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捨て悪役令嬢は怪物にお伽噺を語る  作者: 秋澤 えで
本編

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32/51

記されることのなかった物語 Ⅱ

演じた。私は演じた。主人公らしく、ヒロインとして。

馬鹿馬鹿しいほど簡単に、皆私に好意を持った。誰もがちやほやする。いっそ気分が悪いほどに。なんとなく、理解した。たぶん私がどんな失敗をしても原作通りに進むのだろう。役者がミスをしても、舞台上のシナリオは流れていく。


この世界は箱庭だ。私の、じゃない。私自身も箱庭に並べられる人形だから。目に見えない読者たちを楽しませるために、三文芝居のようなつまらない台本通りに動く。みんなそう。みんなはシナリオを知らないけれど、知らないままにシナリオ通りに動く。ただ一人を残して。


シルフ・ビーベルだけが、シナリオ通りに動かない。

悪役令嬢なのに、いじめに来ない。いびりに来ない。取り巻きの子は一応いる。でもどちらかと言えば侍らせるというよりも付きまとわれるような感じ。逃げ出すように学園から姿を消す。


何を考えているかわからない。私にとっては彼女は恐ろしいものだった。

あの子以外はみんなシナリオ通りに動くからくり人形。あの子だけが、まるで生きているように動くのだ。さながら、物語に迷い込んだ少女のように。何も知らないとでもいうように、私だけは特別だというように。目を引く。全員が右を向いているのに、堂々と左を向く。そんな風に感じた。


得体の知れない恐怖。どう動くか、彼女だけがわからない。

喰われてしまうのではないか、成り代わられてしまうのではないか。辛うじて与えられたヒロインという立場は、かつて思っていたよりもはるかに恐ろしい物だった。ヒロインという席から追い出されたら、行くのは隣国の森だ。

ダーゲンヘルム王国。人食いの怪物が住む国。

目に浮かぶ天国と地獄。原作通りに行けば、私は幸せになれる。みんな、幸せになれる。でももし、あの子がヒロインに成り代わったら、私はアッと言う間に転落する。踏み外せば地獄だ。


私は、死にたくない。

私は平凡で、聖人君子なんかじゃない。誰かのための犠牲にはなれない。安寧が約束された未来があるなら、そっちに行きたいと思うのは当然のこと。だってもし、私が何もせずに、シルフ・ビーベルがそのままこの国の王女になったら、その先はどうなるの?本当に幸せがあるの?私が転生者だと気づいているなら放っておいてはくれないだろう。だって私は、カンナ・コピエーネはシルフ・ビーベルを地獄に落とすシナリオを持ってるんだから。

私が彼女を恐れるのと同様に、彼女も私を恐れているはず。

常にナイフを突きつけあってるのと同じなんだ。

死にたくない。何をしても、死にたくない。

身体に伝わる激しい衝撃も、広がる痛みも、遠のく意識も、魂が身体から引き剥がされる感覚も、もう味わいたくない。

生きたいと思って、何が悪い。


だから私は、した。

原作通りに、シルフ・ビーベルを断罪した。

シナリオ通りに進むよう、嘘を吐いた。だって彼女がシナリオ通りに動かないから。いじめてこない、いびってこない、嫌がらせをしてこない、階段から突き落とさない。

それじゃあ困るんだ。

拙い嘘だ。すぐにばれる嘘だ。でも私は高を括っていた。この世界はシナリオ通りに動く。

ほら、宰相子息が信じた。ほら、王子が信じた。ほら、大臣の息子が信じた。ほら、王が信じた。

皆皆、信じた。


だってそういうシナリオだから。


あれよあれよと話が進む。

私が適当に演じても全部進んでいく。憐れ無実の悪役令嬢は、地下牢に入れられた。


私は一人地下牢に足を運んだ。彼女は座り込み放心していた。首枷から鎖が延びる、足にはおもりが付けられる。美しい彼女の見る影もない。力なく、彼女が私を見上げた。

その眼に、息ができなくなるのを感じた。苦しい。胃に重い鉛を詰め込まれたようだった。

見上げる目には、諦めの色しかなかった。

なんでなんで、そんな目で見るの?

煽った。これでもかって、馬鹿にして。最後に笑うのは私だって、ヒロインだって。悪役令嬢とか、ヒロインとか、それとなく物語を匂わせた。

彼女は只管、諦念と言った風だった。

何で私を罵らないの?何で怒らないの?憎しみの眼を向けないの?

するするとこぼれ出る軽薄な言葉たちは、ただ彼女に投げつけるばかりで、返ってこない。罵倒はもはや、懇願だった。

お願いだから、悔しそうな顔をして。負けたって、憎々しげに言って。私がヒロインになるはずだったのに、とか、アンタにヒロインなんて相応しくないとか。

お願いだから、罵って。私を憎んで。悲しそうな目をしないで。

まるで何も知らないような顔をしないで。


忘れたかった。この時の感覚は本当に忘れたかった。冷たい氷水の中に引きずり込まれるみたいに、身体が冷えた。幸せをつかんだはずなのに、私は何か間違ってしまったのではないかという疑念が膨れ上がる。


原作通り、ハッピーエンド。そうでしょう。

大丈夫、何も問題なんてない。

シルフ・ビーベルは原作通り、隣国の森へと連れていかれた。


これもう終わり。不安になることなんて何もない。悪役は、私をヒロインから蹴落とそうとする人間はいない。作られた箱庭に、異物は二つもいらない。安寧は守られた。

正しいことをしたんだ。

原作のため、世界のため。

私は、正しい。

正しかったはずだ。


でも私の認識が甘かったと知るのはそれからしばらくしてのことだった。

誰もが私が王子の婚約者となることを喜んだ。だが現実的な問題は山積みだった。


私は平民上がりの男爵令嬢だ。いずれ妃を務める者として、足りないものが多すぎた。妃、と簡単に言うが結局それは役職だ。仕事だ。外交にも顔を出し、他の家々とも交流をし、市井の者の声に耳を傾け、仕える者たちの管理もある。有事の際、王が命を下せない場合などには妃が王代行として決断しなければならない。つまり妃は王と同等の知識を、判断力を、カリスマ性を、教養を持たなければならない。

婚約者候補となっていた令嬢たちは幼いころからそれらの教育を受けてきた。覚悟もしてきた。

それに対して私はどうだろう。彼女たちが持っているものを、必要とされたものを、私は持っていない。市井のこと、経済に関することは私にもわかる。だが政治的なことはわからない。転生する前に政治経済は学校で習ったけれど現代の知識がこの時代に役立つはずもない。


ひしひしと肌で感じた。周りにいた人たちが私から離れていくことを。原作に沿った甘ったるい箱庭が音をたてて崩れていくことを。


こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった。何度思っただろう。けれど、ではどんなつもりだったのか、という問いが浮かんだ瞬間、自嘲するしかなかった。

物語を原作通りに進めて、ハッピーエンドを迎えて、それで私はどうするつもりだったのだろうか。

妃になりたいと思ったことは一度もない。愛してると囁く王子のことを愛したことも好意を持ったこともない。ただひたすらに、原作通りに進む役者であるように演じてきたのだ。そこに感情は伴わない。


ここは、現実だ。シナリオが終焉を迎えたとしても、この世界は続いていく。

今までは、箱庭の中でミスがあれば神が箱庭に手を突っ込み修正してきた。だが目に見えない神がいなくなった瞬間、この箱庭は荒れていくその一途を辿るのだ。


シナリオもなく、助けてくれる神もない。この時代にあった教養も知識もない。

ハッピーエンドを迎えても、舞台から降りられない。役を放り出すこともできない。どう動いたら良いかわからない役者は舞台上でただ茫然としていた。


『王子と結婚したヒロインは、末永く幸せに暮らしましたとさ』


ヒロインが幸せに暮らすためには弛まぬ努力が必要なのだ。物語の筆をおいた作者はもう助けてはくれない。


私の価値とは、なんだろうか。

どうかどうか、見捨てないで。みんなのために頑張った。世界のために頑張った。違うんだ。結局のところ、怖かっただけなんだ。必ず幸せになれるという道があって、そこから外れることが。自分で考えた結果、間違うことが。

安寧をぶら下げられて、私は浅ましくも飛びついた。嘘を吐き、愛嬌を振りまき、大切だったはずの人を蹴落とした。なんて、愚かしい。でももう戻れない。引き返せない。

私の価値とは、なんだろうか。


今になって思い出すのは、私の語るあちらでの物語を嬉しそうに聞く友人との幸せだった記憶。

我ながら酷過ぎて、涙も出ない。

私は必死に語った。みんなが喜びそうな話を。興味を持ちそうな話を。まだ利用価値はあるでしょう。物語を語れるの。もうそれしかできないの。


足掻く私を嘲笑うように、現実はどこまでも現実だった。

今まで吐いてきた嘘たちが暴かれる。罵られ、責められ、殴られ、捕らえられ、そして地下牢に入れられた。

自業自得だ。それだけのことをしたんだ。何の皮肉かもうすでに死んだ彼女と同じ牢屋だった。

あの日私は、茫然とする彼女を檻の外から見下ろした。檻の外には、誰もいない。


どのような処罰が下りるのか。皮肉るように彼女と同じく森に捨てられるか、それとももっと重い罰か。ギロチン、さらし首、火刑、鋸挽き、磔。次にこの牢の扉が開けられるときはきっと処刑の時だろう。

この世界に生まれ落ちた時点でもうこうなる運命だったのか、それとも私の選択次第で他の結末があったのだろうか。前世に続き、短い人生だった。牢の中でできることと言えば、来世に期待することだけだ。

何にしても、近しい死から逃れることはできない。常識的に考えて、死をもって償うしか方法はないのだ。

だが想像を裏切り、牢の扉は軽々しく開いた。



「あなたがカンナ・コピエーネですか?」



一人の兵士があっさりと扉を開けたのだ。訳も分からず首肯すればぞんざいに手を掴まれ外に引きずり出される。目を白黒させている私など知らないように兵士は私をどこかへつれていこうとしていた。処刑であればもっと仰々しいのではないのだろうか。もっと厳重に兵が並んで、私が逃げられないようにして、罵りながら処刑台に上るくらいのことは覚悟していたのに。助けに来てくれた、という様子ではないし、そんなことをしてくれそうな知り合いはこの世界に居ない。


連れてこられたのは見覚えのある扉の前。ラクスボルン王城で一二を争うほどの広さの謁見の間だ。荒いノックと共に開けられる扉。


そこには女性向の小説に似つかわしくない、血の海が広がっていた。

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