怪物の隣で Ⅲ
うちの陛下は怪物だ。
「レオナルド、これ読んでみろ。なんて書いてある?」
「……なんですかこれ。」
「あの娘の入れられていた檻の前に書かれていた。どうもあれが書いたらしい。読めるか?」
檻に入れられていた、とは聞いてない。いろいろと物申したいがそんなことよりも、と一言で片づけられそうなのでメモに書かれた文字を解読する。相変わらず陛下の字は読みにくい。記号や絵でも見る気分だが、それもだいぶ慣れた。
「『捨て、悪役令嬢です……噛まない、吠えない良い子……です。拾って、ください。』ですね。……これが檻の前に?」
まるで捨て犬や捨て猫のような扱いだ。本来なら捨てた側の飼い主が犬猫のために書くものだが、本人が書いているとなると哀愁が漂う。
「『悪役令嬢』っていうのは何でしょうね。状況的に、何か罪を犯して刑に課されていたと考えるのが普通ですが……、」
「……くっはははは!いいじゃないか。どこぞの物語の『悪役』がこのダーゲンヘルムに迷い込んだのだ。面白い!物語から弾き出された『悪役』、もてなそうじゃないか。」
口角を上げて機嫌よく高笑いをする陛下は相変わらず怪物らしい怪物だ。どういう者か知らないが、ここがダーゲンヘルムで拾い主がダーゲンヘルムの怪物と知れれば尻尾を巻いて逃げ出すだろう。正直、悪役でもヒロインでもどうでも良いが、不確定要素の塊は早急に排除してしまいたいというのが本音だ。もっとも、このご機嫌な陛下からあれを奪うなど不可能に等しい。
ダーゲンヘルム国境の森に捨てられる、ということはおそらく娘は死罪に近い刑を受けたのだろう。まだ20にも届かないだろう娘がどんな罪を犯したというのだろうか。警戒するには十分だった。
「……陛下、それであの娘は森のどこで拾ったのですか?」
「ダーゲンヘルムから見て西、小国ラクスボルンに近いところだ。」
にやり、と不穏に笑ってみせる陛下に目礼して部屋を出た。言われずとも何をすべきかは分かる。平和な小国ラクスボルン。その国の罪人たちを調べるべく、数人の部下を呼びつけた。
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緑に恵まれ農業が盛ん、大きくはない強くはない国、それがラクスボルンだ。相変わらず平和で他国との国交を見てもさしたる問題は見られない。だが内部で一つ問題、いや問題というほどでもないのかもしれないが騒動があったそうな。
ラクスボルン随一の権力を誇る、ビーベル公爵家の長女。彼女は王太子であるミハイル・ラクスボルンの婚約者であったが、他の家の令嬢と揉め事を起こし、揚句その令嬢を殺そうとした罪で婚約を破棄され、そして森に追放されたという。
その騒動の台風の目、シルフ・ビーベル嬢こそ陛下が拾ってきた娘だという。
いろいろとため息を吐きたくなった。
調べたところ、間者ということはないだろう。ダーゲンヘルムに近寄らず、という物語による警告は機能していたし、あまりにも目立ちすぎる娘を間者に使うとは考えにくい。単純に刑としてあの森に置いていかれ、偶然陛下に見つかり、偶然陛下の興味をそそり生き延びたのだろう。しかしながら危険な娘であることに変わりはない。聞く限り、家の権力云々ではなく単純な色事による揉め事だったらしいのだ。そんな娘など不安要素の塊でしかない。早々に放逐してしまいたい。
しかし陛下が許さない。
「あの娘はいいぞ。愉快で本当に楽しませる。」
大層拾った娘をお気に召した様子だ。シルフ・ビーベルの身元や起こした問題を聞かせてもどこ吹く風、まるで聞く耳を持たない。
よもや色ボケしたものか、と思うほどの入れ込みようで、城の一画を貸し渡し住まわせ、そのうえ仕事まで用意させたというのだから驚きだ。完全に飼うつもりらしい。メダカ、ザリガニ、猫、犬、熊に続き年頃の娘が名を連ねることになりそうで頭が痛い。
「ですが散々揉め事を起こした上に死罪に値するほどの刑を受けるような娘ですよ?そんな危険人物を傍に置いておくおつもりですか?」
すでに遅い気もするが、これ以上陛下に妙な影響を与えるのはやめてほしい。ただでさえこの怪物を世に放ってしまったという負い目があるのだ。できれば目の届く範囲に置いておき、何かやらかさないか見ておきたいのに、不審な少女という要素を加えられたら俺の胃に穴が空く。
「……ふん、まあお前の言うこともわからないでもない。」
「なら、」
「では危険な人物ほどそばに置いておいた方が良いと思わないか?何かあれば私がすぐに処理すればいいだけの話だ。違うか?レオナルド。」
こう言われてしまえばもう黙るしかない。陛下はてこでも意思を曲げないだろう。
誑かされてしまえば貴方が手を下せないのではないか、と言いたいところだが、そんなことを言えば逆鱗に触れるのが目に見える。なにより、そう言われてしまえばそうするように聞こえてしまうのだ。陛下は有言実行の人であり、怪物だ。まともな人の情があるかも怪しい怪物。そんな彼を誑かせる人間がいるかと言われると答えに窮するし、怪物が害を成そうとするものに情をかけるような性分でないのは付き合いで十二分にわかっている。
彼は陛下である前に危険な怪物なのだ。
「……陛下がそう、おっしゃるなら……、」
「お前も心配性だなあ。そんなに気になるならお前もあれと話をしてみるといい。話に聞く悪女とは似るに似つかんからな。」
楽し気な陛下に釈然としない気持ちを抱きつつも、ならば、と城の片隅、小さな物置に使われていた塔を俺は監視していた。
見た目、はとても公爵令嬢であった者には見えない。確かに容貌は美しいし、所作もそれらしいものがある。だが身に着けているものは庶民のもので令嬢なぞから見れば襤褸のようなものだろうワンピース。髪も簡単に結ってあるだけで飾り気も全体的に見てとれない。拾われた当初の不健康さは抜け健康体に見える。見ていてもこちらに気づく様子はなく、庭に出ていたメイドと立ち話を始めた。
逆に警戒心を抱かせるほど普通だ。
いくら罪人として投獄され一切の身分をはく奪されたと言え、こんな簡単に平民の生活ができるものなのだろうか。それも公爵令嬢なんて言う箱入り娘が、そう質の良くない布を纏い、食べ物を食べ、庶民に混じって働く。裏があるように思えるのは考え過ぎだろうか。もしかしたらその生活も、いずれのし上がるための布石として肝を嘗める思いで過ごしているのかもしれない。
何より私の勘と経験が言っている。
あの陛下を、怪物を楽しませるような人間がまともな人間であるはずがない、と。
そもそも陛下は異常性を愛する傾向にある。とにかく奇妙なものが好きだ。シンパシーなのかそれは定かではないが、変わった考えを持つ人間を登用することは少なくないし、演劇なんかも狂気じみたものを好む。最たるものは処刑方法だろう。俺が気に入られているのはまた別の話だ。最初に話をしたときに傍から見れば俺が変わった考えをしていたことを差し引いても、気に入られているのは仕事ぶりだと自負してる。俺の感性は至って普通だ。
陛下をあれほどまで楽しませ、気に入られるということは、なにか異様な面を持っているということだろう。
俺は騙されない、正体を暴いてやる、という気持ちで仕事に向かう怪しげな『悪役令嬢』シルフの背中を見ていた。




