記されることのなかった物語 Ⅲ
血に塗れた謁見の間。そこにひざまづかされていた顔ぶれはこの国の誰もが知るような権力者たちだった。凄惨な光景に無意識のうちに後ずさりそうになるが、後ろにいる兵士がそれを許さない。何とか状況を飲み込もうとするけれど、止まった思考は働かない。茫然としていると、ひざまづいていた人々が一斉に私を見た。途端に顔は赤く染め上げられ、罵声が投げつけられる。
「カンナッ!お前のせいでラクスボルンは……!」
「なぜ貴様がまだ生きている!貴様こそ真っ先に死ぬべきなのに!」
「貴様のような小娘のせいで、なぜ我々が殺されなければならん!」
「阿婆擦れがっ今すぐ死ね!」
明確な怒り、恨み、憎しみが突き刺さった。包み隠されることのない純然たる憤怒が礫となる。
これこそが、私の行ったことの結果だ。ハッピーエンドのため。原作のため。幸せのため、安寧のため、皆のため。それが、この様だ。
こんなつもりじゃなかった。すべてはみんなのためだった。みんな幸せになれるはずだった。
どこで私は間違った?
ぼろぼろと零れる涙をどこか他人事のように感じていた。罵詈雑言の嵐ももうただのノイズにしか聞こえない。私のせいだ。この国がこのような事態になったのはきっと私のせいだ。正しいことだけを選んできたつもりだった。幸せな方向へ導いているつもりだった。
すべて、「つもり」だったのだ。もう幸せへ導いてくれる神の手はいない。
かつてあれほどのキラキラと輝いていた王族の姿はなく、皆口々に口汚く罵っていた。私のせいだと。私さえいなければと。
じゃあ何で私の適当な嘘を信じたの? すぐ調べればわかることを調べなかったの?
静かな怒りが湧いてきた。口に出せるものじゃない。それは逆切れだと、八つ当たりだという自覚があるから。
ふざけるな。私にすべての責任を擦り付けるな。皆皆同罪のはずでしょう。この舞台上にいる役者、皆罪人だ。今更舞台から降り、私だけを断罪するなんて許さない。今更舞台から降りて知らん顔ができると思うな。
私は死ぬだろう。殺されるだろう。だがそれはここに居る全員が道連れだ。この国が亡ぶと言うなら、共に心中しようじゃないか。舞台役者全員で。シナリオに従った私たちは皆、死刑だ。
彼らは巻き込まれただけ? 違う。私も巻き込まれたんだこの世界に。私をこの箱庭に放り込んだ神は、もう助けてくれない。箱庭に住む人々も、国も、もう助けようとはしないだろう。打ち捨てられた箱庭はただただ滅んでいくだけだ。
何が間違っていた?
何が正しかった?
私はどうすれば幸せになれた?
「貴女さえ、貴女さえいなければこんなことにはならなかったというのにっ……!」
いつかに私を庇いシルフを罵った宰相子息が怒りのままに立ち上がり私につかみかかろうとした。けれどその手が私に届くことはない。
「誰が、動いて良いと言った?……もう聞こえてはいないか。」
目の前で、死んだ。殺された。ほんの数秒前まで怒り、勢いよく言葉を発していた人は首が胴体から転がり落ちどくどくと赤い血をまき散らしている。ふと顔が熱いことに気が付いた。吹き出した血だと理解するがふき取る気力もない。怒りなど一瞬で吹き消された。
死に直面するのは初めてではない。私は一度死んだ。でも目の前のこの死は、あの時の死とは全く異質なものだ。
過失でも怨恨でもない、ひどく軽々しい殺しだった。剣を振るった男は飄々としていて、たった今人を殺した人間には到底見えない。
見たこともない顔。ぐるりと私たちを囲む兵はどうやら彼のものらしい。なぜこのような事態になっているのか、彼は誰なのか。迫りくる死から目を逸らすように疑問を持て余していたがそれはあっさりと解決する。
「よくぞここまで吐いてくれた。貴様らの言い分は、十分に理解したぞ。」
「ダーゲンヘルム王っ……!」
ダーゲンヘルム王。隣国の王。怪物の住まう国と名高い国を治める怪物その人。チシャ猫のように細められる目は赤。どこかで合点が行った。化け物と呼ばれる王は人間の形を取っていた。そして人間を食べるようには見えない。だがあれは間違えようもない、怪物だ。人を食ったように笑い、暇つぶしのように人の命を刈り取る。あれを怪物と言わずしてなんと言おうか。
そこで気づいた。これは復讐なのだ。ラクスボルンから捨てられたシルフの、ダーゲンヘルム王が代理の復讐だ。シルフはダーゲンヘルムの怪物に殺され、食べられるはずだった。そのシルフが、ダーゲンヘルムの怪物を手懐けてこんな復讐をするなんて誰が想像しただろうか。
ここできっと全員殺される。そうして本当に、「おしまい」なのだろう。
「――死刑だ。」
落ち着いた声の直後、重いものが床に落ちる音がした。謁見の間はもう見る影もない。夥しい血が巨大な水たまりを作る。
私だけが、殺されなかった。舞台に残されたのは、本当に私だけとなった。糸の切れた操り人形たちはもうピクリとも動かない。
「ところで陛下、そっちの娘はどうするおつもりですか?」
「ああ……カンナ・コピエーネ」
呼びかけられた声には愉悦の色が混じる。
私は死を知っていた。だがここにきて初めて知ったことがある。
最も幸せな死は、突如として訪れ死んだという自覚も得ないようなもの。最も不幸せな死は、目の前でいくつもの命を刈り取られるのを見て、それから刃を向けられることだ。目の前には、未来が広がる。比喩ではない。地獄だった。
気が付けば膝を突き、嘔吐していた。こみ上げた内容物はすっぱいばかりで、胃液だけが床を汚し血と混じる。額から垂れた返り血が口に入りさらにそれを助長させた。
壊れた人形ばかりが散らばる舞台上に、怪物が降り立った。
揶揄い混じりに私を責め立てる怪物は、私の答えなど望んでいない。ただただ無様な私を見て愉しんでいた。
「貴様の、望みはなんだ。」
それが恐らく、この男が私に対して投げかけた初めての言葉だった。
「のぞ、み……?」
「そうだ、望みだ。貴様が今何よりも、心から望み欲するものを言ってみろ。」
望み、望みとは何だろうか。
今まで私はひたすらに幸せになりたいと、原作通りに事が進んでほしいと考え続けてきた。それこそが最高の望みだった。だが今はどうだろう。原作通り演じ終えた物語の末路は悲惨で、誰一人として幸せになどなれなかった。願いを言うなら、何もかもを放り出してこの舞台から逃げ出したい。でも私は舞台の降り方を知らないし、それをこの男に言ってもどうしようもない。
何を選べば正解なのか。何をすれば、私は楽になれるのか、逃げ出せるのか。誰も答えを教えてくれない。
今一番、心から望み欲するもの。それは「正解」だ。だがそれを教えてくれる人はおらず、私が探し見つけ出すほかない。私の欲しいものは、
「……し、しにたくないっ……!」
時間だ。私が欲しいのは考える時間。舞台を降りられないなら無様にうずくまって降り方を考えよう。
醜く生に縋る姿は、浅ましい。生への渇望の叫びだと、人には思われるだろう。生ではなく、「正解」への渇望だと誰も気づかなくていい。誰も理解しなくていい。他人の理解から得られるものはないんだから。
「これは持って帰るぞ。」
「そんなものどうするんですか?」
「シルフへの土産だ。」
男から出た名前。私はこの復讐を決行した彼女の土産にされるらしい。
ああ、最後の最後、諸悪の根源は彼女の手で始末させるつもりなのかもしれない。
「シルフ、シルフ・ビー、ベルッ……!」
唯一、原作通りに動かない人。唯一、神の手が加えられないもの。この世界の悪役令嬢。
怒りに燃える悪役令嬢は、ヒロインに復讐をする。そういうシナリオなのだろうか。
物語は終わらない。悠々と動く彼女がいなくなるまで終わらない。
シルフ・ビーベルがいる限りこの物語は続いていく。
確信にも似た予感だった。私を舞台から降ろすのは、彼女だ。どのような形を取るのかわからない。
それでも彼女だけが、この世界において私の求める「正解」の一端を持っているような気がするんだ。




