただ所有権が移動しただけ。

だが一つだけ、行使できることがあった。もはや家の誰にも、私に文句は言わせない。



「一つだけ、我儘を言わせてもらいたい」



 努力しよう、家族も守ろう、血を守ろう、事業を守ろう。

 当主に相応しく振舞い、勤勉で清廉であろう。

 期待には応える。だが時に、気ままに振舞うことを許してくれ。





 街はまるで、模型のようだった。

 打ち捨てられ、住民を失った王都はかつての煌びやかさを微かに残したまま、ただそこにあった。行き交う馬車も人もいない。活気のある呼び声も、子供のはしゃぐ音もしない。

 街は死んでいた。綺麗な死体を残したまま。

 誰もいない道を歩く。風の音と自分の足音しか聞こえなかった。


 ラクスボルン。

 ダーゲンヘルムの怪物に食い潰された街。


 美しい景色から人だけを消し去ったような街並みはいっそ最初から観賞用の模型やモデルのように見える。

 本当に奇妙という他なかった。

 戦争が、争いがあったというならその都は落ちるに相応しい様相をしていそうなのに、王都には破壊や暴力の形跡がない。ただ打ち捨てられているように見える。むしろ、人喰いの怪物に襲われた国、を表すのであればいっそ相応しいようにすら思えた。



「……ダーゲンヘルムの怪物は、人だけを食べるのか」



 無駄に建物を壊すでもなく、ただ人だけを食らう。

 金にも地位にも興味を示さない。ただ人を食らうその姿はなるほど怪物らしかった。



「ここで何をしている」



 誰もいないはずの街から声がした。

 ゆっくりと振り返ると黒い服の若い男がいた。

 見覚えはない。年は自分の同じか下くらいに見える。

 帽子の下の目は不審者を見る目ではなく、ただ好奇心に輝いていた。



「もう誰もいなくなったと思ったのだが。まだ住民がいたのか」

「……いいや、住民ではない。数年前に、国を出た。……そしてその国が滅んだと耳にして、見に来たんだ」

「ほう、律儀なことだ。それで、どう思った、この国を」



 初対面だというのに少しの躊躇も見せずに流暢に喋る男に苦笑するとともに、少し安心した。おそらく、この男は私が誰かを知らない。ただただ人のいないはずの街にいる男に声をかけている。それだけなのだ。

 今の私は公爵ではない。貴族でもなければラクスボルン国民ですらない。ただの故郷を懐かしむだけの男に過ぎない。



「綺麗なものだな、と」

「綺麗?」

「ああ、まるで人だけがいなくなったようだ」

「ほう。お前にとっては人とは汚いものだったのか」



 子供のような揚げ足を取る男だと吹き出す。



「そう意味ではない。ダーゲンヘルムの怪物に食い荒らされたにしては、随分と綺麗だ、と。そして何より人は、最初から美しくなどはないさ」

「なるほど?」



 わかったかわかっていないのかはっきりとしない納得にも似た言葉を吐き、首をかしげる男。年のころは不明だが、仕草は随分と幼かった。



「どこへ行く?」

「……昔、住んでいた屋敷に。荒らされているような気もするが、」



 そこでなぜか言葉が詰まった。

 荒らされているのは当然なのだ。

 国が衰退して、人々が逃げ出すような状況。ならば当然、火事場泥棒とているだろう。

 特にビーベル家は真っ先に逃げ出した家だ。そのうえ末子は国外追放されている曰く付き。妹を無責任に誹謗する輩や公爵家の財産を狙った盗人、考えるだけでいくつも挙げられる。

 それでも、かつて住んだ、生まれ育ったあの家が無関係な人間によって荒らされていると思うと、ひどく動揺した。長らく、蹂躙される側に回ったことはなく、蹂躙されるかもしれないと考えたことすらなかった。今は不可侵の身分ではない。そうだとしても、打ち捨て残していったものに、気を回す者もいないだろう。



「どうかしたか」

「……いや、生家の屋敷の状態を思うと、少し堪える。おそらく、荒らされているのだろう」



 父は非情にも妹を切り捨てる決断をした。しかし父は、最後まで屋敷を手放さなかった。屋敷も土地も、うちの所有物のままで売り払っていない。そして彼女の暮らしていた部屋もまた、手を付けずそのままにした。誰も帰らない部屋の日常を保った。

 父は敢えてはなにも語らなかった。けれどきっと思うところはあったのだ。だからこそ、屋敷を処分しないという非合理的な決断をしたのだ。


 誰のためでもない、ただの自己満足だ。 

 共有することもなければ、口にすることはない。

 ああ、家族だからか、こういうところばかり似てしまう。



「そうか。まあどこもそんなものだ。行こう。あんたの家はどこだ」



 眉一つ動かさない男は慣れない慰めの言葉を一言だけ口にするとあっけらかんと私に駆け寄った。



「私はラクスボルンの出身ではない。よければここを案内してくれないか」

「……観光、にしては趣味が悪くないか」

「怪物に滅ぼされた街を歩くなど、そう体験できないだろう」



 なおさら趣味が悪い、と眉を顰めるがどこか違和感があった。

 その口元は愉快そうに弧を描いているのに、眼差しはあまりにも静かだった。意図的に浅慮な者を演じているように見える。ラクスボルンにいた頃、そういった貴族はいないでもなかった。しかし今となっては自分に対してそのような態度を取る人間などいるはずもない。今の私はただの没落しきった平民だ。擦り寄るにも、騙すにも向いていない。何よりその顔には微塵も覚えがなかった。



「……案内は、しない。私は行く先が決まっている。家の者にも無理を言って帰ってきている。寄り道などはしない」

「ほう、ならばあんたの屋敷まで付いていこうかな」



 明確な拒絶だというのに、気にした素振りもなく図々しくついて来ようとする男に思わず言葉を失う。今まで会ったことのない人種だ。その表情は読めず、考えを張り巡らせているようにも、何も考えていないようにも見える。

 既に、私に怒るという力は失われている。せいぜい呆れてため息を吐くのが関の山だ。



「……好きにしろ」

「感謝する」



 私が背を向けて歩き出すと、男もそれに続く。軽い二人分の足音が誰もない街に響いた。





 あの建物はよくやり取りをしていた伯爵家の屋敷だった。あの場所は銀行屋が構えていた。あの店は人気のブティックだった。思っていた以上に街並みの記憶があり、今は誰もいなくなりうらぶれるばかりの建物とかつての記憶を照らし合わせる。ただそれはあくまでも記憶しているというだけで、思っていた以上になんの感慨もなかった。

 ふと、街道沿いの川を覗き込む。よく整備されていた川だったが、今は端々から名も知らぬ草が茂り、小さな花を咲かせている。たとえ人がいなくなり、城が、建物、街がなくなったとしても、この川はきっと残り続けるのだろう、夢想した。街の中に川があるのではなく、川沿いに街ができたのだ。お行儀よく整えられた景観こそ、不自然だったのだろう。

 ただそう思うにはまだまだ知識が足りない気がした。



「竜胆だ」

「……は、」

「知りたそうな顔をしていた」



 違ったか。不思議そうに首をかしげる男は先ほどよりも幼く見えた。ただそれよりも。何を考えているかわわからない、鉄面皮と称されることの多い自分の心を、見透かすように花の名を口にした男に純粋に驚いていた。



「青紫の花を咲かせ、湖やため池周辺に生える。薬にも使われる」

「詳しいんだな」

「まさか。この程度の知識しかない素人だ」

「仕事で使うというものではないのか」

「気になるから知りたかった。知りたいから調べた。それだけさ」



 知りたいから、と行動に移すことのできるこの男が少しだけ眩しかった。

 最近、自分がものを知らないという事実に気がついた。しかしものを知らぬということを嘲笑するだけで、多忙であることを言い訳に学ぼうとすることはなかった。

 私は鳥の名も花の名も知らない。



「……私は、知らないことばかりだ」

「それはよかった。まだまだ学ぶ余地があるということだ」



 小馬鹿にするでもなく、無理に励まそうとするでもなく、男は顔色一つ変えずにあっさりとそう言った。

 清々しい、と思うと同時に、やはりこの男は浅慮なふりをしているだけなのだろうと確信した。


 少し冷たい風が吹くなか、広い敷地を数多の草木が覆い尽くそうとしている屋敷を見つけた。

たった3年で、これほどまでに荒れ果てるものかと感嘆する。もはや庭師に世話をされていた面影の一つもない。門を押すと嫌な音を立てて内側に開いた。



「ここがあんたの家か。随分と大きいな。さぞ権力のあった家と見た」

「ああ、今は見ての通りだがな」

「入っても?」

「構わないよ」



 強引についてくるくせに、敷地内に入るのには許可を取るのか、と妙なところで律儀な男だと思う。

 好き勝手生えた名も知らぬ雑草を掻き分けて玄関へと向かう。服が汚れていくのも今は気にならなかった。このために、この国へと戻って来たのだ。


 3年という月日は、消化しがたかった。

 記憶が薄れるには、十分な時間だ。けれど屋敷が朽ちるにはまだ早すぎた。庭と違い、屋敷の扉は汚れや塗装の剥がれは見られるが、朽ちていると表現するほどではなかった。きっと中は、あの日私たちがすべて置いてきたままになっていることだろう。



「思ったよりもずっときれいだ。もう少し荒れていたり、物取りに打ち壊されていてもおかしくないと思っていたんだが」

「ラクスボルンの国民性ではないのか。主がおらずとも、屋敷を荒らすのは気が引けたのだろう」

「国民性、か。どうだろうな」



 もし本当に、そんな倫理的で、穏やかな国民性であれば、妹はあのような憂き目に遭わされることはなかったのではないだろう。皆が理知的であれば、理性的であれば。考えても仕方のないことを振り払い、鍵穴へと鍵を挿しこむ。僅かな錆や軋みはあるものの、扉はあっさりと開け放たれた。

 埃と黴の匂いがした。深呼吸をしてから屋敷の中へと踏み込む。



「玄関ホールからして立派だな。調度品も残っている。本当に荒らされはしなかったのだな」

「…………ああ、本当に。あの日のままだ」



 あの日というのが何を指しているのか、この男は知らないだろう。けれど特に質問をすることなく、私のあとを大人しくついてきた。

 薄暗く埃の積もった廊下を進む。懐かしさというものは特に感じなかった。ただ街と同じように、時が止まり、捨てられた場所であることだけが如実に感じられた。



「建物は、人が住まなくなるとだめになる、と言うが、事実のようだ」

「だめになっていると言うのか、これは。さして何かが壊れているわけでもないだろう。それこそ、掃除さえすればすぐにでも暮らせそうなくらいだ」

「だめさ。ここはもう“住む”場所じゃない。ただの建物だ」

「ふうん。わからんな」



 男は唇を尖らせたままじろじろと調度品や窓の外を眺めた。男には情緒というものが欠けているらしい、と思うと同時に、自分自身が随分と感傷的になっていることに気が付いた。

 住む場所じゃない。その表現は間違っていない。ただ正しく言うのであれば“もう住みたくない”だ。私が、それを望まない。


 打ち捨てられ、後悔が渦巻く人の気配のないこの建物に、もう住む気がしない。住みたくない。


 後悔と共にこの屋敷で生きる、その覚悟がない。


 嫌な汗が背を伝った。


「ところで、先ほどから迷いなく進んでいるが、どこへ向かっている」



 他の部屋もあるだろうに、と不思議そうに見上げる彼に言葉が詰まった。

 覚悟を決めてここへ来たはずだ。ベルネット家を継ぎ、当主となった、一人前となった。訣別するために、ここへきた。


 けれど覚悟も勇気も足りていない。

 見ず知らずの男の同行を許したのも、きっとその怯懦からだ。



「私の妹の、部屋だ」



 私は未だ、後悔と向き合う覚悟が、足りない。


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