怪物の隣で Ⅰ
昨日一瞬上がってた番外編の方ですが、二話目でした!申し訳ありません
こちらが番外編の一話目になります。
二話目の方は明日位に修正してアップします!
うちの主人は怪物だ。
『ダーゲンヘルムの怪物』だなんて噂を流す前から、俺はずっと陛下、ファーベル・ダーゲンヘルムのことを怪物だと思っていた。
初めてお会いしたのは俺たちがまだほんの子供のころだった。先王に仕えていた父が、お前が将来仕える相手だと合わせたのだ。赤い目に黒髪、見た目だけでも不気味と言えた。だがそれだけではない利発な顔立ちと言えば聞こえはいいが、何を考えているかわからない子供だった。だがしかし、不気味だなんだと言うのは不敬だし、俺がどうこうできるような相手でもない。それなりの関係でいいか、と思いながら無難に、つかず離れずな距離を選んだ俺もまた、幼いながらに可愛げのない餓鬼だっただろう。
当初、将来仕える相手へのお目通りだと言った父の言葉を信じていたが、しばらくしてなぜ俺を殿下と会わせたのかが分かった。
賢そうで隙のない少年のように思っていたが、周囲からの彼の扱いは、『出来損ない』だったのだ。
父について城に居れば嫌でも耳に入る。大臣たちの声、文官たちの声、メイドたちの声。それは未だに読み書きができない、というものに始まり、この国の王位を危ぶむ言葉だった。ダーゲンヘルムの王子は一人、ファーベル殿下だけだった。しかも王妃は出産時に亡くなっていて、第二王子もいない。側妃もいるがその子を王位につかせるとなると殿下の存在により揉めるだろう。
正直俺はそんな噂信じていなかった。勉強よりも剣を振るってばかりいる俺でさえ読み書きはとっくにできるようになっているし、まさか同じ年くらいで賢王の息子である彼にできないはずがない。そう思っていた。
だが噂が事実であると知ったのは、ファーベル殿下のノートを見たからだった。
見ようと思って見たわけではない、不可抗力だった。特にすることもなく、暇で城内をうろついていた俺は中庭の奥、簡素なベンチとテーブルがあるのを見つけた。そしてそこにペンやノートが置いてあるのに気づいたのだ。しかし不思議なことに、そこに置いてあるノートは俺のノートだった。書いてから父に提出してるノート。父に渡したはずのそれがなぜこんなところにあるのかと首を傾げ、中を改めるがやはり俺のものだった。そしてすぐそばにもう一つノートがあった。見覚えのない物だったが、開けてみるとそこにはなんと書いてある分からない、ミミズがのたくったような文字が散らばっていた。
小さな子がおれのノートを手習いに練習でもしたのかと思ったが、城内にそんな子供いるだろうかと逡巡しているとき、木々の隙間から黒髪の子供が現れた。
殿下だった。平静、欠片の動揺も滲ませない能面が愕然、という言葉を浮かべ、それから怒りの色に顔を染めた。そして俺は噂が事実であると理解した。
恐らく、無我夢中だったのだろう。俺も殿下も。反射的に膝をつき頭を垂れたものの、怒りのままに俺にとびかかった殿下を無意識のうちに投げ飛ばしてしまった。どさ、と軽い音をたてて地面に落ちる殿下を見て音をたてるように血の気が引いた。たぶんこの時心臓も呼吸も止まっていただろう。
慌てて駆け寄って抱き起し無礼を詫びるが、クシャリと顔を歪め声もなくボロボロと涙を零す殿下を見て幼いながらに「あ、終わった。」と思った。どれだけ無礼なことをしたかという自覚はある。いくら子供とは言え、いくら条件反射だったとはいえ相手は自分の命よりもはるかに重い第一王子、他に代わりのいない殿下である。
もう何をしても謝っても殺されるだろうな、と思いながらボロボロと泣く殿下とともに芝生に座り込んで茫然としていた。
「っなんで、お前みたいな、奴が……!」
「はい……?」
「アホ面のくせに……!」
「…………、」
しゃくりあげる声と共に出てくるのは罵倒。返す言葉もない上に返していいような身分でもない。どうせ死ぬならまあいいか、そんな気持ちで殿下の罵倒を聞いていた。
だが途中で殿下の罵倒が投げ飛ばしたことを指しているのではないのだと気づいた。泣いているのも、痛いからとか、投げられてプライドを傷つけられたからではない。
ただただ悔しいのだ、と。自分にできないことがこんな脳筋みたいな餓鬼にはできることが、と。
その言葉を聞いて、なぜ父が俺を殿下に会わせ、殿下が俺のノートを持っているのかを察した。なんともろくでもない、そう思わずにはいられない。王の意向か、教師の意向か、父の意向かは分からないが、要するに同年代の俺と比べさせたのだ。なぜお前にはできないのかと言うかのように。それが発破をかけているのか、それとも心を折れさせるものかは知らないが。
なおのこと、口が開けなかった。
そんなこと罵倒される謂れないけれど、だからと言ってフォローできるような立場でもない。なにを言って火に油を注ぐだけだ。
ぐずぐずと泣く殿下から、いつもの鉄面皮も隙の無さも見られなかった。可哀想、と思いそうになるがそれは押しとどめる。たぶん、それは違うし、むしろこの上ない侮辱だ。
罵倒の語彙が付きたのか、お前なんか、と紡がれる言葉はまるで親に褒めてもらいたいかのようなものだった。読み書きはできない、でも読んでもらえばちゃんとわかる、覚えられる。計算だってわかる、口で言われれば国のことだって政治のことだってわかる。何でもわかる、理解できる。わからないのは、文字だけだ。だからお前なんかより、ずっと。
泣きじゃくる殿下。ただただ訴えを聞く俺。
何といえばよかったのか、わからない。でもたぶん、俺がその時口にしたものは、まぎれもない正解だったと、大人になった今ならわかる。
「……じゃあ問題を読んでもらえばいいじゃないですか。」
「……はあ?」
「文字がわからないだけなら声で何とでもなるでしょう?問題も教科書も読んでもらって、それから口で答えればいいでしょう?」
「……答案がかけなければ、意味がない。」
「大人になったら答案は必要ありませんよ?」
俺の考えは至極シンプルだったし、なぜ『出来損ない』と呼ばれるのかも分からなかった。途切れ途切れであるけれど、嘘を言ってるようには見えないし、たぶん俺なんかよりずっと頭が良い。ただ文字がわからないだけで。内容が理解できて、ちゃんと頭に知識が入ってるなら何の問題もない、と。
「……王が、書類も読めないようじゃ、困る。」
「困るんですか?」
「困るだろ!」
ぎん、と睨みつけてくるが、どうせ殺されるだろうと腹を括っていた俺に怖いものはなかった。
「だって一人で仕事をするわけではないのでしょう?」
「……は、」
「今の王だって、周りにたくさん人がいるでしょう?殿下が王になってもそうですよ。誰かがいます。誰かが読んでくれます。”しょき”がいれば書くこともあまり……サインくらいじゃないですか?」
ない語彙を、微かな知識を絞り出してそう言った。少なくとも、一人で仕事をするわけじゃない。側近だっているし、大臣だっている。困ったことがあれば助けてくれる人たちが王の周りにいるんじゃないか。
「そんなに困りませんよ、たぶん。読めなくても、書けなくても、知識は得られますし知恵も絞れます。大丈夫ですよ、別に。」
今思うと、何とも無責任な言葉だった。何様だと激昂されても、無知のくせにと嗤われてもおかしくなかった。
でも殿下は驚いたような顔をした後、少しだけ笑った。そうか、と短く言った。
「俺、馬鹿で、考えるのとか得意じゃないです。でも読めます。だから、俺が読みます。必要なら俺が読んで、頭のいい陛下が考えればいいんです。」
拙いながらの、保身だった。殿下が笑ったから、もしかしたら死ななくて済むんじゃないかって。それとなく、殿下のお役に立てますよー、未来のために殺さないでおきませんかー、とアピールしたつもりだった。
「そうだな……考えておく。」
さっきまでの晴れやかな顔なんてなく、少しだけ見覚えのある子供らしくない顔をしてそれからニヤリと笑った。得体の知れない恐ろしさを感じた。
正直、表情が微妙過ぎて無罪放免になったのかわからなかった。いつ処刑されてしまうのかと内心びくびくしていたが、殿下に捕まったときに言われたのは処刑の通告ではなかった。
「ほら、お前が読んでくれるのだろう?読め、レオナルド。」
有無を言わせず、俺は陛下専用の音読機械と化すことになった。直接言われてはいないが、その表情は断ったら投げ飛ばした件をばらす、と言わんばかりの笑顔だったと認識している。とにもとりあえず、とその役を引き受けたが、まさか大人になっても途切れることなくそれが続くとは、その時の俺は思いもしていなかった。
それから殿下は開き直っていた。公言こそしないものの、読み書きできなくても困らないと言わんばかりに書物を読むより有識者の話を聞きたがり、会議にもぐりこんで聞き耳をたてたりと様々な文字以外の方法で知識を貪った。必要とあらば俺が読み、メモを取るが基本的には殿下の護衛のように俺は連れまわされていた。存外、読めなくても問題はなかった。わからなければ聞けばいい。書くのも困ることはなかった。連れまわされているときに気づいたが、殿下は凄まじい記憶力を持っていた。それこそ、メモなんて必要ないほどに。
殿下は読み書きができなかった。それはいくつになっても変わらなかった。たぶん、努力とかそういうもので何とかできるものではないのだろう。
だがそんなことを感じさせないほど、優秀だった。底なしにも思える知識欲と類まれなる記憶力と行動力。読み書きができない。でもそれだけだった。一部の人間は殿下を認めなかったが、それでも多くの人に認められるようになりいつしか『出来損ない』など誰も口にしなくなっていた。
さて、ここまでならば美談だろう。だがここで終わらないのが我らが主人、ダーゲンヘルムの怪物だ。
殿下が18の頃、殿下は陛下になった。ファーベル殿下の父たる王が亡くなったのである。誰も表立って言いはしなかったが、不審死だった。王の急死に城内は荒れに荒れた。結局王位継承権を持つのは殿下だけで、順当に王という位に彼はついたのだ。
どうでも良いと言えばどうでもよかった。その頃には俺はもうすっかり殿下直属の部下という扱いであったし、何が起ころうと俺は殿下についていくだけだと。
本来であれば殿下、いや陛下の力だけで十分に国を回していけるはずだった。それだけの知識を、知恵を、品格を、カリスマ性を持っていた。だが陛下はあえてとある大臣を相談役として傍に置いたのだ。頭のよくない俺でさえ、トチ狂ったのかと思った。それほどまでにその男は私利私欲に塗れた男だった。確かに、頭もよく知識も経験もあった。だが同時にきな臭い噂も強欲さも持ち合わせ、その頭脳は自らの行い隠ぺいに遺憾なく発揮されていたと記憶している。
まるで陛下は傀儡のようだった。多くをその男に任せていたのだ。男の都合のいい様に城からは先王に仕えていた者たちが次々と姿を消した。何をしているのかと、直訴したこともあったが陛下はただ笑うだけで「そのうちわかる」と言うばかりだった。
そのうち、と言うのは城内で大きな力、発言力を持つ者のほとんどが去ってからだった。
「先王を、父上を殺した者に、罰を――。」
相談役をしていた男が、先王を毒殺したとして処刑されることになったのだ。言わずもがな、摘発したのは陛下その人である。
曰く、相談役として置かれていた男は自らの欲のままに先王を殺し、陛下を傀儡にし権力を欲しいままにしようとしていたのだと。先王の不審死の原因は毒殺。同じ毒が男の部屋から出てきた、と。男は必死に嘆願した。私じゃない、殺してなどいない、何かの間違いだ。だがそれも、ご丁寧に調べ上げられた様々な不正の証拠を前に、誰一人として相手に等しなかった。
男は最後まで先王殺しを認めぬまま処刑された。誰もが、彼の仕業と信じて疑わなかった。俺以外は。
「陛下、先王を殺したのは本当に、」
「レオナルド、」
陛下は笑っていた。満足げに。
「ここは私の国だ。そうだろう?」
いつかの笑顔を彷彿とさせるそれ。その言葉だけで十分だった。
陛下が何をしようと、どこへ行こう、俺はついていくだけだ。
だがしかし、この時俺は何かとんでもない怪物を世に放ってしまったのではないという思いに襲われた。
あの日、失意に泣く殿下に他の言葉をかけていたのなら、何か変わっていただろうか。
「はああ……そうですね。」
後悔なんて必要ない。吐きなれたため息と一緒に押し流してしまえばいいのだから。




